憲法9条が生んだ朝鮮半島危機

2017.09.04 Monday

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    JUGEMテーマ:国防・軍事

     

    2017年8月29日、北朝鮮は日本の上空を通過する弾道ミサイルの発射実験を強行した。
    そして、同年9月3日には核実験も強行、
    北朝鮮情勢はまた新たなステージへと突入した。
    若き独裁者は核武装の道を着実に歩んでおり、その野望はもう間もなく達成されるだろう。

     

    現在、核保有国は米英仏中ロの5カ国に加えて、
    インド、パキスタン、イスラエルの8カ国であり、このままいくと北朝鮮が9カ国目となる。
    インドやパキスタン、イスラエルの核兵器が想定する攻撃対象は、

    近隣諸国であるの対して、五大国の核は全世界に向けてのものだ。

     

    その意味において北朝鮮が保有しようとしている核は、五大国のものと同じだと言える。
    朝鮮半島から米国本土に到達可能な核ミサイルは、
    世界の殆どを射程に収める核ミサイルと言う事を意味するからだ。

     

    北朝鮮の核ミサイルが完成した暁には、国連の常任理事国の地位を要求するだろう。
    常任理事国の地位を手に入れる事で、彼らの体制は国際社会で保証されることになる。
    この流れを止めるには、北朝鮮を攻撃、つまり戦争をするしかない。
    未だに日本では、「対話」などと言うお花畑な声も多く聞かれるが、
    北朝鮮に核を放棄させる合理的な理屈など無いのは明白だろう。

     

    既に核を保有している国、その核に守られてる国が、
    「お前たちは持つな」と言っても全く説得力が無いのは子供でも分かる事だ。

     

    そして、今の日本はこの北朝鮮危機に対して影響力は全くないだろう。
    軍事行動を起こす事も、その準備すらもできない国が、
    口だけで「厳重な抗議」「到底受け入れられない」などと言っても全く無意味だ。

     

    私には、なぜこの状況で日本国民が政府に対して怒りの声を挙げないのかが理解できない。
    普段、下らないことで安倍政権を叩く報道メディアが、
    どうして、ここで政権を叩かないのか理解できない。

     

    ■政府の役割を果たせない安倍政権

    政府の一番重要な使命は、国民の安全を守ることだ。
    日本以外の国々はその為に、“攻撃されないこと”を第一に考える。
    朝鮮半島危機で考えると、「ミサイルを打たせないこと」だ。
    イージス艦やPAC3で迎撃すると言ったような話は二の次である。

     

    完璧な防御システムなど存在せず、攻撃された時点でほぼ確実に犠牲はでる。
    国民の犠牲を前提として国防を考えるなど、本来政府としては有り得ないことだ。

     

    日本政府は、北朝鮮にミサイルを打たせている。
    本来は国民も報道メディアも、そのことに対して政府を糾弾すべきであり、
    これが他国であれば、国会前でデモが起こり政府は倒れているだろう。

     

    8月の上旬、北朝鮮はアメリカ領グアム付近にミサイルを打つことを予告した。
    それに対して、米政府は強硬な姿勢を示し、
    その結果、北朝鮮はミサイルの目標を西太平洋に変更した。
    まさにアメリカ政府は、「アメリカを攻撃させない」と言う政府の役割を果たした。

     

    翻って日本政府はどうだろうか?
    北朝鮮のミサイルは今回に限らず、常に日本側に向けて発射される。
    ロシア側でも中国、台湾、韓国側でもなく、常に日本側だ。
    それは何故か?その答えは至極簡単だろう。
    つまり、「絶対に日本は反撃しないから」だ。
    言い換えるなら、「日本政府は政府の役割を果たさない」と思われているのである。

     

    そして、残念ながらその判断は正しい。
    今の日本は何をされようと、一切の反撃ができない。
    反撃能力(装備)をそもそも保有していないが、そこは本質的な理由ではない。
    日本にとって、反撃能力を有することは技術的にも経済的にも簡単なことだ。

     

    日本政府が政府の役割を一切果たせない本質的な問題は

    「法律がないこと」であり、憲法9条の存在である。

     

    ■憲法とは何なのか?

