クールジャパンに未来はあるのか?

2017.08.21 Monday

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    先日、今更ながら「君の名は」をBlu-rayで観た。
    私は恐らく一般とは少し変わっていて、レンタルを利用することは皆無で、
    とても観たい映画は劇場+Blu-rayで鑑賞し、
    少し興味がある程度の作品だと、Blu-rayのみで鑑賞する。

     

    観た後の最初の感想が、「何故これが日本映画を代表する作品なのか?」だった。
    2016年8月26日に公開された本作品は、
    公開3日間で96万人を動員、最終的にその数字は1000万人を超えるまでになった。
    興行収入も国内だけで250億円を突破し、邦画としては歴代2位となる。
    ちなみに、1位はスタジオジブリの「千と千尋の神隠し」だ。
    洋画を含めても歴代4位に位置し、まさに日本を代表する作品となった。

     

    確かに映像は綺麗だし、演出も高品質だろう。
    しかし、私から見ると単に見栄えの良いシーンをパッチワークした作品に過ぎず、
    そこに、感動も興奮も共感も一切なかった。
    視聴者の殆どが恐らく大人であろうことを考えると、
    ますます、このレベルの作品が日本を代表する作品になったことに違和感を覚える。

     

    同時に、日本の強みであったコンテンツビジネスの急速な劣化を強く感じる。
    目先のお金的には成功しているし、拡大もしているのだろうが、
    このままだと、そう遠くない未来にピークアウトし、衰退していくことになるだろう。
    今回は、日本のコンテンツビジネスについて考えてみたい。

     

    ■名作の必須条件はリアリティ

    さて、ある映画作品が名作と呼ばれるに足る条件とは何だろうか?
    私が最も重要だと考えることは、「リアリティ」である。

     

    ここで言う、「リアリティ」とは現実世界に近いことではなく、
    例えば魔法が使えるから、「リアリティがない」と言うわけではない。
    魔法が使える世界なら、その世界ではどんな法則で使えるのか?
    恒星間航行が出来るなら、それはどんな技術で可能なのか?
    そういった、その世界の法則がしっかりと定義されていること、
    これが、物語に必要なリアリティだと考えている。
    「世界設定」と言い換えても良いだろう。

     

    このリアリティが欠如していると、その作品は単なるご都合主義の連続になり、
    観る者に共感を与えることができなくなるだろう。

     

    一方でこのリアリティを作る作業は、膨大な時間と手間が必要になる作業でもある。
    スターウォーズのようなSF作品や、
    ハリーポッターやロードオブザリングのようなファンタジー作品においての、
    世界観の構築は膨大な手間となる。
    魔法もフォースも、異星人もモンスターも現実世界には居ないものなので、
    全てゼロから想像力を働かせて、地道に作り上げていくことになる。
    リアリティの追求とは、「新しい世界の創造」に等しい作業だとも言える。

     

    そして、こういった膨大な作業の結果が、
    実際の映像に反映される割合はとても少ない。
    特に2時間〜3時間程度の尺で表現する劇場作品では、
    せっかく手間をかけて世界を創造しても、その殆どが使われることは無いだろう。

     

    しかし、一見すると無駄に思えるこの作業が非常に重要になるのである。
    しっかりと構築された世界観の中に生きる登場人物は、
    まるで、現実に居る人物であるかのような存在感を発揮する。
    そして、そういった人物達で織りなされるドラマは、
    その内容がどんなに現実離れしたものであっても、
    観客に対して強い説得力をもって訴えかけ、共感や感動、時に恐怖を与えるのである。

     

    ■「時と場所を超えたラブストーリー」

    では、「君の名は」はそのような世界観の構築が出来ていたのだろうか?
    まず、この作品のあらすじを以下に纏める。

     

    この作品の舞台は現代日本である。
    主人公の立花瀧、ヒロインの宮水三葉は高校生であり、
    東京と山深い岐阜県の田舎街にそれぞれ住んでいる。

     

    ある日、彼らはお互いの精神が入れ替わるという体験をする。
    つまり、朝起きると瀧は三葉の体に乗り移り、
    逆に三葉は瀧の体に乗り移るのである。

     

