人はなぜ愚かなのか?1:身近な情報による誤謬

2017.09.10 Sunday

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    古代ギリシアの偉大な哲学者であり、「万学の祖」とも称されるアリストテレスは、
    「人間は理性的な動物である」という言葉を残している。

     

    しかし、我々人類の歴史を振り返るとこの言葉は間違いに思えてくる事の連続であり、
    ほぼ常に愚かしい判断をし、愚かしい行動をとっている。
    また歴史という過去だけではなく、現在進行形でそういった愚行を繰り返しているだろう。
    その事は、毎月のように報道される政治家や芸能人のスキャンダルが証明している。

     

    彼らがたまたま愚かな人間だったと言うわけではない。
    我々一般人の愚かさと、彼らの愚かさの程度に大きな差はない。
    違いは、彼らが犯す誤りの方が往々にして深刻な被害をもたらすというだけだ。

     

    「人間は決して理性的な動物ではなく、不合理な動物だ」と私は思う。
    そして、その不合理さは近年急速に増大しているようにも思う。
    増大している大きな理由は、インターネットの存在とその普及であろう。

     

    人類がインターネットと言う情報ツールを手にした時、
    我々が入手できる情報は爆発的に増大した。
    普通に考えれば、得られる情報が多いほど、正しい判断が下せる可能性は上がるはずだ。
    しかし、残念なことに人間の思考の特徴によって結果は逆になる。

     

    一般の人にはまだまだ知られていないが、
    心理学の分野では、数十年に渡り人間の思考の特徴の研究が行われており、
    膨大な数の実験結果と、そこから得られた一定の結論がある。
    つまり、「人間はなぜ不合理なのか?」という問題の答えは、
    かなり解明されているのである。

     

    原因が分かれば、改善することも可能だ。
    そして、改善することができれば我々人間は「理性的な動物」になることができ、
    愚かな判断によってもたらされる悲劇を減らす事ができるはずだ。
    何回かに渡り人間が不合理な判断をする理由を考察する。
     

    ■理性信仰

    アリストテレスは「人間は理性的な動物である」と定義し、
    実際私たちは、自分が通常は理性的な判断をしていると“思い込んでいる”。
    他人を見て、「あの人は馬鹿だ」と思う事は頻繁にあるだろう。
    しかし、自分はそんなに愚かではないと思っている。

     

    アリストテレスの人間観は、古代ギリシアや古代ローマの典型的な人間観であり、
    「理性信仰」と言い換えても良い。
    そして、理性信仰は中世の時代に神への信仰にとってかわった。
    その後、「われ思う、ゆえにわれあり」の言葉で有名なデカルトが登場し、
    人間は理性的な生き物であり、理性的であろうと努力すべきであるという考え方を
    再び広めていく。
    これが人間中心主義的な思想の土台となり、現代にも受け継がれている。

     

    存在感が強い宗教をもたなかった日本は、

    人間主義的な思想は、諸外国に比べても強いと言える。
    宗教はいらない、理性こそが至高のものであり、
    理性に基づいた合理的な判断を何よりも重要視する。

     

    ■合理的である事を前提とした現代社会

    哲学、心理学、経済学、政治学、現代の多くの学問は、
    人間が合理的に行動をする事を前提としている。

     

    最近の日本では北朝鮮問題について連日メディアで報道されているが、
    アメリカや北朝鮮、中国、ロシア、韓国、そして日本、
    関係各国は全て合理的に行動することを前提として、
    専門家と呼ばれる人たちが自説を披露している。

     

    「戦争は北朝鮮に体制の崩壊を招く、だから北朝鮮から攻撃することはない」
    このような理屈はよく耳にするだろう。
    北朝鮮(≒金正恩)が合理的な行動を採ることを前提にしている分かり易い例だ。

     

    そして、こういった持論を唱える専門家が、人が不合理であることを体現している。
    北朝鮮が本当に合理的であるなら、そもそも30年前に核開発を始めただろうか?
    もしも、核開発が合理的であるなら国際社会が北朝鮮を非難するのは誤りだろう。

     

    北朝鮮の行動が非合理だから、非難し辞めさせようとしているのではないのか?
    だとすれば、そんな北朝鮮が合理的な判断を下し、
    彼らからの先制攻撃は無いと判断するのは誤りではないのか?

