表面だけの豊かさに囚われる日本社会

2020.07.03 Friday

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    戦後、日本は奇跡とも言われる程の復興を果たし、
    世界でも有数の経済大国となった。

     

    今や日本人で、自分が飢える事をリアリティを持って考えられる人は殆ど居ないだろう。
    食べ物があり、住む家があり、電気や水道が好きな時に使え、
    病気になったら医者に診て貰える。
    こういった事は、「当たり前」の事と思っている人が殆どであり、
    実際、確かにそのような社会でもある。

     

    こういった側面を見ると、確かに日本は豊かになった。
    しかし、こういった豊かさは表面的な豊かさに過ぎず、
    砂上の楼閣のような脆さに支えられた豊かさが崩れ去る予感を、
    多くの日本人が、いつも感じているだろう。

     

    「もし寝たきり老人になったら・・・」
    「もし収入が減り住宅ローンが払えなくなったら・・・」
    「もし幼い子供を抱えて夫と離死別したら・・」

     

    いざとなっても、誰からも助けてもらえない不安と、
    人間社会から排除されてしまう不安とで、果てしない飢餓感に追われている。
    そして、その飢餓感から逃れようと、もっともっととカネを貯め続ける。

     

    自由や多様性を声高に叫ぶ一方で、社会はカネに支配される。
    カネとモノをひけらかして金持ちぶりを自慢し続けると言うことに中には、
    実はそれしか自慢するものがないという社会の貧しさがある。

     

    人間の生活にとってカネとモノは、本来、生活に必要なだけあれば良い。
    人生にとってカネは手段であり目的ではない。

     

    家族や愛する者との健康で楽しい生活。
    趣味、やり甲斐のある仕事。
    人生の充実感、無目的な友情、自然と共にある安らぎ。
    そういった事が充たされる事が豊かさだ。

     

    やり甲斐を感じられない職場や仕事で年収300万円を貰っている人が、
    全く同じ環境で年収だけが600万円になったとしても、
    その仕事がやり甲斐のあるものに変わる事は無い。

    つまり、収入が増えることは豊かさに必ずしも繋がらない。

     

    企業が投資の為の投資するのは、限りない自己増殖を続ける事が目的だが、
    個人の生活の求める目的は違う事が当然だ。
    それなのに、現代の日本人は、個人も企業のようになり、
    株や不動産投資に夢中になり、挙げ句の果ては教育すら投資と見なすようになった。

     

    そんな大人達を見て育つ子供達も、物質的な損得を常に考え、
    損をすることには手を出さず、弱者を庇うこともしない。

     

    豊かさは、必然的に落ち着いた安堵の情感や人生を味わうゆとりをもたらす。
    そして、そういった中でしか人間は他者への思いやりや共感を持てない。

     

    日夜飛び交う、SNS上での誹謗中傷。
    自分にも社会にも殆ど関係ない、他者の失敗に対しての謝罪要求。
    「怪しい」というだけで政治家を引きずり下ろそうとする世論。

     

    そこに、余裕(寛容性)や他者への思いやりは一切見えない。
    SNSでの誹謗中傷で自殺を選ぶ人が存在する事が、
    今の日本社会の貧しさの現れであり、
    本来、国民的な議論になるべきは、こういった事に対する厳罰化などではなく、
    「何故、このような貧しい社会になったのか?」であるべきだ。

     

    日本が現在のようになってしまった原因は、
    どの時代にもある人間の貪欲や利己心という心の問題も勿論大きいだろう。
    しかし、それだけに理由を求めるには、
    今の日本社会には、あまりに大きな問題がありすぎるように思われる。

     

    いま私たちを駆り立てている金銭至上主義と効率万能主義の時代精神は、
    いったい何から由来するのであろうか?
    何故、日本社会が現在のように貧しくなってしまったのかを考えてみる。

     

    ■時間を奪い続ける社会

    首都圏や大都市部で生活する多くの人々の毎日の行為を振り返れば、
    殺人的なラッシュアワーの電車やバスに乗り遅れないように、
    他人を押しのけ、片道1時間半、往復3時間を、
    超満員の車内に立ちつくして通勤しなければならない。

     

    現代日本の人口の約半分はこういった三大都市圏に集中している。
    その反面、地方は過疎化に悩まされているが、
    その地方都市でも、公共交通の欠如のために、
    営業車や通勤自家用車の渋滞が日常化し、
    それにより通勤に要する時間は長時間化している。
    更に、そんな辛い往復時間に加えて、日常化されている残業がある。