    入れ替わるトリガーは睡眠であり、寝て起きると入れ替わる事がある。
    入れ替わるタイミングに法則性は無く、
    ある日、朝起きると突然入れ替わっている。

     

    当初2人は、夢を見ていると思っていたが、現実に入れ替わりが起きてることを確信し、
    入れ替わりが発生した時は、その日の自分の行動を日記としてスマホで共有する事にした。
    一種の交換日記に近いものだと言えるだろう。
    このような入れ替わりを繰り返すうちに、いつしか二人は惹かれあっていく。

     

    そんなある日、突然入れ替わりが起きなくなってしまう。
    そして想いが募った瀧は、実際に三葉に会う事を決意し、
    入れ替わった時の記憶を頼りに、三葉の住む街を目指す。

     

    苦労してその街を見つける事に成功するが、
    三葉の住むその街は、3年前に彗星が落下し消滅したことを知る。
    実は、入れ替わりは場所を超えているだけでなく、時間をも超えていたのだった。
    瀧が乗り移る三葉は、3年前の彼女であり、彼女は既に死んでいることが分かる。

     

    もう二度と三葉に会えない事を悟った瀧は、もう1度だけ入れ替わる事を願う。
    その願いが叶い、彗星が落下する直前の三葉に入れ替わることに成功した瀧は、
    彗星が落下する前に街の住人を避難させ、三葉を含む住人の命を救おうと奔走する。

     

    簡単に纏めると、このようなあらすじとなる。
    作品のテーマは、「時と場所を超えたラブストーリー」と言ったところだろうか。
    こういった設定は特段目新しいものではないが、その点は問題ではない。
    全く今までにない独創的な作品などは、そう生まれるものではないし、
    そういった独創性は、名作の条件にはならないだろう。

     

    ■説得力のない恋愛感情

    恋愛をテーマにした作品において最も重要な点は、
    「二人がどのようにして惹かれあうのか?」だろう。
    ラブストーリーである限り、簡単に二人が結ばれるようでは物語にならず、
    何かしらの高い障害が二人の間に現れる必要がある。

     

    「君の名は」においては、物理的、時間的な距離や、
    実は三葉は死んでいたという点が、そういった障害になると言える。
    相手に対する想いが強くなければ、高い障害は超えられないだろう。
    だから、設定される障害が高いほど、より深い愛情が育まれる過程に説得力が必要となる。

     

    しかし、本作においてそのような説得力は全くない。
    瀧と三葉の接点は、入れ替わった際に書く交換日記だけだが、
    入れ替わった時にどのような行動をし、それをどのように日記で伝えるのかは、
    主題歌に乗せてダイジェストのように、流されるだけだ。
    時間にして、数分といったところだろうか?
    特に大きな事件が起こったというような描写もなく、
    なぜ、これだけでこの二人が恋心を抱くのかが全く共感できない。

     

    映像をそのまま解釈するなら、単に「見た目が気に入ったから」に過ぎなくなる。
    男女が入れ替わる設定なので、思春期の高校生が異性の裸を見ることになり、
    「身体が良かったから」とみる事も出来るる。
    実際、作品では瀧が朝起きて三葉に入れ替わった際、
    必ず胸を揉む描写がされている。
    この描写に、一体何の意図があったのかも不明だ。
    恐らくは観衆の性欲を刺激する描写に過ぎないと思われる。

     

    瀧にはバイト先に憧れの年上の先輩がいて、
    この先輩との関係も良い感じに縮まっていくのだが、
    それでも尚、三葉に惹かれる理由が全く作品では表現されていない。

     

    中盤以降の展開は、瀧が三葉に強い恋心を抱いている事を前提とし、
    その気持ちを原動力として進んでいくのだが、
    「この程度の接点でなぜそんなに好きになる?」という違和感しか覚えない。

     

    ■ある種のJKビジネス

    三葉に会う為に、岐阜県の山奥に向かうシーンも説得力に欠ける。
    東京に住む高校2年生が、そんなに簡単に遠く離れた岐阜県に行けるだろうか?
    しかも、住んでいる正確な場所も分からず、連絡も取れない状態でだ。

     