     

    「北朝鮮からの先制攻撃の可能性は決して低くない」
    こう考え、その可能性が現実のものになった時の対応を議論する事が、
    合理的ではないだろうか?

     

    ビジネスの世界でも多くの企業は顧客が合理的な判断で購買行動をすると考える。
    消費者は様々な物に対して自分の好みを持ち、
    常に価格と好みを天秤にかけ、最もコスト効率が良い物を買う。
    このように考える企業がとても多いし、
    古典経済学でも、このように教えている。

     

    古典経済学では、顧客だけでなく生産者もまた完全に合理的な存在だとされる。
    最大の利益をもたらす商品を生産し、利益が最大化する価格を設定する。
    そこに、生産者が怠けたり、愚かだったり、非効率的だったり、
    あるいは金銭的なものよりも、名誉を欲しているというような可能性は問題にされない。

     

    ■非合理の連鎖

    このように人間は一般に考えられているよりもずっと愚かなのである。
    そして、現代では民主主義が至高のものと考えられ、
    独裁者やワンマン社長は悪とされる。

     

    政治家は国民の選挙で選ばれ、議会で話し合って物事を決定する。
    企業においても規模の小さな会社は別として、大企業と呼ばれる殆どの企業では、
    社長が一人で決定できる事は皆無と言って良い。

     

    行政でも企業経営でも、現代社会はこのように
    「愚か者が愚かな判断で指導者を選び、選ばれた愚かな指導者が愚かな選択をする社会」
    このように言っても差し支えないのではないだろうか?

     

    人間は感情の生き物であり、感情に引きずられて愚行に走るという考えもあるが、
    それは一つの要因に過ぎず、それほど重要な要因ではない。
    人間の思考プロセスそのものに根ざした問題、不合理性がある。

     

    ■合理性とはなにか?

    さて、不合理性とは何かを定義するには、
    まず「合理性とは何なのか?」を問わなければならないだろう。
    合理性とは、「合理的な思考」と「合理的な選択」と言う2つの形をとる。

     

    入手した情報が間違っていない限り、正しい結論を導き出すのが「合理的な思考」だ。
    築地の市場移転問題を例にすると、
    豊洲市場の安全性を評価するあらゆる情報が間違っていないとして、
    その評価が高い安全性を示すものであるから、
    「豊洲市場は安全」と考える事が「合理的な思考」となる。
    「豊洲市場の方が新しいから安全だ」のような考えは「不合理な思考」と言える。

     

    合理的な選択の方は少し複雑だ。
    目的が分からなければ、合理的な選択かどうかは評価できない。
    入手している情報を基に、目的を達成できる確率が最も高い選択が合理的な選択と言える。

     

    豊洲市場への移転の目的が安全性の向上であるなら、
    入手した情報で高い安全性を示しているのであれば、移転することが合理的な選択になる。
    目的が安全性の向上でないのなら、豊洲市場が高い安全性を有していたとしても、
    移転することは必ずしも合理的な選択とは言えなくなるのである。

     

    市場移転問題が何故にここまでこじれたのか?
    その最大の理由は都民が「移転の目的を理解していないから」だ。
    目的を理解していないから、知事の判断を正しく評価できないのだ。
    そして、小池知事はそんな都民の愚かさを知っており、
    その愚かさを自身の政治的野望を実現する為に利用したのである。

     

    今回は以上のように合理性を定義する。
    実は合理性の定義は深く追求すると興味深いテーマになり得る。
    一般的に合理性とは、様々な現象の法則性を見出し、それを基に未来を予想したり、
    現在や過去を見直すことが合理的な思考だと考えられている。