     

    子供が小さい頃は、朝、子供の世話もそこそこに家を飛び出し、
    職場につけば仕事の連続で、昼食さえも満足にできない。
    家に帰れば家事をこなし、ただ予定の連続の中に1日が終わっていく。

     

    子供達を常にせかせては「早く」「しっかりして」ばかり言い、
    そこに子供がいるだけで楽しく幸せな思いを感じる事は何度あるだろうか?
    本来、子供がいる時間はそれだけでかけがいのない人生の大切なひとコマだ。

     

    子供は子供で、宿題や試験に追われ、
    自然の中を友達と駆け回り遊ぶ余裕もなく、
    学校の管理と、受験戦争に喘いでいる。

     

    そんな子育てはカネがかかる。
    だから多くの主婦は教育費の為にパートに出かける。
    親子の会話はますます少なくなり、一人で食事をする子供が増えている。

     

    主婦がパートに出る理由は、
    教育費、住宅ローン、老後のため、がいつもトップに挙がる。
    言うまでもなくこれらは、「今の生活をできるだけ豊かにする」事に繋がる目的ではない。

     

    近所の人達と良い人間関係や、生活環境を作り出すようなゆとりを持つ人は稀になり、
    老人の相手をする人もなく、
    入院した家族の為に乳幼児を連れて病院通いをする若い母親の姿を見ても、
    手を差し伸べる人は滅多にいない。

     

    それは、人間が意地悪になり、欲張りになったからではないだろう。
    効率競争が、家族をバラバラに引き離し、友情を忘れさせ、
    人々が共有する未来について、
    あるいは自然と共に生きる人間の生き方について、
    考える時間を奪い去ってしまった。

     

    その結果、殆どの日本国民は経済戦士となるべく育てられ、
    企業戦士として生き、老後や病気は、自己責任で始末しなければならない。

     

    政府が進める働き方改革は、こういった現状の解決策の1つに見えて,
    実はより悪化させる政策でしかない。
    何故なら、働き方改革の柱は「労働生産性の向上」であり、
    効率主義をより推し進める政策に過ぎないからだ。

     

    ■真の豊かさが日本の強さだった

    元々、経済活動は、人間を飢えや病苦、長時間労働から解放するためのものであった。
    経済が発展すればするほど、
    ゆとりある福祉社会が実現される筈のものであった。

     

    それなのに、日本は全く逆になってしまった。
    日本は金持ちになればなるほど、
    人々は更に追い立てられ、子供は偏差値で選別され、
    豊かな自然に囲まれた原風景は破壊されていく。

     

    競争は人間を利己的にする。
    一方が利己的になれば、他の者も自分を守るために利己的にならざるを得ないから、
    万人は万人の敵となり、自分を守る力はカネだけになる。

     

    日本は世界で唯一、白人の侵略をはね除け独立を守る事ができた国家だった。
    それは、日本だけが効率を競い、同じ国民同士で過度な競争をすることをしなかったからだ。

     

    聖徳太子の作った十七条憲法の第一条、「和を以て貴しとなす」とは、
    まさにそんな日本の精神を現したものと言えるだろう。

     

    だから、日本人は先の大戦でも天皇陛下が戦争を止める事を宣言するまで、
    一致団結して戦った。
    敗色濃厚になり全土が空襲で焼かれるような状況になっても、
    国内で反乱が起きる事は無かった。

     

    ナチスドイツの総統ヒトラーは、
    単独犯と組織的なものを合わせて少なくとも42回の暗殺が企てられている。
    利己的な集まりでしかないヒトラーの側近達にとって、
    落ち目の総統に付いて行く事は全くの損しかないのだから、
    これは当然の事だろう。

     

    しかし、この日本を日本たらしめてきた精神は、今消滅の危機にあると言って良い。
    現代日本では、人間の能力は、経済価値を増やすか否かで判断され、
    同じように社会のための働いている人であっても、
    経済価値に貢献しない人は認められる事が少ない。

     

    福祉のために献身的に働く人が高く評価されることはない。
    そんな仕事をしている人よりも、
    孫正義のようなカネ儲けに長けた人だけが高く評価される。

     

    人間は常に他者に認められたいという欲求を持っており、
    他者に認められたと言う実感無しに生きていくことは出来ない。

     

    カネを稼ぐ能力でしか他者に評価されない社会では、
    カネが無ければ他者に認められたと言う実感を得ることができない。

     