    こういったシーンを作るなら、主人公は社会人か最低でも大学生に設定すべきだろう。
    なぜ高校生という設定にしたのだろうか?
    これも昨今のJKビジネスのように、性欲を刺激するためだけの設定にしか思えない。
    短いスカートを履いて、下着が見えそう(見える)なシーンを作るためだけの設定だろう。
    ※実際に三葉のパンチラシーンは存在する。

     

    高校生の設定にする意味は全くなく、
    むしろ、作品全体のリアリティを大きく欠落させる要因にしかなっていないと言える。

     

    彗星の落下から街を救おうとする時、
    この高校生が、彗星が落下することを町長に訴え、
    取り合ってもらえない事を知ると、
    街の送電施設を壊し停電をさせた後に、
    放送システムをジャックし偽の緊急避難指示を出すのである。

     

    大人でも難しいであろう、上記のような事を高校生が行うのである。
    しかも、瀧も三葉も特別な能力やカリスマがある人間とは描写されておらず、
    ごく普通の高校生として描かれているのである。

     

    三葉については、古い神官の一族であり、巫女であることが劇中で描写されている。
    何か特別な役割や力を持った血統であるかのようだが、
    実際、劇中では一切それが語られることも、関わることもない。

     

    三葉の祖母の話として、先祖の何人かも入れ替わりを体験していたことが語られるが、
    そういった事実のみ語られるに過ぎず、物語全体に何ら影響を及ぼさない。

     

    結局、三葉が巫女だという設定も、見栄えの良い儀式のシーンを作りたかっただけであり、
    巫女衣装に身を包んだ可愛い女の子(女子高生)を描きたかっただけであろう。
    そう考えると、これも性欲を刺激するためだけの設定に過ぎないと言える。

     

    ■リアリティの欠如

    極めつけは終盤の山場のシーンだ。
    瀧の願いが叶い入れ替わる事無く、時空の歪みを通して三葉と会話するシーンがある。
    このシーンの少し前から、入れ替わりが終わった後は、
    双方ともに、入れ替わっていた時の記憶が消えていくという事が分かるのだが、
    そこで、瀧は三葉に彗星が落下することを伝え、
    分かれてもお互いの名前を思い出せるように、手に名前を書く事を提案する。

     

    瀧が三葉の手に書き、三葉が瀧の手に書こうとした時に時空の歪みが消え、
    三葉の前から瀧の姿は消えてしまう。
    その後、三葉は短時間で徐々に瀧の名前を忘れていくのだが、
    思い出そうと自分の手を見ると、そこに書いてある文字は、「好きだ」という文字だった。

     

    正直、笑ってしまった。
    口では言えない言葉を、このように伝えるシーンは恋愛モノでは王道だが、
    生死に関わる緊迫感がある場面で、やることではないだろう。
    しかも、記憶が消え名前を忘れていくのを知っているにも関わらずだ。

     

    全編を通して、この作品の各シーンには大きな意味がない。
    単に見栄えの良いシーンを作る、性欲を刺激する、
    そのような商業的な目的しかないシーンばかりだ。

     

    10代の思春期の少年少女なら、これでも楽しめると思うが、
    とても大人の鑑賞に堪えうる作品とは思えない。
    世界観の構築が全くできておらず、リアリティが皆無なのである。

     

    ■劣化の象徴であった「君の名は」

    しかし、それでも1000万人の鑑賞し、多くの人が高評価を与えている。
    DVD、Blu-rayの売上は出荷ベースで100万枚を超える。
    これは驚異的な数字であり、興行的には偉大な成功を収めた作品なのは確かだ。

     

    だからこそ、私は日本のコンテンツビジネスの先行きに不安を覚える。
    ビジネスである限り、売上・収益の拡大は追求される。
    そして、ユーザがこの程度のものしか「面白い」と思えないなら、
    今後、日本のコンテンツの質はどんどん劣化していくだろう。

     

    実際に、そのような劣化はTVでは既に顕著に現れている。
    最近の番組は、どこの局でも朝から夕方まではワイドショー、
    そこからはバラエティー番組ばかりだ。

     

    そのバラエティー番組も、ひな壇に芸人を並べてトークするか、
    身近な場所をタレントが「散歩」する姿を流すような番組ばかりだ。

     

