日本人から武士道を奪った憲法

2018.01.09 Tuesday

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    2018年も正月休み、成人の日を含む3連休が終わり、新しい一年が本格的に始動する。
    国会も1月22日に招集され、通常国会が始まることになる。
    野党は相変わらず、モリカケ問題を追及するようなので、
    また、国民の血税を浪費した無駄な時間が浪費されることになるのだろう。

     

    今年の政治テーマで最も注目されるのは、憲法改正なのは間違いないだろう。
    野党は憲法議論を必死に妨害することが容易に想像できるため、
    実際の発議は来年にずれ込む可能性が高いが、
    初めて国民が憲法について真剣に考える必要に迫られることになる。

     

    日本にはこれまでの長い歴史の中で3つの憲法が存在した。
    聖徳太子が作ったとされる十七条憲法(604年)、
    明治の元勲達によって作られた大日本国憲法(1890年)、
    そして事実上、アメリカ(GHQ)によって作られた現行の日本国憲法(1947年)だ。

     

    この、日本の憲法の歴史から言える事は、
    「国民の手によって作られた憲法は1つも存在しない」と言うことだ。
    「憲法は権力を縛るもの」とよく言われるが、
    日本の憲法の歴史を見ると、憲法は権力側が自らの意志で制定したものであった。

     

    現行の日本国憲法が70年以上に渡り、
    一文字の改正もされなかった大きな理由はここにあるだろう。
    多くの日本人にとって、日本国憲法は遠い存在であり、
    「自分たちに関係ない」とすら思っている人が多いのではないだろうか?

     

    憲法とは、国家の統治機構の構成を記すとともに、
    統治の基本原則や人権保証などを規定した法である。
    歴史的には、国家組織に関する規定や政府の権限の限界を規定したものから、
    次第に国民の人権保証をも含む内容に拡大してきた。

     

    近代憲法の原点は、1215年に制定されたマグナ・カルタ(大憲章)だ。
    マグナ・カルタは英国で制定され、当時の国王ジョンに対し、
    議会を構成していた貴族が国王の勝手な課税などの専制を禁ずるために、
    王との間で交わした合意文書である。
    マグナ・カルタは国権の限界を規定し、国民の権利を保護する目的で明文化された
    世界最初の文章とされており、全ての近代憲法の原点とされている。

     

    このように憲法とは、議会や国民の求めに応じて制定されるのが一般的だが、
    日本においては大きく異なる。
    例えば、江戸時代に、諸藩の大名から徳川将軍家の権限を縛るような要求は出されていない。
    大日本帝国憲法も、国内の求めに応じて制定されたわけではなく、
    開国し近代国家として欧米国家と渡り合っていくため、
    必要だと明治政府が判断し作られたものだ。
     

    現行の日本国憲法はアメリカが、
    二度と自分たちに刃向かう事の無いように作ったものだ。
    そもそも、大日本帝国憲法自体に多くの国民は不満を感じていなかったし、
    大日本帝国憲法下の日本が、欧米諸国に比べて人権侵害があったというような事実はない。

     

    日本の歴史を紐解くと、「日本国民にとっては、憲法は不要」と言っても良いだろう。
    結局のところ憲法とは、王(権力)が民衆にとって搾取者であった欧州で必要なものであり、
    日本のように君主が単なる搾取者ではない国には必要のないものだと思う。

     

    とはいえ、現に目の前に日本国憲法は存在し、これを無くすことは現実的ではない。
    決して我々日本国民が望んで制定した憲法ではないが、
    憲法は「国民が権力を縛るもの」とされているので、
    憲法の内容を変更することは、国民にしか行う事ができない。

     

    憲法は全ての法律の上位に位置付けられるものであり、
    あらゆる法律は憲法の制約を受ける。
    だから、国民にとって「無関係なもの」などではなく、最重要なものだ。

     

    改正しなくても良いと考える人は、
    「何故、変える必要がないのか?」を真剣に考える必要がある。
    そもそも現行憲法の条文は、国民の求めに応じて作られたものではなく、
    「何故、その条文が必要か?」は国民的議論に晒されていないのである。

     

    今回、憲法改正の最大の焦点は、なんと言っても「9条」だ。
    日本国憲法9条は、この国から主権を奪い、日本人を堕落させる条文だと私は考えている。
    現政権は、9条の改正を目指すことを明言しているが、
    もしも、これが国会で発議できないか、発議しても国民投票で否決されたとしたら、
    この国の未来はそう長くはないだろう。
    9条を中心に憲法改正について考えてみたい。