     

    しかし、ここには哲学の抱える大きなパラドックスが存在する。
    科学的思考を含め、合理的な思考は、この世界の様々な現象には何らかの法則があり、
    その法則は常に一定であることを前提にしている。

     

    しかし、この前提は論証できないのだ。
    これまで一定だと考えられていた法則が、未来においても一定であるとは断言できない。

     

    そこで、今回は合理性の定義については深入りしない。
    誰が見ても明らかに不合理と分かる事例を基に、
    人間がなぜそのような不合理な判断をするのかを中心に考察する。

     

    ただし、不合理な行動と単純なミスは区別しておく必要がある。
    不合理な行動とは、“意図的にとった行動”だ。

    うかつにやってしまった間違いは単なるミスであり、不合理な行動ではない。

     

    また、合理的な選択がいつでも最善の結果をもたらすとも限らない。
    ギャンブルが分かり易い例だろう。
    500円硬貨を投げて表が出たら1000円貰えて、裏が出たら100円払う。
    このようなギャンブルを持ちかけられたら、乗ることが合理的な選択だ。
    しかし、それでも裏が出る可能性はあり、その場合は損をする。

     

    人間の行動は、ほとんど全て確率がついてまわる。
    最も合理的な判断をしても最善の結果が出るとは限らない。

     

    理性的であることと、倫理的であることも区別した方が良いだろう。
    私達は自分本位になりがちだ。

     

    これは不合理とも言えるし、多くの哲学者や宗教家はそう論じてきた。
    人は根本的にそう違わない。
    容姿や知性が自分より優れていたとしても、体の構造は基本的に同じであり、
    自分が苦痛だと感じる事は、他人もそうであることが多い。
    自分の幸福と同様に、他人の幸福を求めるのが理に適った態度だと言うのである。
    「情けは人の為ならず」という諺は、このような考えを現したものだろう。

     

    だが、自分の苦痛や喜びは間違いなく自分だけのものだと言う事ができる。
    更に、私達は一切の論理破綻なしに、唯我主義者となることもできる。

     

    この世界に存在するのは自分だけで、周囲の世界は全て自分の想像の産物である。
    このような理屈も成り立つのである。
    であるなら、自分の幸福を優先しても良いし、
    そうすることが合理的であるとも言えるのである。

     

    ある行動が理性に基づいた合理的な行動であっても、
    それが倫理的であるとは限らない。

     

    ■「身近な情報による誤謬」
    それでは、本題に入り人間が不合理な選択をする思考プロセスを考察していこう。
    近年、欧州を中心とした世界各国で無差別テロが頻発しており、
    日本でもそのテロに対しての恐怖心が高まっている。
    その恐怖心から海外旅行を控えようと考える人も少なくないだろう。

     

    しかし、海外旅行をして訪問先で交通事故に遭う確率の方が、
    テロに巻き込まれる可能性よりも遥かに高い。
    このように人々はデータではなく、強い印象を受けたことや、
    最初に頭に浮かんだ事柄で物事を判断するのである。

     

    以下の問題の答えを考えてみよう。
    「ingで終わる英単語は、〇n〇の形で終わる英単語、
    つまり後ろから二つ目の文字がnの英単語より多いか?」

     

    多くの人はingで終わる英単語の方が多いと答える。
    だが、よく考えればingで終わる単語も「後ろから二つ目の文字がnの単語」だ。
    その他にもfineなど、終わりから二つ目がnの単語は存在する。
    当然、終わりからnである単語の方が多い。

     

    ingで終わる単語の方が直ぐに、そして数多く頭に浮かぶから、
    そっちの方が多いと思い込み、少し考えることすら放棄してしまうということである。

     

    頭に最初に浮かんだことで判断することで起こるミスを便宜上
    「身近な情報による誤謬」と呼ぶことにする。
    このミスは思考プロセスに必ず入り込むミスであり、多くの判断ミスの原因になっている。

     

