2017年とはどんな年だったか
2017.12.30 Saturday
2017年も、もう間もなく終わり新しい年が始まろうとしている。
2017年という年は、フランス革命から始まった、
現代社会の枠組みの限界が露呈した一年だったと私は感じている。
フランス革命から始まった社会の枠組みとは何か?
その核心は、「民主主義」と「金融経済」の2つだ。
そう遠くない未来に、この2つの仕組みの限界が誰の目にも明らかになり、
人類は新しい仕組みを構築する必要性に迫られるだろう。
もしも、新しい仕組みを作れなければ人類は滅ぶことになる。
日本を含む先進国が至高のものと考えている民主主義は、
もはや単なる衆愚政治に成り果てている。
自由や平等、人権と言った言葉は、
個人の利己的な考えや行動を正当化する道具としてしか使われていない。
「信用創造」という狂ったシステムで、無からお金を生み出す経済により、
多くの人々が金の亡者に成り果てた。
世界の債権や株式の総額は、1京円を超え全世界の国家のGDPの2倍に達している。
貨幣とはあくまで交換手段のはずだが、
この数字が表す事実とは、お金の半分は交換できるものがそもそも無いことを意味する。
2025年には世界の運用資産は1.7京円を超えると言われているが、
世界のGDPがこれほどのペースで増えることはあり得ないので、
今後、より一層、実は何とも交換できない貨幣が増えることになるだろう。
また、格差も大きく広がることになる。
現在の経済システムの源とは、要は借金だ。
そして、借金は人を支配する。
貸主であるほんの一握りの人間に、世界中の殆どの富が集中し、
多くの人々は事実上の奴隷になるだろう。
AIの進化はこの動きをより加速することになるだろう。
今の仕組みの限界が誰の目にも明らかになるのは、もう少し先のことだろう。
その時に振り返ってみれば、2017年という年が契機だったと言われるのではないだろうか。
「民主主義と金融経済の限界」という視点で2017年を振り返ってみたい。