     

    ■本当はシンプルな憲法9条議論

    「憲法議論は難しい、特に9条は難しい」とよく言われる。
    しかし、本当に難しいことなのだろうか?
    確かに難しいことも多いが、こと9条に関しては、私はとてもシンプルだと思う。
    要は、「日本は軍隊を持ちますか?」という問いを投げかけられたらどう答えるか?
    究極的にはこの事に尽きる。

     

    既に存在する自衛隊の事などは一端忘れて、
    敗戦直後の1945年に戻ったつもりで考えれば良いだろう。
    憲法は国民が作るものと言うなら、これが正しい考え方のはずだ。

     

    「日本は軍隊を持つべきでは無い」と考えるなら、
    今の9条のままで良く改正の必要はない。
    その上で、自衛隊は解散し災害派遣専用の組織に改編すれば良いだろう。

     

    「軍を持つべきだ」と考えるなら、
    9条2項は軍隊の保有を禁止しているのだから、改正するしかないだろう。

     

    「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

     

    これが2項の条文であり、どこをどう読んでも軍隊は保有できない。
    政治家や役人は、軍を持たずして日本は成り立たないと考えていたので、
    自衛隊は軍隊ではないとする解釈を積み重ねた。

     

    一般国民の多くが、自衛隊を目の前にして「これは軍隊ではない」などとは言えないだろう。
    誰しも、自衛隊を軍隊ではないとする欺瞞には薄々気が付いていたハズだ。
    しかし、国民は真実から目を背け続けた。
    「自衛隊は軍隊ではない」と言う屁理屈を作ってくれる政治家を選び、
    その政治家が言うのだから、軍隊ではないと自らを騙し続けた。
    これが、戦後70年の日本人の姿だろう。

     

    そして、このように自分を騙し続けている日本人は今も大勢存在する。
    だからこそ、護憲を標榜する共産党や立憲民主党、社民党などが一定の議席を獲得できる。

     

    ■軍隊ではない自衛隊に負わせるリスク

    もういい加減に、「自衛隊は軍隊ではない」という欺瞞は捨て去るべきだ。
    自衛隊の実態は紛れもなく軍隊だ。
    世界でも10本の指に入る戦力を有しており、
    世界最強の軍隊である米軍と頻繁に有事に備えて訓練を積み重ねている。
    にも関わらず法的には軍隊ではない。
    この事は、現場の自衛官に大きなリスクを背負わせている。

     

    例えば、自衛官が任務中に誤って人を殺傷した場合、
    一般国民と同じように、傷害罪や殺人罪に問われ、普通の裁判所で裁判を受ける。
    一般的に、軍隊には軍法裁判所があり、任務中の事件や事故はそこで裁かれる。
    軍法裁判所の判決が、一般の裁判所より軽いと言うことはない。
    むしろ重い場合が多い。

     

    軍法裁判所の意義は、「組織学習」だ。
    軍人が犯した罪を裁く目的の他に、「何故それが起きたのか?」を明らかにし、
    過去の教訓とするのである。
    迅速なフィードバックが求められるため、
    軍法裁判は結審までの時間が一般の裁判に比べてとても早い。

     

    一般の裁判所で裁かれる場合、傍聴することも可能であるから、
    機密事項を話すことは不可能だし、そういったことを公にすべきでもない。
    被告人は判決が出るまで拘留されるし、
    有罪が下された場合は、判決内容によってはそのまま刑務所に服役する。
    こうなってしまえば、軍は問題の究明と改善が困難になる。
    命をかける軍において、このような状況は致命的だろう。

     

    これは自衛隊が、法的に軍隊ではないことの弊害の1つだが、
    法的に軍ではないことにより、このような弊害を自衛官に負わせているのである。

     

    ■9条が平和を保ったなら、それは主権の放棄

    「9条があったから戦後平和だった」
    このような主張には何の根拠もないだろう。

     

    確かにベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争に日本は直接参戦しなかった。
    時の政府は、アメリカからの参戦要請に対して、9条を盾に拒否したのは事実だ。
    そういった意味では、9条改正を掲げる自民党自身が9条を利用していた。

     