    「インターネットの普及でTV離れが進んだ」と言われて久しいが、
    これは正確ではないと私は思う。
    「TVがつまらなくなった」からネットに流れているのだ。

     

    実際、TVやネットに限らず動画の視聴時間自体は拡大している。
    WOWOWなどの有料放送は視聴者数を伸ばしているし、
    月額固定型の動画配信サービスも概ね好調だ。

     

    芸人がダラダラ喋っている番組や、散歩風景などYouTubeの素人動画と大差ない。
    だから、多くの若者はネット動画の視聴にTVから移っているのである。
    しかし、そんなネット動画も所詮は素人が作ったものに過ぎない。
    予算もかけられないので、チープな作りで、
    最初は目新しくとも直ぐに飽きてしまう。

     

    そして、飽きたらまた目新しさだけを求め、他を探す。
    確かに、ネットの世界にはそういった欲求を満たすだけの“量”が存在するだろう。
    しかし、ネットに質の高いコンテンツは殆どないのが実情だ。
    その道を勉強し日々精進しているプロ達が、予算をかけて作るものに
    質の面で素人が勝てるなどと言う事は、本来有り得ない。

     

    しかし、今の日本のTV業界、
    とりわけ地上波は素人動画と大差ない番組を垂れ流している。
    ワイドショーや報道番組は、偏向報道を時に捏造してまで流している。
    これでは、クリエイターが劣化し、
    コンテンツ産業全体が衰退することを避けられないだろう。
    「君の名は」という作品は、そういった日本のコンテンツ産業の劣化を象徴する作品だ。

     

    ■真似できない日本の宝

    アニメやゲームなど日本のコンテンツは、大変な宝だ。
    自動車やハイテク産業は、結局のところ「同じものを大量に安く作る」がゴールとなり、
    必ずいつかは新興国に取って代わられる。

     

    しかし、アニメやゲームなどはそうはならない。
    例えば、日本のアニメは漫画を原作としているものが殆どだが、
    多くの日本の漫画は、日本語を思考言語としないと描けないものが多い。
    絵を描く技術や、動画を作る技術は学べるし、真似する事もできる。
    だから、日本のアニメーションでも、中国や韓国で制作されるものも多い。

     

    しかし、思考言語はその国で生まれ育たなければ得る事ができない。
    そう簡単に真似できるものではないのである。
    逆に言うと、思考言語が日本語でなければ作れないものが、
    英語圏やフランス語圏でも評価されるというのは凄いことなのだ。

     

    音楽はそうはなれなかった。
    だから、日本の音楽は世界的な成功を収める事は難しい。
    実写映画も同様に、時代劇やヤクザものが世界で受け入れられることは無い。

     

    しかし、アニメや漫画、ゲームは日本独自のものが世界的に受け入れられたのである。
    これは貴重なものであり、未来に向けての大変な財産だ。
    本当ならば、こういった世界に受け入れられる、
    日本独自の真似されない文化を大切にし、育成し、未来に紡いでいくべきなのだが、
    残念ながら、現状は過去の遺産を食いつぶし衰退に向かっていると言えるだろう。

     

    ■楽に人気者になりたいだけのクリエイター達

    良質なコンテンツに触れていなければ、良いクリエイターは生まれない。
    且つては良質なTV番組を見て、その道に憧れ目指した若者が多かった。
    現代は、人気YouTuberの配信を見てユーチューバーに憧れる若者が多い、
    ユーチューバーに憧れる人は、何か表現したいものがあるわけではないだろう。
    単に、視聴数を取りたい、つまり「人気者になりたい」だけだ。
    しかも、「楽して」だ。

     

    「楽して人気者になりたい」
    これは、現在のTV局や映画会社も全く同じなのではないだろうか?
    それを「視聴者の求めるものを作っている」という、
    尤もらしい言葉で正当化しているだけだ。

     

    最近では、視聴料をとっているNHKですらその傾向が強い。
    CMの無いNHKは、スポンサー獲得の必要性がないのだから、
    本来は、民放に比べると視聴率はそれほど気にする必要はないはずだ。
    にも拘わらず、大衆に迎合し質の低いコンテンツを量産しているのが現状だ。

     