    例えば友人が自分の所有する車の良さを熱く語ったとする。
    それに感化されて、自分も同じ車を購入すると、トラブルが多く燃費は悪く、不満だらけ。
    直接的で、強い印象を与える「身近な情報」である友達の話に惑わされてしまったとなる。

     

    現代社会では、この「身近な情報」がインターネットを通して溢れかえっている。
    FacebookやTwitterなどのSNSを使っている人は多いだろう。
    これらSNSは、フォローした人物が発信した情報が、
    ほぼリアルタイムで自分に通知される仕組みが実装されている。
    フォローしている人数が多いほど、頻繁に情報が通知されるだろう。

     

    その中で印象に残る情報は、殆どの場合において最新の数件の情報だろう。
    会議中で長時間確認ができず、未読の情報が大量のストックされていた場合、
    それらを全て見ようとする人はまずいない。
    最新の数件しか確認しない人が殆どだ。

     

    私は仕事で、企業のブログやSNSの分析をすることがあるが、
    過去の記事が読まれる事は殆どない。
    仮に毎日1つの記事を投稿するブログだとすれば、
    1週間前以前の記事は殆ど読まれる事はない。

     

    ネットの上の情報は簡単に検索でき、
    レコメンド機能などで関連情報を見る事は簡単なのに、
    多くの人はこういった僅かな手間すらかけないのである。

     

    膨大な情報を簡単に入手できるようになったが、
    人が手にするのは「身近な情報」ばかりだと言えるだろう。

     

    ■「囚人のジレンマ」
    「身近な情報による誤謬」を示す実験を1つ紹介する。
    心理学で人が進んで他人に協力するかを調べるために
    「囚人のジレンマ」と呼ばれるゲームをよく用いる。

     

    二人の人間が共犯者として逮捕された。
    二人には罪を認めたら、次のような条件で刑を軽くするという司法取引を持ち掛ける。

     

    1.一人が自白し、もう一人が自白しない場合、自白した方は釈放され、
    もう一人は懲役20年となる。
    2.どちらも自白しなければ、二人とも2年の懲役となる。
    3.両方が自白したら、二人とも5年の懲役となる。

     

    二人は別々の部屋で、相手がどうするか分からない状況で選択を迫られる。
    このようなゲームである。

     

    最善の選択は、二人とも自白しないことだ。
    この場合、二人合わせて4年の懲役で済む。
    だが、自白しないと言う選択には大きなリスクが伴う。
    自分が自白せず、もう一人が自白してしまえば20年の懲役を受けてしまうからだ。

     

    このゲームと同じような状況は、現実世界でも起こる。
    その良い例が地球温暖化対策としての、「二酸化炭素の排出規制」だ。

     

    二酸化炭素の排出を抑制することで温暖化を防げるなら、
    全ての国にとって、二酸化炭素を抑制することは得策なのは明らかだ。
    しかし、排出を減らすには、化石燃料の使用を減らすか、
    エネルギー消費そのものを減らさなければならない。

     

    それにはコストがかかるし、経済を停滞させる可能性もある。
    全ての国が削減に同意すれば、全ての国が恩恵を受けるのだが、
    拒否をする国が少数ある。
    大半の国が同意すれば、拒否した少数の国は、削減コストもかけずに済むだけではなく、
    他の国が削減したおかげで、温暖化に歯止めがかかり得もする。
    削減に同意した国に対して、貿易で有利になれる可能性も高く、
    二重三重に得をすることになる。

     

    囚人のジレンマにおいて「自白しない」と言う行動は、
    二人の損失の合計が最小限で済むようにする選択だ。
    このような選択を二人ともとった場合は、「協力」したことになる。
    一方で「自白する」という選択は、もう一人に大きな損失をもたらす選択であり、
    「裏切り」とされる。

     

    このゲームを何ラウンドか繰り返す場合、どのような選択が最も得策かについて、
    哲学者たちは考察を重ねてきたが、その謎は長い間解かれていなかった。
    あるラウンドで相手が協力的であっても、次にはそうでない可能性があり、
    その時に、こちらが協力的な選択をすると手痛い損失を被りかねない。