    しかし、もしも9条がなければ日本はベトナム戦争などの戦争に参加したのだろうか?
    日本国民が参戦に反対なのにも関わらず、9条が無ければ参戦したと言うなら、
    それは、日本には主権が無いということを意味する。
    権利とは行使と一体である。
    “行使する力”を持っている上で、行使しない(また行使する)ことを決定することが、
    権利であり、力を取り上げて行使できない状況を作ることは、権利の放棄なのである。

     

    他国から侵略されなかった事に、憲法9条は無関係なのは明らかだろう。
    韓国は今でも我が国の領土である竹島を不法占拠している。
    中国は同じく我が国の固有の領土である、尖閣諸島周辺に軍艦を頻繁に派遣している。
    ロシアも韓国同様に北方領土の不法占拠を続けている。
    北朝鮮は、我が国に工作員を送り込み、多数の日本人を拉致している。

     

    今が大日本帝国なら、このような事態には間違いなくなっていないだろう。
    竹島は敗戦直後に、日本に軍がいないのを確認して不法占拠が行われた。
    その後、自衛隊が創設されても、韓国が不法占拠を止めないのは、
    自衛隊が絶対に攻撃してこないことを知っているからだ。

     

    尖閣も同様で、もしも自衛隊が国防軍だったなら、
    中国は今のような挑発行為は行わないだろう。
    ロシアとの北方領土返還交渉も、もっともまともに進めることができただろうし、
    拉致被害者は、日本軍が血を流すことになったとしても奪還しただろう。

     

    これら周辺国が、直接的な武力侵攻をしなかったのは、
    日米同盟と自衛隊の軍事力のおかげであり、憲法9条など何の効果もない。
    逆に現状は、9条が日本の安全保障を脅かしているとさえ言っても良いだろう。

     

    ■日本から戦争を仕掛ける動機とは

    日本が軍隊を持てば、自ら積極的に他国に戦争を仕掛けると言う事も無いだろう。
    歴史を振り返っても、日本民族は平和的な民族と言って良いだろう。
    確かに、大東亜戦争を我々日本人は戦ったが、決して一方的な侵略とは言えない。

     

    そうなってしまったことは、日本側にも非はあったが、
    日本が開戦に踏み切った大きな理由の1つは、石油の禁輸だ。
    「日本製品を買ってくれない」なら、この国は何とか耐えることができるが、
    「日本に資源を売ってくれない」は、資源の乏しい日本にとっては致命傷だ。
    これは現代日本でも全く変わっていない。

     

    2015年の平和安全法制成立の際、当初政府は集団的自衛権の適用例として、
    ホルムズ海峡の機雷掃海を出した。
    後にこれは撤回されるが、朝鮮半島有事よりも尖閣有事よりも、
    まず先にホルムズ海峡を例示した政府の判断は正しいだろう。

     

    朝鮮半島で戦争が起きようが、尖閣諸島で日中が衝突しようが、
    シーレーンが確保され、日本に安定的に資源が入ってくる限り、
    日本は存在し続けることが出来る。
    資源国が日本に資源を売ってくれる限り、日本から戦争を仕掛ける動機は無い。

     

    9条を改正し、軍隊を保有すれば日本が戦争を仕掛けるなどあり得ないだろう。
    9条を改正すれば日本がまた戦争を仕掛けると思うなら、
    それは、“自らが戦争を欲している”という事だ。
    この国に戦争を望む人は、ほぼ居ないはずであり、
    今の民主主義体制下において、国民の大半が望まない戦争を日本から起こすことはない。

     

    アメリカの戦争は全て、開戦時は国民が支持していた。
    欧州も戦前の日本も同様だ。
    中国や北朝鮮、ロシアのような独裁国家で無い限り、
    国民が望まない戦争を、こちらから起こすことはないのである。

     

    ありもしない妄想で不安を煽り、
    健全な憲法改正議論を妨害する勢力に惑わされてはならない。
    前述したように、問われている事はシンプルなのだ。
    「日本は軍隊を待ちますか?」ただそれだけだ。

     

    ■本来自民党が改正したい憲法9条案

    しかし、残念な事に憲法改正を目指す安倍政権側も国民を惑わせている。
    それが「1項、2項はそのままに3項を追加、そこで自衛隊を明記」という改正案だ。
    旧来からの自民党の改正案は「2項を改正して国防軍を明記」だ。
    以下に、2012年に自民党が示した9条の改正案を紹介する。