    ■敗戦で豊かさの道を踏み間違える

    一体どうしてこのような社会に日本はなってしまったのだろうか?
    その大きな理由の1つは、間違いなく1945年夏の敗戦だ。

     

    敗戦の翌年、1946年当時の鉱工業生産は、1936年に比べて約29%しかなく、
    国民所得は約57.1%に、都市の消費水準は約55.4%にまで落ち込んだ。

     

    1946年6月10日に共同通信が行った調査によると、
    一日に一度だけ食べている者が71%、一度も食べない者が15%となっている。

     

    現代日本からは想像もできない状況だが、
    まだ日本人の五分の一の人は、こうした飢えに苦しんだ戦前の記憶を持っている。
    戦前の貧しさや戦争中の飢えを知る者にとって、窮乏は恐怖だ。

     

    そして、そんな経験を持つ祖父母や親に育てられたのが、
    現役の世代であるから、モノとカネにしがみつき、
    全てを金銭で評価する時代精神から脱却することは、
    なおまだ難しいのかも知れない。

     

    加えて、戦後の歪められた教育も金銭至上主義からの脱却を難しくしている。
    現代日本人の殆どは、あの戦争は「忠君愛国」の精神主義や「天皇の絶対的権威」の下、
    軍部に導かれて善良な国民が引きずり込まれたと教えられている。

     

    だから、現代日本では命にとっては、哲学よりも、モノとカネが大事であるという、
    ある種の国民的合意が成されており、精神主義は嫌悪される。

     

    精神主義による判断は、しばしば独善的な過ちに向かって暴走するが、
    モノとカネを幾ら作り出したか、という金銭的価値判断は、
    理屈抜きに、誰の目にも合理的な客観性を持っている。

     

    だから、例えば「教育の無償化」は、

    高卒より大卒の方が生涯年収は高い。
    この差を是正する為に、親の経済力にかかわらず誰でも大学に行けるべきであり、
    全ての国民が大卒となり、生涯年収が上がれば税収も増え社会全体の幸福に繋がる。
    このような理屈が作られ、多くの国民がこの理屈に納得する。

     

    現代日本では、教育とはカネ儲けの手段でしかなく、
    「愛国心」や「道徳心」、「豊かな感受性」を育むと言った目的は脇に追いやられる。

     

    戦後の貧しさを体験した世代が、モノとカネの豊かさに夢中になるのは、
    無理からぬ事かも知れない。
    しかし、今の日本の教育を改めなければ次の世代も、その次の世代も・・・
    モノとカネしか無い価値判断から脱却することは難しいだろう。

     

    ■白人化する日本人

    敗戦以外のもう1つの大きな理由は、「西洋信仰」だ。
    これは、歴史的には大正時代から始まったと見て良いだろう。

     

    西洋文明の積極的導入は明治時代から始まったが、
    明治の頃は、まだまだ日本的精神は残っており、
    それを土台に西洋文明を取り入れていった。

     

    だからこそ、当時、極東の小国に過ぎなかった日本が、
    大国である清やロシアに勝利することができた。

     

    しかし、大正になると日本的精神は忘れ去られ、
    西洋的な価値観を、深く考える事無く進歩的なものと捉え導入していく。

     

    大正デモクラシーはその象徴と言える。
    政党政治や普通選挙法の実現など、西洋的な民主主義を求める動きが高揚したのが、
    大正デモクラシーだ。
    その結果、明治以前にあった日本的民主主義は失われ、
    西洋的民主主義が理想の姿として追い求められる。

     

    歴史を見ると、明らかに明治は上手くいった時代だ。
    そして、大正以降、日本は間違いばかりを犯すようになり、
    その行き着いた先が対米開戦とその敗北だ。

     

    支配と従属、所有と搾取、文明と野蛮、優越と劣等・・・
    こういった白人社会の価値観は日本人の精神には無いものであり、
    だからこそ、明治まで、日本は白人からの支配を退ける事ができた。

     

    その事を忘れ、白人の価値観に染まった結果、
    敗戦したのは当然の帰結だと言えるだろう。

     

    現代日本における「西洋信仰」は大正や戦前昭和に比べ、より強いと言えるだろう。
    TVや新聞が国内問題を語る時、必ずと言って良いほど、
    「アメリカでは」「北欧では」「フランスでは」と言った言葉が踊る。
    欧米が日本に比べ、優れている事を前提にしている事は明らかだろう。

     