     

    ところがコンピュータを用いて、様々な戦略の結果を比較した結果、
    1つの解が今では導き出されている。
    それは、「最初のラウンドで協力し、その後は相手の前回の選択と同じ選択をする」
    というものだった。

     

    この戦略を採れば、相手は裏切ると損をし、協力すると得をすることになる。
    この戦略の成功が興味深いところは、
    利他的な行動をすれば結局のところ最も得をすることを示唆している点だ。

     

    人間は利他的行動が遺伝的に受け継がれているが、
    なぜそうなっているかが、生物進化学では長年の謎であった。
    だが、利他的行動をとれば、最終的に自分が得をして、生存の確率が高まる。
    だから、利他的行動が遺伝として子孫に受け継がれているというわけだ。

     

    現実には囚人のジレンマのような状況が何度も繰り返される事はない。
    しかし、似たような状況が形を変えて何度も起こることはある。
    ならば、最適解として導き出されたこの戦略は現実の場面でも最善になり得るだろう。

     

    「身近な情報の誤謬」を実験する為に、
    囚人のジレンマを行う被験者を2つのグループに分ける。
    1つのグループは感動的な物語を聞かせる。
    例えば赤の他人の為に、移植用の臓器を提供すると言ったような話だ。
    もう一方のグループには残酷なニュースを聞かせる。

     

    その後、ペアになって「囚人のジレンマ」ゲームをさせると、
    感動的な話を聞いたグループは、協力的な行動を採る確率が著しく高くなった。
    つまり、人は「二人の損失を最小にする」とか「裏切られるリスク」などを考えるより、
    身近な情報の印象で選択するという事である。

     

    ■「身近な情報による誤謬」の利用
    こうした誤謬は現実世界で巧みに利用されている。
    証券会社は株取引で成功した投資家の体験談を大いにPRするが、
    膨大な数に上る損失を出した人々については沈黙している。
    成功者を派手に宣伝することで、
    人々は自分も成功する可能性を実際よりも遥かに高く見積もるからだ。

     

    パチンコ屋では、当たりが出ると派手な音楽が鳴り響き、
    それを聞いた周囲の人に「自分も稼げるかも」と思わせる。
    外れが続いている台は大人しいものだ。

     

    小売業の価格設定も身近な情報の誤謬を利用している。
    多くの商品の価格は半端な数字になっている場合が多い。
    1000円ではなく980円といった具合だ。
    そうすることで、多くの人が購入する気になる。
    たった20円の差なのだが、大幅に安いような印象をもってしまうのだ。
    1000円出す価値は無いと思う商品に、980円なら価値はあると思う事は無いだろう。

     

    ■何が情報を身近にするのか?
    何が情報を「身近」にするのだろうか?
    新しい情報、つまり最近入手した情報は身近な情報になるだろう。
    他にも強い感情を引き起こす情報やドラマチックな情報、
    具体的なイメージを作る情報も身近な情報になる。

     

    テロに巻き込まれるリスクを過剰に見積もるのは、
    テロという行為が日常とかけ離れているために、
    身近な情報となり人々の記憶に強く刻印されるからだ。

     

    また、視覚的イメージはより強く記憶に刻まれる。
    人は視覚イメージを驚く程よく記憶している。
    1万枚の写真を一度だけ被験者に見せ、
    一週間後にまた写真を見せて、以前に見せたものと同じかを当てさせる実験では、
    その正解率はほぼ100%だったという。
    文字を覚える能力に低さに対して、これは驚異的だ。

     

    画像や動画を手軽に発信できるインターネットの情報が、
    人に与える影響力が如何に強いかを現す実験結果と言えるだろう。

     

    専門家と呼ばれる人々も、「身近な情報の誤謬」を頻繁に犯している。
    医師の喫煙率は一般人よりも低いが、
    医師の知的水準が高く、喫煙によって死亡率が高くなるデータを理解しているから、
    あるいは患者の規範になるように率先してタバコをやめるからだと思われている。