     

    9条
    日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
    国権の発動としての戦争を放棄し、
    武力による威嚇及び武力の行使は、
    国際紛争を解決する手段としては用いない。
    2
    前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

     

    1項は現行憲法と殆ど同じ内容で、多少文言を修正した程度だ。
    2項は現行のものを丸々削除し、自衛権の保有を明確にしている。

     

    2012年の改正草案では、更に「9条の2」「9条の3」という2つの条文を追加している。
    本来は10条、11条としたいのだろうが、
    そうすると、現行の10条以下の条項の番号を全て変更する必要が生じる為、
    多少分かりにくくはなるが、このような形にしたのだろうと思われる。
    9条の2は、国防軍ついての記載で以下のようなものだ。

     

    9条の2
    我が国の平和と独立並びに
    国及び国民の安全を確保するため、
    内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
    2
    国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、
    法律の定めるところにより、
    国会の承認その他の統制に服する。
    3
    国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための
    活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の
    平和と安全を確保するために国際的に協調して
    行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命
    若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
    4
    前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制
    及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
    5
    国防軍に属する軍人その他の公務員が
    その職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を
    犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、
    国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が
    裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

     

    自衛隊を「国防軍」という明確な軍隊と規定した条項だ。
    内閣総理大臣が最高指揮官であり、議会の統制に従うこと、
    すなわち文民統制が明記されている。
    そして、5項には先に挙げた軍法裁判所の設置が明記されている。

     

    文民統制の憲法への明記は重要なポイントであり、
    恐らく、今安倍政権が出している3項追加案でも、これは明記されると思われる。

     

    文民統制とは軍隊の統制を、文民である選挙で選ばれた政治家が行うことを意味する。
    ちなみに、この概念は軍隊にしかない。
    例えば警察に対しては「文民統制」などは無い。
    つまり、文民統制とは軍隊に限る概念であり、
    自衛隊が軍隊で無いのなら、「自衛隊は文民統制されている」という表現は成り立たない。
    自衛隊が文民統制されているなども欺瞞と言って良いだろう。

     

    9条の3は、「領土等の保全」についての条項で以下のようなものだ。

     

    9条の3
    国は、主権と独立を守るため、
    国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、
    その資源を確保しなければならない。

     

    ポイントは、「国民と協力」という表現だろう。
    恐らく本来は「国を守る義務」と規定したかったハズだ。
    専制君主国家なら、国を守る義務は王や貴族に生じるが、
    民主主義国家なら、全ての国民には国を守る義務が生じる。
    しかし、そういった当然の事を掲げると、
    必ず「徴兵制」について問われることになるだろう。
    だから、「国民と協力」と柔らかい表現にしたものと思われる。

     

    「国を守る」とは、何も兵士になって戦う事だけを指すのでは無い。
    軍の指示に従って、速やかに後方に避難したりすることも国を守るための協力だ。
    そして、最も重要な協力とは、戦争が起きても変わらず経済活動を続けることだ。
    それなくして、軍は前線で戦う事ができない。
    要するに、「戦争が起きたから他国に逃げる」というような事をしないと言うことだ。
    だからこそ、二重国籍の政治家は問題なのである。

     

    さて、これが2012年に自民党が出していた改正草案の9条部分だ。
    個人的には現状の問題点を全て解決し、未来に向けてこの国の安全を守るための
    理想的な憲法だと思う。

     

    ■安倍私案の意義

    しかし、恐らくは安倍総理が示している3項追加案が提案されるだろう。
    2012年に自分たちが作った改憲草案では、
    国会で2/3は得られず、2/3を得て発議できたとしても、
    国民投票で否決されると考えているのだろう。

    政府や与党自民党は国民を信用していないと言うことの現れだと言える。

     

    それでも、憲法に自衛隊が明記され、その文民統制が記される事には大きな意義がある。
    10年後か20年後に、軍隊として自衛隊を位置付けるあるべき姿にすることを目指し、
    先ずは第一歩を踏み出すことには意味があるだろう。

     

    それを邪魔するのが、日本の事を全く考えていない野党政治家と、
    それに追随する腐った報道メディアだ。

     

    ■立憲主義を叫び、立憲主義をないがしろにする

    既に野党第一党である立憲民主党は、9条の改正には明確に反対している。
    彼らの反対理由を要約すると以下のようなものだ。

     