    2016年の大河ドラマ「真田丸」は、真田信繁(幸村)を主人公にしながら、

    合戦シーンが殆どなかった。

    真田信繁(幸村)は、関ヶ原の戦い、大阪夏冬の陣で活躍した名将であり、

    彼の人生を1年かけて描くなら、合戦シーンは必須になるはずだ。

     

    合戦シーンは撮影に費用もかかる。

    関ヶ原の戦いや大坂の陣のような、日本史に残る大合戦なら尚更だろう。

    だからこそ、日本のフラグシップとしてNHKが予算をかけて作るべきだ。

    合戦シーンのようなものは、絶対に素人がYouTubeで配信することなどできない。

     

    2017年の大河は、「女城主 直虎」で、井伊直虎を主役にしている。
    しかし、井伊直虎はその存在自体が創作だという説もあり、
    到底、日本史に名を残す人物とは言えない。
    存在が史実だったとしても、さしたる偉業を成した者でもない。

     

    単に、現代の「強い女性」という価値観から選ばれた人物なのだろう

     

    ■子供を社会の宝と言うのなら・・・

    民放では、久しく時代劇はやらなくなり、
    現代日本人が自国の歴史に触れる機会は、大きく減ってきているだろう。
    学校の授業で歴史に興味をもてなければ、大人になってもずっと遠い存在のままだ。

     

    今、日本で歴史好きの人の決して少なくない数は、
    そのきっかけは大河ドラマや、ゲームではないだろうか?
    光栄の歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」「三国志」
    NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」「義経」「太平記」、
    大河ドラマではないが、「人形劇三国志(NHK)」も秀逸の出来だ。

     

    これらは、楽しみながら歴史に触れる大切な機会だったはずだ。
    合戦シーンも殆どない真田丸を見て、子供達は歴史に興味を持つだろうか?
    実在が疑わしい、女性城主を見て子供達は何を思うのだろうか?

     

    「子供は社会の宝」だと美名を掲げ、
    その一方で、子供達から良質なコンテンツとの出会いを奪う。
    大きな矛盾ではないだろうか?

     

    地上波で放映されるアニメの数は、昔に比べて爆発的に増えた。
    しかし、その殆どは深夜に放送され、
    内容も性的な刺激を与えることを意識したものばかりだ。
    “グッズを売る為”に注力した、キャラ設定やシーンばかりが溢れ、
    世界観の構築は陳腐なものばかりになり、三か月から半年程度で話は終わる。

     

    漫画の世界は、子供の教育に悪いという理由で、学生の飲酒や喫煙シーンはNGとなり、
    不良ものでもタバコも吸わない、無免許運転もしない「良い不良」が主役だ。
    実世界はそんなに綺麗なものではないのに、
    架空の世界だけを綺麗に描いて、その先に何を望むのだろうか?

     

    一方で、性的なシーンに対しての規制は緩く、
    未成年のキャラクター達が、露出度の高い服装で下着を頻繁に晒す。
    若い子が簡単に売春をする理由の1つではないだろうか?
    現代では、男子高校生が買い手になるケースも少なくないのだ。

     

    ゲームも、収益源がパッケージ販売から、殆どギャンブルであるガチャに移行した。
    そして、「いかに射幸心を煽るか?」に注力するゲームデザインが増えている。
    スマートフォンの普及台数は人口に比例するので、
    アメリカは日本の2倍近くスマートフォンが普及している。
    しかし、課金額は日本がアメリカを2倍以上引き離して世界トップだ。
    子供たちを幼い頃からギャンブル漬けにする国に未来はあるのだろうか?

     

    ■悪貨は良貨を駆逐する

    アイドルはその辺のどこにでも居る子が、気軽になろうとする。
    ダンスも歌も、そしてルックスも抜群に秀でたものがないのに、
    企業がブームを作り、粗悪品のアイドルを量産する。
    AKBグループはその象徴であり、学芸会と大差ない。

     

    韓国のアイドルは、ハリウッドから著名な演出家などを呼び、
    厳しいレッスンを受け、プロの技を身に付けさせる。
    韓国のアイドルグループと、日本のアイドルを並べるとその差は歴然だろう。

     

    音楽は2000年前後までのアーティストのカバー曲が溢れる。
    宇多田ヒカル以降、10年以上業界をけん引できるアーティストが生まれただろうか?