     

    だが、実情はそうではない。
    ある調査では喫煙率が大幅に低いのは、肺癌患者と接する機会が多い
    放射線科や呼吸器科の医師に限られ、
    他の医師の喫煙率は一般人と比べてそれほど低いわけではないと言う結果が出ている。

     

    医師にとっても統計的な数字は説得力を持たず、
    喫煙の為に死ぬ人を間近に見ることの方が、インパクトが大きいという事だろう。

     

    ■第一印象とはなにか?
    さて、「第一印象が重要」と一般的にはよく言われている。
    これが事実だとするなら、「身近な情報の誤謬」とは矛盾するように思える。
    何故なら、「身近な情報」は最新の情報であり、つまりは最後に得られた情報だ。
    第一印象の情報は最初に得られた情報なので矛盾する。

     

    第一印象の影響も様々な実験によって証明されている。
    例えば、ある人物の特徴を6つ並べ被験者に伝える。
    「知的で、勤勉で、衝動的で、批判的で、頑固で、他人を妬む」と言った具合にだ。

     

    別の被験者グループには、全く同じ表現だが順番を変えて伝える。
    「他人を妬み、頑固で、批判的で、衝動的で、勤勉で、知的」と言う風に。

     

    その後、このような人物はどの程度幸せか、友人は多いかなどの質問を出し、
    判定してもらう。
    好ましい特徴から始まる情報を聞いたグループは、
    この人物に対して好意的な評価を下し、
    もう片方のグループは、否定的な評価を下すと言う結果が出た。

     

    これは「初頭効果による誤謬」と呼ばれる。
    最初に与えられた情報が大きなインパクトを持つという事だ。
    そして、最初に与えられた情報でイメージが作られ、
    その後の情報はそのイメージに合わせて解釈されると考えらる。

     

    しかし、「初頭効果の誤謬」と新しい情報が判断を左右する「身近な情報による誤謬」は矛盾しない。
    初頭効果とは、関連のある情報が提供されたとき、
    最初の情報で先入観ができて、その後に入ってくる情報にバイアスがかかるという事だ。

     

    一方、最新の情報がインパクトを持つのは、
    それ以前に入ってきた情報と関連性がない場合だ。
    そうした場合は、新しい情報が最も強い影響を与える。

     

    初頭効果による判断ミスは、身近な情報による判断ミスの一形態だと言える。
    最初に与えられた情報は、頭の中で直ぐに身近な情報となり、
    その後に入ってくる情報に影響を与える。

     

    何らかの判断を下す時、事実そのものではなく、
    その事実が自分達に与える解釈が重要となる。
    そして、その解釈は、最初に与えられた情報で色付けされる。

     

    初頭効果は日常生活でも大きな影響力を持つ。
    初対面の時にたまたま機嫌が悪いと、「とっつきにくい人」というイメージを持たれ、
    それを覆すことは容易ではない。
    相当大きなインパクトを相手に与えなければ、イメージが変わる事はない。

     

    面接でも、最初の一分程度で面接官の評価はほぼ決まる。
    その後に何を話しても、そのイメージを固める材料にしかならない。
    恐ろしい事に医療の世界にも影響を及ぼしている。
    最初に気が付いた症状に囚われ、最後に気が付いた症状は軽視される。
    そして、「誤診」という結果が出る事になるのだ。

     

    ■ハロー効果
    さらに、「身近な情報による誤謬」と関連したミスに、
    「ハロー(後光)効果」と呼ばれるものがある。
    目立った特徴があると、それに引きずられて、他の事までよく見えてしまうという効果だ。

     

    男女問わず、容姿が良ければ、知的で運動神経に優れ、器用でユーモアがあると思われがちだ。
    容姿とこれらの要素には何の関係性もない。

     