    「2015年の平和安全法制は違憲立法である」
    「つまり、今の自衛隊は憲法に違反した任務を付与されている」
    「この状態の自衛隊を明記することは、憲法違反を認めることになる」
    「地球の裏側まで戦争しに行く自衛隊を、憲法に明記することは認められない」

     

    立憲民主党に在籍している政治家は、10年20年前は護憲派であり、
    一文字たりとも現行憲法は変えさせないという主張の人間達だった。
    しかし、今の国内世論は流石にそういった護憲は支持されない。
    だから、彼らは表向き「改憲自体には反対しない」というスタンスだ。
    しかし、結局のところどんな改憲案を出されても反対するだろう。

     

    まず、「平和安全法制が違憲立法である」という主張は、
    自らが党名に掲げる“立憲主義”をないがしろにするものだ。

     

    合憲か違憲かを判断するのは、日本国憲法では最高裁判所が唯一の機関だ。
    しかし、このような問題を最高裁判所は判断しない。
    「国家統治の基本に関する高度な政治性を有する国家の行為は、
    法律判断が可能であっても、司法審査の対象から除外すべき」
    このような理論を統治行為論と言うが、
    最高裁判所はこの統治行為論に則り、判断を国家に委ねることになる。

     

    そして、国会では過半数の賛成をもって安保法制は成立しているのだから、
    現行憲法上、2015年に成立した平和安全法制は合憲である。

     

    彼らが「違憲だと思う」のは勝手だが、それは一個人の考えに過ぎず、
    違憲であると断じて、憲法議論に飛躍させるのは日本国憲法をないがしろにした行為だ。
    違憲だと言う主張を通したいのなら、過半数以上の議席を取って、
    平和安全法制を廃案ないし、修正すれば良い。
    これが、我が国の民主主義のルールである。

     

    ■「地球の裏側の脅威」は無視して良いのか?

    「地球の裏側まで」云々も国民を惑わし、不安を煽る主張だろう。
    これは、2015年から彼らがずっと言い続けている理屈だ。

     

    まず、前提として「自衛隊の任務内容」は法律事項である。
    先に示した2012年の自民党の改憲草案においても、
    国防軍の具体的な任務は「法律の定めによる」としている。
    恐らくは3項追加案においても同様だろう。

     

    そして、平和安全法制では集団的自衛権の発動範囲を以下のように定めている。

     

    「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、

    又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、

    これにより我が国の存立が脅かされ、

    国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」
    「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」
    「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」

     

    所謂、武力行使の「新三要件」と呼ばれるものだ。
    このような厳しい要件を定めている国は、日本以外には無い。
    そして、この三要件を満たすなら、それが地球の裏側でも当然武力行使は認められる。

     

    軍は国を守る為に存在するのであって、本土からの距離など関係ない。
    ただ、普通に考えると地球の裏側の国家が、
    日本の存立を脅かす自体になることは稀だろう。
    しかし、北朝鮮を見れば分かるように、現代の技術は必ずしもそうは言い切れなくなった。
    アメリカにとって、北朝鮮は地球の裏側の国家だが、
    弾道ミサイルによって、アメリカ本土が直接攻撃されるリスクが生まれつつある。

     

    「新三要件を満たすなら、それが地球の裏側でも日本を守る」
    平和安全法制に距離的な縛りが入っていないのは、このような理由からだろう。
    そして、国民にとってこれは安心できる姿勢ではないだろうか?

     

    結局のところ、立憲民主党などの政治家は国民を馬鹿にしており、
    不安を煽ることで、自分たちの議席を守ろうとしているに過ぎないと言える。
    そして、残念ながらまだまだ多くの日本人が、
    彼らのような政治家や報道メディアに簡単に惑わされてしまうのである。

     

    ■日米安保は集団的自衛権

    集団的自衛権の問題は2015年に大論争になったのだが、
    これも9条改正と同様に本来はとてもシンプルな問題なのだ。

     

    「日本は日米同盟を維持すべきだと思いますか?」の問いの答えを考えるだけだ。
    “同盟”とはそもそも「集団的自衛権」なのである。
    日米同盟を結んでおいて、「日本は集団的自衛権を認められない」と言うのは筋が通らない。

     

    そして、日米同盟を堅持するのなら、
    「日本は盾、アメリカは矛」などの愚かな考えは捨て去るべきだ。
    このような考えを現役の防衛大臣すら公言しているのがこの国の問題なのだが、
    「何故、アメリカが常に日本の為に他国を攻撃する役割を果たしてくれるのか?」
    この当たり前の疑問を持つべきだ。

     

    しかも、自分たちは「アメリカの戦争に巻き込まれたくない」と公言している。
    例えば尖閣諸島で日中が衝突したら、
    我々は「アメリカを日本の戦争に巻き込む」のではないのか?