     

    お笑い業界も似たようなものだ。
    毎年、様々な芸人が出てくるが一発屋で終わるのばかりだ。
    インパクトのある一発芸ばかりで、基本の漫才・コントができないのだから当然だろう。
    そんな一発芸人を、直ぐにドラマの主役に抜擢するのだから、
    TVドラマの質も劣化の一途を辿っている。

     

    良質なコンテンツが生まれる土壌は、直ぐに作る事はできない。
    今を生きる世代が、フラグシップ足り得るコンテンツを作り、
    それに触れた次の世代が、新しい担い手となるべく技や感性を磨くのである。

     

    アニメやゲームを中心とした、クールジャパンと呼ばれるコンテンツビジネスは、
    これからの日本の未来を支えるものになれる可能性はあった。
    ただ、残念ながらその可能性は潰えた言っても良いかもしれない。
    クールジャパンの未来は暗いだろう。

     

    ただし、日本にはまだまだ圧倒的な先人たちの貯金がある。
    「クリエイターとは何か?」「良質なコンテンツはどうやって生まれるのか?」
    そういったことを、もう一度見つめ直し修正できるのなら、
    100年後にも通用する、真のクールジャパンを作れる可能性はまだあるだろう。

     

    悪貨は良貨を駆逐する。
    そして、悪貨に溢れた世界からはもう二度と良貨は生まれないのである。

     

     


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     今、日本のアニメやゲーム、マンガなどが世界で高い評価を受けている。それは何故なのか?

     実は、多くの才能が、大学や大企業のような既得権の高い壁で守られた世界に入れて貰えず、あぶれてアニメやゲーム、マンガなどの世界へ流れたからこそ、才能のふきだまりと化したそれらの分野が異常発展したように思うのだ。

     私の分析によれば、日本では、才能ある異端者を権威が振り落とし、振り落とされた才能が自発的に、高濃度に、権威の外側の特定ポイントに集中し、全く新しいムーブメントを発展させる・・・そのような隠された仕組みがあるようなのだ。そうやって作りだされた新しいムーブメントが発展した後は、その分野も権威から認められて、新しい権威として引上げられる事になるのだが・・・。

     今は、アニメやゲーム、マンガがなどの分野が、国や大学、大企業などの権威に認められ、既得権化し始めている。すると、皆がその分野を目指し、○○大学アニメ学科、ゲーム学科、マンガ学科などを優秀な成績で卒業しないと、もう、その分野には入れない。けれども、そうなると、何故かその分野の新たな発展は、頭打ちになってしまうのだ。

     多分、真の才能を持つ偏った天才(見方によると異常者みたいな人)が、もう、その世界に入れなくなるからだ。でも、それで良いのだ!、既得権でガチガチになった権威主義の世界では、真の才能は育たない。そして、既存の枠組みからあぶれた、真の才能(異能者)達が高濃度で集まる新しい分野が自発形成されてくる。

     そうした新陳代謝が、日本の永久発展の本当の仕掛けだ!、大学や大企業・国などは、産業創出に殆ど関係しない(次に、何が発展するか・・・それは予測できない・・・だが、次期発展分野には、誰もお金を出したりしないのに、もう既に自然と、もの凄い才能がふきだまり始めているはずだ・・・もしかして愛国保守の分野か!?)。

     かつての日本の自動車やエレクトロニクスなども、一切、計画されたムーブメントでは無かった・・・それを日本で最初に始めた者は、本田宗一郎や井深大などの、はみ出した才能たち。はみ出した才能が、社会の常識に反発し、独自の信念で作り上げた。それ故、凄い事ができた。でもその試みが成功し、その分野が既得権化・常識化すると、次はバランスの取れた器用な人がその分野を目指して努力しだす。そうすると、その分野には、真の才能を持つ不器用な人は、もう入り込む事ができない。

     けれどもそれが、結果的には良い。

     真の才能を持つ不器用な人は、完成した時計の様に精緻な器の中では、才能を発展できない。周囲と調和できず、うまく呼吸さえ出来ないのだ。
    http://d.hatena.ne.jp/NOFNOF/20121010/1349856408
    • by ななしさん
    • 2017/08/24 11:11 PM
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