日本史に学ぶ9−日本人が作った唯一の近代憲法「大日本帝国憲法」−
2020.06.15 Monday
JUGEMテーマ:歴史
明治22年(1889年)2月11日、
アジア初の近代憲法である大日本帝国憲法が公布される。
大日本帝国憲法は、欽定(きんてい)憲法と呼ばれる、君主によって制定された憲法だ。
一方、現在の日本国憲法は民定憲法と呼ばれ、
国民が直接に、または国民から選挙された議会を通じて制定された憲法になる。
しかし、私は現行の日本国憲法は必ずしも民定憲法とは言えないと考える。
何故なら、日本国憲法は確かに議会の審議を経て、枢密院が可決したものであるが、
改正案を起草したのはGHQであり、メンバーは全てアメリカ人だ。
外国人に起草された憲法を、民定憲法と呼ぶのは間違いでは無いだろうか?
憲法とは君主であれ、国民であれ、その国の人の手によって作られるべきものであり、
その意味において、今の憲法は真の日本国憲法足り得ないと思う。
しかし、現在の歴史教育では概ね現行憲法を、
大日本帝国憲法と比べて優れたものと教える。
アメリカ人の作った憲法を金科玉条のごとくありがたり、
その憲法に書かれている言葉の解釈1つで議会は大いに紛糾する。
そもそも現行憲法の草案は英語で書かれており、
それを当時の人間が日本語に訳したものだ。
つまり、今の日本での憲法議論では何が正しい和訳かを議論しているようなものだ。
非現実的であることを承知で言うなら、
我々は現行憲法を破棄し、大日本帝国憲法に戻って、
その上で、自分たちの手で今の時代に相応しい真の日本国憲法を制定すべきだろう。
大日本帝国憲法はとても出来の良い憲法だ。
だからこそ、敗戦まで一度も改正されることは無かった。
敗戦を経験してもなお、国内から大日本帝国憲法を改正すべきと言う声は挙がらなかった。
大日本帝国憲法の完成度が高かった事は、
現行憲法の成立過程を見ても分かる。
GHQはマッカーサー元帥の命令によって僅か1週間程度で草案を起草するが、
そんな短時間で起草できたのは、
大日本帝国憲法を基に草案を作ったからだ。
現在の歴史教育では、
現行憲法は大日本帝国憲法から大きく変わったような印象を受けるが、
それは大きな間違いであり、基本的な部分は殆ど変わっていない。
大きく違うのは、現行憲法の9条の部分だけだと言っても良い。
つまり、GHQが大日本帝国憲法を変えたかった最大の理由は、
憲法9条を加えたかったからだと言う事だ。
こんな9条が憲法改正の最大の争点になっているのは、
全くおかしな話だと言えるだろう。
日本という国家は日本人のものだ。
そして、憲法とは国家の在り方を明文化したものであり、
全ての法律の前提となる。
大きな改革を成し遂げようとするなら、必然的に憲法改正の必要が生じる筈だが、
不思議な事に今の日本では「改革派」と呼ばれる人達ほど、
現行憲法の改正に後ろ向きで、「保守派」と呼ばれる自民党が一番改憲に意欲的だ。
この事からも、「改革」を掲げる政治家の殆どが、
それが単なるパフォーマンスに過ぎない事が分かるだろう。
日本国民は有史以来、一度も自分たちの手で憲法を制定したことがない。
たとえ、どんなに正統性が怪しい憲法だったとしても、
今現在、日本国憲法は確実に存在し、機能している。
従って、大日本帝国憲法のように天皇陛下の命で改正することはできない。
現行憲法を改正するにしても、全く新しい憲法を制定するにしても、
我々日本国民の手で作り上げるしかない。
しかし、我々は一度も憲法を自らの手で作った事がない。
ならば、過去の歴史に学ぶしか無いだろう。
そして、近代憲法を日本人の手で作った経験は大日本帝国憲法の他に無い。
大日本帝国憲法は如何にして生まれたのか?
大日本帝国憲法について考えてみよう。