     

    「在日米軍基地はアメリカの世界戦略にとって重要」
    「日本はその拠点を提供し、費用面でもバックアップしている」
    「だから、アメリカが日本のために矛の役割を果たすのは当然」

     

    このような考えは、自分勝手で独りよがりな言い分だ。
    確かに“現状”は、在日米軍基地の価値はその通りだ。
    しかし、それはアメリカの都合や技術の進歩でいつ変わるか分からない。

     

    在日米軍基地や日本の価値は、アメリカ政府やアメリカ国民が計るものであり、
    日本が勝手に決めるものではない。
    アメリカにとって日本が価値あることをアピールすることは重要だし、
    将来に渡っても、価値ある日本であり続ける努力も必要だ。
    しかし、「守ってもらって当然」と考えるのは大きな間違いであり、
    まして、そのような態度を恥ずかしげもなく晒すのは愚の骨頂だろう。

     

    アメリカも民主主義の国であり、国民の半数が反対する事は実行できない。
    私がアメリカ国民なら、今の「守ってもらって当然」という態度を隠そうともしない
    日本人の為に、自国の兵士の命を危険に晒すのは反対するだろう。

     

    国会で公然と「アメリカの戦争に巻き込まれる」などという発言が飛び交う事に、
    私は強い危機感を覚える。
    こんな発言をすること自体が、安全保障を脅かす重大な背信行為ではないだろうか?

     

    ■必要だから戦争は起きる

    人間には1人1人、多種多様な考え方があり、1つの考えに纏まることは大変難しい。
    しかし、そんな人間が有史以来たった1つだけ全員が合意できる考えがある。
    それは、「戦争に反対」という考えだ。

     

    戦後、常に何かしらの戦争を戦っているアメリカですら、
    国民、軍人、政治家、大統領、1人1人は戦争には反対している。
    しかし、それでも人類の歴史から戦争が無くなった日が一日もないのは、
    戦争が必要だからだ。

     

    北朝鮮の若き独裁者は、戦争をしたくて核開発をしているわけではない。
    逆に戦争を回避したくて、核開発を続けている。
    そして、そのことで戦争のリスクが日に日に高まっている。
    では、北朝鮮が核開発を放棄したら、本当に戦争は起きないのだろうか?

     

    朝鮮戦争は今も継続中であり、休戦しているだけだ。
    朝鮮半島の南側には、強力な米軍が多数駐屯しており、
    その後ろには日本という米軍最大の基地が存在している。

     

    政府は国を守ることが第一の責任であり、軍隊は国を守る為のツールだ。
    他国の人間を拉致し、自国民を飢えさせ、兄弟ですら外国で暗殺するような国は、
    私も滅びた方が良いだろうと思うが、
    北朝鮮から見ると、そんな考えは自分たちの存在意義の放棄だ。

     

    貧しい北朝鮮という国家が、自国を守ろうと核兵器を頼みにしたのは、
    そう間違った判断だとは言えないだろう。
    しかし、我が国にとってそれは認められない事だ。
    今になって考えると1994年に、クリントン政権が北朝鮮の攻撃を考えていたとき、
    日本は率先して賛成に回るべきだったろう。

     

    1994年であれば、中国は天安門事件が起きて間もなく、国際社会からは孤立していた。
    ロシアもソ連崩壊の混乱から立ち直っておらず、他国に干渉する余力はない。
    北朝鮮のミサイルは今と比べると配備数も技術も低く、
    日本が被る被害は最小に抑えられただろう。

     

    後から考えれば、1994年の時点で戦争が起こることが最良だったハズだ。
    そうしたら今頃は、北朝鮮は韓国に統一され民主的な国家になっていたかもしれない。
    その後、北朝鮮で20年余りの間で亡くなった多くの餓死者は出なかったかもしれない。
    拉致被害者の内、生きて日本に帰れた人が多く居ただろう。
    だとするなら、「戦争は必要だった」と言えるのではないだろうか?