    逆に「デビル(悪魔)効果」と呼ばれるものもある。
    何か目立った欠点があると、その人全体の評価が下がってしまうのだ。
    私達はハロー効果やデビル効果でバイアスのかかった判断を下していても、
    多くの場合そのことに全く気が付いていない。

     

    ハロー効果やデビル効果は、現実世界で頻繁に利用されている。
    例えば、小泉進次郎衆議院議員が教育の無償化財源として「子供保険」を提案した。
    中身をよく見れば、単なる増税に過ぎない提案なのだが、
    「保険」と言う言葉を使うことで、
    「リスクを減らす提案」と思い込ませようとしているのである。
    子供保険を支持する人の多くは、ハロー効果の影響を受けているだろう。

     

    逆に野党はデビル効果を頻繁に利用する。
    戦争法案、共謀罪法案、わざわざ正式な法案の名称を変えるのは、
    有権者にデビル効果を与えて、政権与党に対してバイアスをかけさせるためだ。

     

    政治家の発する言葉の殆どは、
    与野党関係なくハロー効果やデビル効果を利用しようとしていると思った方が賢明だ。

     

    ハロー効果は広告業界では長年に渡り最大限活用している。
    なぜ、スポーツ用品メーカーはトップアスリートをCMに起用するのか?
    イチローは偉大な野球選手だが、
    彼の残した記録と彼が使っているバットの関連性は決して高くないだろう。

     

    どのメーカーのバットだろうが、グローブだろうが、シューズだろうが、
    同じ結果を出していただろう。
    しかし、CMを観る人はハロー効果を受けて、
    提供しているメーカーに良い印象を持つのである。

     

    スポーツ用品なら、まだ少しはイチローに関係はあるだろうが、
    ビールや自動車のCMなどは、本来は全くイチローには関係ない。
    天才的な野球の才能と、優れた味覚との間には関連性は無いだろう。

     

    このように広告の世界では、ハロー効果の利用は一般的なのである。
    人は「身近な情報で誤謬」により、合理的な判断ができない事を前提にしているのである。

     

    ■「身近な情報による誤謬」を防ぐには?
    ハロー効果は何十年も前から立証されているのだが、
    人々はこの効果に殆ど注意を払っていない。
    それどころか、現代社会ではより無防備になっているようにすら思える。

     

    「ネットの発達で人々は多様な情報を手に入れる事が可能になり、
    多種多様な価値観で、物事を判断し選択する」
    このような事はよく聞かれるが、現実は全く違う。

     

    ネットにはあまりに多くの情報が溢れているが、
    殆どの人は、極一部の情報しか見ない。
    TVや新聞がメインだった頃よりも、得ている情報は少ないくらいだ。
    にも拘わらず、ネットは情報量の分母が大きいため、
    人々は自分の得た情報は、自分が「選択した情報」だと思いがちだ。

     

    そして、この「選択した」と言う意識は、ハロー効果の効力を増大させ、
    人から合理的な判断力を奪う。
    「選択」が及ぼす効果は、後に詳しく考察する。

     

    「身近な情報による誤謬」は、人が誤った判断をする最もありふれた原因であり、
    不合理な思考の多くにこの原因が絡んでいる。
    「身近な情報による誤謬」を防ぐには、以下のような対策が挙げられる。

     

    1.例えインパクトのあるケースであっても、ただ1つの事例で判断しない。
    2.人や物に対して評価をするときは、その特徴をリストアップして、
    それぞれについて評価をした上で、全体の評価をする。
    3.関連性のある情報が続くときは、最後の情報が提示されるまで判断を控える。
    4.最後に提示された情報も、最初に提示された情報と同じくらい重視する。
    5.判断にバイアスがかかるような情報はシャットアウトする。

     

    次回は、不合理な判断や行動をもたらす社会的要因と感情的要因を考えてみる。

     

    <追記>
    「他人は身近な情報による誤謬をする可能性が高い」事を知っている事は、
    実生活で大変大きな武器となる。

     