    もしも、憲法9条がなければこのような危機はないと断言できる。
    少なくとも、日本の排他的経済水域にミサイルが着弾することも、
    領土の上をミサイルが通過することも無かったであろう。
    この朝鮮半島危機は、憲法9条が生んだ危機だと言っても良いはずだ。

     

    憲法9条のせいで、我々日本国民がどれだけのリスクを負っているのか?
    自分たちが当事者であるにも関わらずどれだけ無力なのか?
    本来、報道メディアはこうしたことを国民に伝えるべきだろう。

     

    にも拘わらず、「北朝鮮情勢の専門家」なる無責任な学者たちが、
    無意味な自説を垂れ流しているのが、報道メディアの姿だ。

     

    「今回のミサイルはどんな種類なのか?」
    「次はいつ発射するだろうか?」
    「トランプ大統領はTwitterで・・・」

     

    このような事は、多くの国民にとってどうでも良い事だろう。
    ミサイルの種類を知ったところで、それが国民にとって一体何の役に立つだろうか?
    更に、彼ら専門家と呼ばれる者達の予想が正しかった事は殆どない。

     

    伝えなければならないことは、ミサイルで日本国民に犠牲が出たらどうなるのか?
    打たせない為には何をすべきか?であろう。
    そういったあるべき議論がなされると、「何もできない日本」が明確になる。
    そして、憲法9条がその原因であることが見えてくる。
    それでも尚、この憲法を守るのか?を国民が考え判断する。
    民主主義や立憲主義を採るのであれば、こういった姿勢が正しいだろう。

     

    結局のところ、多くの日本人は民主主義が何なのか?
    憲法とは何なのか?こうったことを殆ど理解していないのではないだろうか?

     

    ■総理大臣の力とは?

    安倍政権が一強他弱と言われて久しい。
    反安倍政権の立場をとる人たちからは、独裁者的に語られる事も多い。
    そして、安倍政権にそれほど否定的ではない人も、
    安倍総理が絶大な力を持っていると思っている人が多いのではないだろうか。

     

    しかし、こういった認識は印象に過ぎず全くの誤りである。
    安倍総理ができることは、その時存在している法律を“運用する”ことだけだ。
    独裁者などと言う存在とは程遠いのである。

     

    例えば熊本地震が発生した際、政府は素早く「激甚災害」と認定した。
    激甚災害に認定することで、地方自治体や被災者に対して国が、
    通常を超える特別の財政援助を行う事が可能となる。
    その結果、被災地に必要な物資や、復興の為の資材が十分に調達できるようになるのである。

     

    激甚災害と認定するのは、政府であり安倍総理だが、
    認定することで財政援助が可能になるのは、
    「激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律」と言う法律が、
    予め整備されているからだ。

     

    安倍総理の意向で、「熊本に100億円援助する」などは出来ない。
    あくまで、事前にそれを可能とする法律が整備されており、
    政府がそれを運用した場合に限り、このような援助が可能になるのである。
    逆に言うと、こういった法律が予めなければ、
    皆が必要だと思う援助であったとしても、実施できないのである。

     

    これが日本の国の仕組みであり、総理大臣が持つ権限である。
    およそ独裁者とは程遠いという事が分かるだろう。

     

    ■戦争が無い事を前提とした法体系

    こういった仕組みは国防に関わることでも同様だ。
    そして、国防に関わる法の不備は深刻である。

     

    熊本地震のように、自然災害であれば既に法が整備されており、
    政府がそれを運用すれば、被災者に援助をすることができる。
    しかし、例えばミサイルが国内の何処か、
    あるいは漁をしている漁船に被害を与えたらどうなるか?