    世界で最も戦争を行い、人を殺し、略奪をしてきたのは紛れもなく白人達だ。
    女性や同性愛者、身体障害者を最も虐げてきたのも、
    自然を最も破壊してきたのも白人達だ。
    そんな彼等が、日本人よりも進歩的で優れているわけなど絶対に無い。
    「西洋信仰」から解き放たれる事は、豊かな日本社会を再生する為に欠かせないだろう。

     

    ■豊かさを取り戻すために

    教育や西洋信仰が、現代日本の貧しさの根源だったとしても、
    これを解決するのは個人には難しいと思える。
    だが、個人でも出来る事はある筈だ。
    むしろ、個人が出来る事をして、自分を変えていかなければ社会が変わる事はない。
    それどころか、悪化の一途をたどる事になる。

     

    まず、我々個人がやるべき第一歩は、
    「自分はどんな時に幸せか?」を深く考える事だろう。

     

    そうすることで、幸せな時を過ごす為に、
    実はお金はそれ程必要では無い事が見えてくるだろう。

     

    外で豪華な外食をするよりも、
    家族で子供と一緒に手料理を作り、小さな食卓を囲む食事の方が、
    間違い無く多くの人にとっては幸せを感じられる時間の筈だ。

     

    渋滞に耐え、遠くまで足を伸ばし、豪華なホテルに泊まる連休よりも、
    近くの公園や海辺、山、川に家族で出かける連休の方が、幸せな時間の筈だ。
    日本は何処に住んでいても、町から少し離れるだけで豊かな自然がある国土であり、
    これは神様が我々にくれた大切な贈り物だ。

     

    次に我々は「善い人間」になろうとすることだ。
    現代日本人の多くは「悪い事をしない事」が「善い事」だと思っているが、
    これは大きな勘違いだ。
    善行をした人が善い人なのである。

     

    何が善で何が悪を定義できるのは宗教だけだが、
    どんな宗教でも「他人の為に何かを成す事」は善行とされている。

     

    貴方がルールを完全に遵守していたとしても、
    善い事をしていないのなら、あなたは善良な市民ではない。
    逆に、多少ルール違反をすることがあったとしても、
    他人の為に何かをしているなら、その人は善い人だ。

     

    そして、善い人に対しては感謝の気持ちを持つ事が大切だ。
    「感謝」は日本人の精神の支柱だと私は思う。

     

    ご飯、お茶碗、お箸、お魚・・・
    人間が作った物や食料にまで敬語を付ける文化があるのは日本だけだろう。
    自然の恵みに感謝し、その恵みを届けてくれる人にも感謝する。

     

    どんな仕事に就いていたとしても、
    その仕事は必ず誰かが必要としているから存在している。
    その事を理解し、感謝することが出来たなら、
    自分も他の誰かに感謝されている事が分かる。
    そして、それは自分が「他者に認められた」という実感に繋がるだろう。

     

    現代日本は感謝の気持ちを忘れつつある。
    どんなに安倍政権の政治に気に入らない事があったとしても、
    彼等は自ら手を上げて、国家全体の為に仕事をしている。
    その事にまず感謝すべきであり、批判はその感謝の気持ちの先にあるべきだ。

     

    芸能人は歌や芝居、芸で社会に楽しみを提供している。
    その事にまず感謝すべきであり、
    不祥事に対する批判はその先にあるべきだ。

     

    「感謝」の気持ちは、本当の友人や家族を持つ事に繋がり、
    「誰からも助けて貰えない」という不安を和らげてくれる。

     

    「誰からも助けて貰えない不安」の解消を、
    国家に委ねても、永遠にその不安から逃れる事はできない。
    国家というシステムに助けを求めても、必然的にできることはカネを配る事だけになる。
    そして、「財源」や「増税」という話になり、
    将来のカネの為に、もっとカネを稼がなければと追い立てられる。
    本当の友人や家族を持つ事ができれば、そんな飢餓感からは解放されるだろう。

     

    効率を追い求め、時間を奪いとられる生活を直ぐに変える事は多くの人にとっては難しい。
    しかし、自分にとっての本当の幸せを考え、
    他者に対する感謝を心掛ければ・・・
    一人でも多くの日本人がそうすることで、
    きっと日本社会が持っていた豊かさは取り戻せるだろう。

     

    日本は歴史の殆どの時間で世界一豊かな国だった。
    我々日本人の身体には、そんな世界一豊かな国を作り上げた、
    先祖達の血が間違いなく流れている。
    もう一度、豊かな日本を作る事は決して不可能ではない。

     

     


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