    例えば、受託系の案件でプレゼン資料を作る時、
    プロジェクトの背景や目的、与件の整理といった内容から始める事が多く、
    また、それが望ましいともされている。

     

    こういった内容は、顧客から受けたオリエンの内容を反映したものになる。
    プレゼンを受ける顧客側の視点に立つと、
    プレゼンのスタート直後に述べられる、こういった内容が正しいと、
    「この人は自分たちの話をちゃんと理解している人だ」
    という初頭効果を与える事ができる。
    そして、それ以降の内容に対してこちらにとってはプラス効果に働くバイアスがかかる。
    つまり、プレゼン内容が承認される可能性が高まるという事だ。
    逆に、ここにズレがあると、マイナスのバイアスがかかるわけだ。

     

    私自身、こういったプレゼン資料を作成するとき、
    冒頭の数ページを作るに要する時間は、資料全体を作る時間の半分以上を占める。

     

    一方でこの重要性を理解していない人は、
    この部分の作成に要する時間より、中身の作成に要する時間の方が圧倒的に大きく、
    顧客の意識とズレがある(またはズレていると思われる)ケースが多い。
    そして、プレゼンの結果が芳しくないものになる。

     

    こういったプレゼンをしないような職業でも、
    殆どの職場では上司から何かしらの指示があり、作業がスタートすることが多いだろう。
    上司から指示を受けた後、「わかりました」と答えて作業に取り掛かる前に、
    指示内容を復唱するだけで、上司の印象は向上するだろう。
    指示の内容を要約して、「わかりました。目的は〇〇ですね」とやれると最高だ。
    これが出来ると、間違いなく上司からは「優秀な人間」と評価される。
    ※実際、これができる人間が作り上げるものの完成度は高い。

     

    軍隊では上官からの命令は必ず復唱する。
    これは、指示が誤って伝わることを防ぐための行為であり、
    もちろん、そういった効果も大きい。
    しかし、一般社会においては良い印象を与える意味の方が大きいのである。
    ルールとして復唱している軍隊では、このような効果は薄い。

     

    恋愛にも応用できる。
    誕生日プレゼントを意中の女性や恋人に贈るケースで、
    「気に入るかどうか分からないけれど」などと前置きして渡すことは何の意味もなく、
    マイナス効果にすらなる。

     

    「君が気に入ると思って選んだんだ」と言って渡すことが良い選択だ。
    予め本当に渡す女性の好みをリサーチする必要はない。
    このようなリサーチをする男性は「マメな男」と呼ばれ、
    往々にしてモテる男性だろうが、
    そんな手間をかけなくとも、同じくらいモテることは可能なのだ。

     

    用意するプレゼントは、無難なもの、多くの女性がまず喜ぶものを選べば良い。
    その上で、上記のような言葉を添えて渡すのである。
    例えば、花やシンプルなデザインのアクセサリーなどが該当する品だ。

     

    プレゼントの中身を見た女性はこう感じるのだ。
    「私の好みを分かってくれる人、私のことを見てくれる人」と。
    そして、「この人は信頼できる人」となり、
    その後の会話や行動に対して、男性からみるとプラスのバイアスがかかる。

     

    こういった手法は実は占い師がよく用いている。
    あまり情報を聞いていない初期の段階で「あなたの悩みは〇〇ですね」と告げる。
    この時、告げられる内容は一般的に当てはまる人が多い悩みだ。
    だから、本当は誰にでも言える事なのだが、
    聞いた側は、「どうして分かるのだろう?」と捉えて、
    占い師を信じてしまうのである。
    何も話す前に、いきなり「あなたは悩みがありますね?」でも構わない。
    悩みが無い人間が占いにくる可能性はかなり低いだろうし、
    悩みが無い人間を探す方が難しいだろう。

     

    「身近な情報による誤謬」を悪用するのが詐欺師であることは、
    言うまでもない。
    そして、「身近な情報による誤謬」をしなければ、
    詐欺師に騙される可能性は大幅に減るだろう。

     

     


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