     

    日本の現行法では、こういった規定は全くない。
    つまり、政府は一切の援助はできないのである。

     

    憲法9条では日本はあらゆる戦争を放棄している。
    つまり、日本国憲法の中の世界では戦争は有り得ない。
    全ての法律は憲法の枠内で制定されるので、
    日本国憲法が否定している戦争が、「起こった時」を前提とした法律は無いのである。

     

    高まる朝鮮半島危機を受けて、日本国内でも核保有や、
    敵基地攻撃能力の獲得の必要性を訴える声もまだ小さいが聞こえ始めてきた。
    しかし、仮に今この瞬間に日本がそのような能力を持っていたとしても、
    事態は大きく変わらないだろう。

     

    敵基地攻撃能力として、トマホークミサイルを持っていたとしても、
    それを運用する自衛隊の最高司令官である総理大臣が、
    発射命令を出す根拠法が日本には存在しないのである。

     

    現行法では、「防衛出動」が最もハイレベルな防衛行動だ。
    これは日本に対する外部からの武力攻撃が発生するか、
    武力攻撃が発生する明白な危機が切迫していると認められた時に限り、
    発令することができる命令だ。

     

    国会の承認が求められる等、様々な制約があるが、
    自衛権に基づき「武力の行使」が認められる。
    この防衛出動は、自衛隊法第6章「自衛隊の行動」のうち第76条に規定されている。

     

    現行法を運用して、北朝鮮のミサイル発射基地を攻撃するなら、
    恐らくはこの防衛出動として行うことになるのであろう。

     

    しかし、この防衛出動は過去一度も発令されたことはない。
    つまり、昨年末から続く一連の北朝鮮の行動では発令されないという事だ。
    よって、敵基地攻撃能力を持っていようがミサイルが打たれる現状は変わらない。

     

    「攻撃されなければ反撃できない」これが、
    現行の憲法9条下で許された専守防衛と言われる狂った概念だ。
    日本は、国民の犠牲が出る事を前提とした国防体制を取りながら、
    その犠牲を保証や援助する仕組みは無いのである。

     

    ■まず「打てる日本」にすべき

    8月29日の弾道ミサイル発射を受けて、韓国は即座に空軍による爆撃訓練を行った。
    「自分達を攻撃したらタダでは済まないぞ」という意思表示だ。
    日本は自国領内ですら、自衛隊にこのような訓練を実施せることは出来ない。
    憲法9条によって「武力による威嚇」を禁止しているからである。

     

    だから、いつも日本ができることは「強い抗議」「遺憾の意を表明」
    これだけなのである。
    言葉だけでなく態度として、
    北朝鮮近海の公海に海上自衛隊の艦船を派遣するくらいは普通だが、
    日本には、そのような事を可能とする法がないのである。

     

    これが日本の現状であり、現行法ではどんな装備を保有しようが抑止効果は無いだろう。
    打てない事が分かっている武器を幾ら保有したところで、
    相手から見ると怖くもなんともない。

     

    逆に言うと、武器を保有しなくとも「打てる法律を作る」だけで、
    抑止効果は格段に高まると私は考えている。
    日本の経済力、技術力が世界でもトップレベルにあることは、
    どこの国でも知っていることだ。

     

    北朝鮮は核ミサイルの開発に数十年をかけているが、
    仮にこれが日本なら数か月もかからないだろう。
    イプシロンロケット、H2ロケットと固体燃料、液体燃料の両方のロケット技術は
    実用化されている。
    はやぶさでも分かるように、大気圏への再突入技術も既にハイレベルで有している。

     

    北朝鮮が数十年かけて獲得しようと必死に努めている技術は、
    既に日本は全て持っている。
    F2戦闘機やF35戦闘機を爆撃機として改造することも、造作もないことだろう。

     

    国防上の最大の問題は、今装備を持っていない事ではなく、
    「装備を使う法律がないこと」に過ぎない。
    「日本が自らの意思で、自らを守る為に必要であれば、武器を使用する」
    どこの国でも当たり前にすることをできるようにするだけで、
    抑止力は大きく高まるだろう。

     

    北朝鮮をどうしてこれほど脅威に感じるのか?
    その理由は、金正恩が武器を手にしたら打つかもしれないと思うからだ。
    だから、日本の1県態度の国力しかない国を脅威に感じるのだ。

     

    そして、世界トップ10の常連である日本の軍事力が、
    北朝鮮に対して何の脅威も与えず、抑止力にならないのは、
    この国が、どんな武器を持っても打てない事を知っているからだ。

     