     

    こういった歴史の教訓は数多く存在する。
    最も有名なのは、第二次世界大戦だろう。
    ナチスドイツがオーストリアやチェコを併合したとき、
    イギリス、フランスが攻撃も辞さない態度で出たなら、
    恐らく、あの大戦は無かった。

     

    ■軍が不要と言うなら、まずは警察を無くしてから

    結局のところ、人間社会も自然界の一部なのである。
    つまり、「弱肉強食」なのだ。
    話し合いで何でも解決できると思うなら、
    まずは自国から警察組織を無くす事から始めるべきだ。
    同じ国民の間ですら、殺人や強盗をする人類が、
    異なる民族、国家間の争いを全て話し合いで解決できるわけがない。

     

    「人類は有史以来、戦争に反対だ」
    だから、話し合いで解決しようとする努力は捨てるべきではない。
    しかし、同時にどこまでも戦争を回避する姿勢では、
    結局は滅ぼされてしまうだろう。

     

    第二次世界大戦後に直ぐ始まった冷戦のおかげで、
    我々日本人は憲法9条が機能し、そのおかげで平和だったという幻想を見てこれた。
    しかし、それはあくまで幻想である。

     

    ■世界に向けて恥を晒す日本国憲法9条

    今の日本国憲法9条が存在し続けるということは、
    「軍隊とは認めないが、攻められたら自衛隊は戦って下さい」
    「軍隊とは認めないが、他国の軍隊と一緒に国際貢献して下さい」
    「アメリカの戦争には巻き込まれたくないが、日本の戦争には参加して下さい」
    「隣の国が脅威だが、戦争をしないで話し合いで解決してください」
    このような事を公言しているに等しいのだ。

     

    私は日本人として、これはとても恥ずかしく思う。
    かつてこの国は武士道の国だった。
    武士道とは名誉を重んじ、恥を知る。
    美しく死ぬと言うことは、同時に美しく生きると言うことを意味する。

     

    大東亜戦争時、数多くの若者が玉砕や特攻で自らの命を散らした。
    勝ち目の無くなった戦争で、未来を担う若者の命を軽く扱った、
    当時の軍部や政府の責任は重い。
    ただ、個々の兵士達は武士道精神を忘れず、最後まで名誉を重んじた。

     

    それから70年余り、今やこの国において武士道とは無きに等しい。
    それがこの国の衰退を招いているのではないだろうか?
    武士道精神に反した日本国憲法こそが、その元凶だと私は思う。

     

    ■精神の弱体は国家の衰退

    国家は、国家を構成する国民の精神が弱体すると衰退する。
    かつて、世界を支配したスペイン帝国はイギリスやオランダからの
    徹底的なプロパガンダ攻撃により、自国の歴史に対する自信を喪失し、
    衰弱、凋落していく。
    自信を喪失し、自己嫌悪に苦しみ、自虐に親しみ、
    淋しく自国を嘲笑する国民に成り下がっていった。

     

    アメリカ合衆国が今なお、世界に君臨する超大国なのは、
    アメリカ国民の精神が未だ強いからだ。
    彼らにはまだ世界No1の国家の国民であるという誇りがある。

     

    近年、中華人民共和国が掲げているスローガンは「偉大なる中華民族の復活」だ。
    長い人類の歴史において、中国は常に先進国であり、様々な文化を生み出した。
    中国が先進国でない時代は、
    1840年のアヘン戦争に敗れてからのたかだが170年余りの期間だけだ。
    中国の急成長は、彼らの精神的な復興が大きな理由だろう。

     

    日本人の精神的な強さの根底は武士道精神だった。
    武士道精神があったからこそ、敗戦の焼け野原の中からでもここまで復興できた。
    先進国とは経済力の大きさではない。
    その国独自の文化や精神を持っているかが先進国と後進国を分け隔てる。

     

    今の日本は先人達が築いてくれた基盤の上で、辛うじて先進国の地位を維持している。
    しかし、武士道を取り戻さない限り、そう遠くない未来に三流国に転落するだろう。

     

    果たして現行の日本国憲法を守る生き方は美しいだろうか?
    そこに正義はあるだろうか?
    今年から本格化するであろう、憲法改正議論がこの国で忘れ去られようとしている
    武士道の復活のきっかけになることを願ってやまない。

     


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