    国会では野党が、「グアムに攻撃があったら、日本の存立危機事態と認定するのか?」
    「安保法制の適用はあるのか?」このような質問ばかりがされている。
    このような国会を北朝鮮が観れば、日本は絶対反撃してこないと確信を深めるだろう。
    安心して日本を通過するミサイルをこれからも打ち続けられるだろう。

     

    ■日本には豊富な教訓がある

    幸いにして、まだ人的被害や物的被害は出ていない。
    しかし、既に電車が止まるような被害は出ている。
    今のうちに政府が国家国民を守る義務を100%発揮できる環境を整備すべきだし、
    万が一の被害が発生した際に、国が損害を保証する仕組みも構築すべきだ。

     

    1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生した際、
    自衛隊は国の命令なしには災害救助活動を行うことができなかった。
    地震発生時、最初に連絡が途絶した神戸の被災状況を確認したのは自衛隊だった。

     

    「訓練」の名目でヘリを飛ばし、空から炎に包まれた神戸市街を確認、
    その被害の大きさと深刻さを理解した自衛隊は、
    即座に災害救助の準備をし、「命令を待った」。
    しかし、当時の村山政権からその命令が出る事はなく、
    自衛隊が災害救助に本格的に動き出したのは、震災発生から4日後のことだった。
    もしも、発生直後から迅速に自衛隊が動いていたら、
    2000人以上の救えた命があったとも言われている。

     

    この教訓を受けて、災害対策基本法や自衛隊法が改正され、
    自衛隊への派遣要請に関する市町村の権限などが拡大され、
    東日本大震災に活かされることになる。

     

    その東日本大震災においても、「原発は絶対に安全」という建前の下、
    原発周辺の住民の避難計画や避難訓練は実施されておらず、
    福島原発の事故では、大変な混乱を生む要因となった。

     

    現在では、原発再稼働の条件として、
    こうした周辺住民に対する避難計画の整備も加えられている。

     

    日本は70年以上、戦争に巻き込まれる事はなかった。
    しかし、その代わりのように多数の自然災害に見舞われてきた。
    その都度、法律の不備が露見し修正をすることを繰り返している。

     

    もしも、災害発生前に法律が整備されていたなら、救えた命は沢山あったはずだ。
    だとするなら、法律の不備により亡くなった命は、
    日本政府による殺人と言っても良いのではないだろうか?

     

    ■国民を危険に晒す憲法に意味はあるのか?

    目の前で国民が苦しんでいるのに、それを助けにいけない自衛隊。
    そんな状態を生んでいる法律。
    この可笑しさなど、痛みを伴わなくても誰でも分かるはずだ。
    「想定外」などと言う軽い言葉で済ませて良い話ではない。

     

    「絶対に殴り返してこない相手だから恫喝している」
    こんなことは想定外でも何でもなく、誰でも分かるはずだ。

     

    もしも、金正恩に「日本は殴り返してくるかもしれない」と言う気持ちがあれば、
    ミサイルの発射実験は自制的になるかもしれない。
    そうでないとしても、ロシアや中国寄りに打つだろう。
    ロシアや中国は、北朝鮮にとっては友好国であり、
    交渉次第ではミサイル発射実験を認めてくれる可能性はあるだろう。

     

    勿論、友好国とは言え自国領近くにミサイルを撃ち込まれるのは嫌だろうから、
    今よりずっと本気で中ロは、北朝鮮を止めにかかるだろう。

     

    「憲法9条があったから日本は平和だった」
    などと言う幻想から、いい加減に日本人は目を覚ますべきだろう。
    憲法9条があったからベトナム戦争も湾岸戦争も、
    イラク戦争も参加しないで済んだと言う意見は自らを貶める発言だ。

     

    憲法上は戦争が可能でも、自らの意思で参戦しないという選択をする。
    それが主権国家というものだ。

     

    朝鮮半島危機がここまで大きくなった要因に、
    「何もできない日本」という存在は大きく関わっている。
    それが憲法9条によるものであるなら、憲法9条こそが悪であろう。
    平和憲法などでは全くない。

     

    我が国は、国民に犠牲が出る事を前提とした国防体制であり、
    その犠牲に対する賠償を、加害者に求める事もできない国である。
    この事実を日本国民は理解し、本当にこれで良いのかを熟慮すべきである。

     

     


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