日本史に学ぶ8−明治最大の改革「廃藩置県」−

2020.06.08 Monday

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    JUGEMテーマ:歴史

     

    明治政府の行った様々な改革で最も重要な改革とは「廃藩置県」だ。

     

    明治4年7月14日に実施された廃藩置県は、
    それまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革だ。

     

    当初は藩をそのまま県に置き換えたため、3府302県あたったが、
    明治22年に3府42県となって最終的に落ち着いた。
    後にここに北海道と沖縄県が加わる事で、
    現在の47都道府県の形がほぼ完成する。

     

    廃藩置県が最も重要な改革なのは、
    明治政府の目指した中央集権体制の実現に欠かせない改革だったからだ。
    廃藩置県の完成により、日本では約680年続いた武家政権の時代が実質的に終わり、
    天皇を中心とした中央集権型国家に移行することになる。

     

    明治政府が中央集権型の国家を目指した大きな理由は、欧米列強に対抗する為だ。
    幕末期、浦賀に来航した僅か4隻の黒船に手も足も出ず、
    開国を強いられた大きな理由は、江戸幕府が諸藩の連合政権であり、
    国家として一貫性を持って対応できなかったからだ。

     

    この時代、欧米列強に対抗できないと言う事は、日本の植民地化を意味しており、
    中央集権型国家への移行は、日本という国家の存立の要だった。

     

    しかし、明治政府が中央集権型国家を目指した理由はこれだけでは無いだろう。
    もう1つの大きな理由は、明治政府の権力基盤を強化するためだ。

     

    大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允、
    「明治の三傑」と称される彼らを筆頭とした、
    初期の明治政府の主要メンバーは、江戸時代には薩摩藩や長州藩の下級武士に過ぎない。

     

    彼ら自身に強力な兵力や、潤沢な経済力があった訳ではなく、
    天皇という大義名分は得てはいたが、彼らの権力基盤は脆弱なものだった。

     

    しかも、江戸時代に存在していた260を超える諸藩は、
    ほぼそのまま勢力を維持しており、
    これら諸藩が、もし一致団結して明治政府に反旗を翻したとしたら、
    力でそれを抑える事は難しかった。

     

    この時代、権力闘争に敗れるという事は、命を奪われる事を意味する。
    明治政府の初期メンバーにとって、
    中央集権型国家を早急に作り上げる事は、
    自分たちの身の安全を図る為にも絶対に欠かせない事であった。

     

    欧米列強に対抗する為の中央集権型国家の確立とは、
    言い換えれば「国家全体を考えた改革」だ。
    一方で、自身の権力基盤を強固にする為の中央集権型国家は、
    「自身の身の保全を考えた改革」と言えるだろう。

     

    この一見相反する動機の下で行われたからこそ、明治政府は廃藩置県のような大改革を成功させることができた。
    改革を断行しようとする者の利益と、
    国家(全体)の利益が一致しなければ大きな改革はなし得ない。

     

    この点は非常に重要だ。
    現代日本では、政治家や役人は国民に尽くす事を求め、
    彼らに少しでも分かり易い利益があると、不信感を募らせ疑惑を騒ぎ立てる。
    要するに政治家や役人に不利益が生じるような改革しか認めない。
    だから、平成に叫ばれた様々な改革は、結局は失敗に終わるのである。

     

    今の政治家達は簡単に「○○改革」と言う言葉を使い、
    国民もまた安易にその言葉に夢を見るが、
    何かを改革するという事は、そう簡単に成就することでは無い。

     

    特に長く続いている制度や慣習を変える事は容易ではなく、
    命懸けで取り組む必要がある。
    自分に何の利益も無いどころか、
    不利益を被る改革に命を懸けられる人など居ないと思うべきだ。

     

    かつて民主党政権は、様々な改革を「国民のため」と言って掲げた。
    確かに個々の改革は、実現したとするなら国民の為になるものも多かったが、
    子ども手当、高速無償化、年金制度改革、人への投資・・・
    結果は、何一つとして実現することは無かった。

     

    それは、これらの改革を実行することが民主党の議員の多くにとって、
    利益をもたらさないものだったからだ。

     

    歴代最長政権となる現安倍政権下で憲法改正の議論が全く進まない理由も同じだ。
    安倍総理自身も、与党自民党議員の多くも憲法を改正したい意思は間違い無くあるが、
    改正する事による彼ら自身の利益が殆どない、
    あるいは改正の議論を進める事のリスクの方が大きいから進まないのである。

     

    明治維新を進めたメンバー達も、決して自己犠牲の精神が高く、
    自身の事よりも国家国民を優先するような人間ではなかった筈だ。
    だからこそ、命懸けで改革を進め、その結果が国家全体の利益に繋がった。

     

    廃藩置県という大改革を通じて、真に改革を実現する為には何が必要かを見ていこう。

     

     

     

     

    ■改革とは既得権の奪い合い

    「改革」とは殆どの場合において、既得権益との戦いだ。
    現代社会では「既得権益」という言葉をとかく悪く捉えがちで、
    既得権益の打破、既得権益が無い社会を良いものと思っている人が多いが、
    これは大きな間違いと言える。

     

    人は誰しも「安定」を求める。
    その「安定」を作ってくれるのが「既得権益」だ。
    要するに人は誰でも既得権益を求め、既得権益側に立とうとするのである。

     

    例えば、多くの人々は「正社員」になることを望むだろう。
    「正社員」とはまさに既得権益そのものだ。
    「正社員」という既得権益を得る事で、身分が保障され生活が安定すると考えるから、
    多くの人が正社員での採用を望む。

     

    だから、「同一労働同一賃金」と言った改革は遅々として進まない。
    2018年の日本での就業形態の割合は、男性の約79%、女性の約45%が正社員であり、
    男女の別無く見ると、約63%が正社員という事になる。

     

    権利とはパイの取り合いであり、誰かの権利を大きくすると、
    その分誰かの権利は小さくなる。
    「非正規雇用を減らすべき」という声は近年盛んに叫ばれるが、
    もし、正社員を100%にしたら、現在得ている正社員の既得権益は消滅する事になる。

     

    結局のところ「改革」とは、
    「それまでの既得権益を壊し、新しい既得権益を作る事」なのである。

     

    江戸時代に260を超える数存在していた、「藩」という存在は、
    武士の既得権益の核心であり、武士という身分の土台だ。
    藩の存在は武士の生活の糧であり、藩があるから武士は様々な特権を有していた。

     

    ■大名達が既得権を手放せない理由

    慶応3年12月9日に勃発した王政復古の政変は、
    事実上の中央政府が江戸幕府から朝廷に移っただけに過ぎず、
    新政府内部の中央集権化を進めようとする勢力にとっては、
    各地に未だにのこる藩(大名領)の存在をどうするかは最大の懸案事項だった。

     

    明治2年6月17日、274大名から版籍奉還が行われ、
    土地とそこに住む人民は明治政府の所轄する所となるが、
    各大名は今で言うところの知事として引き続き藩の統治に当たった。

     

    これは、中央集権化の一歩とはなったが、
    現状は殆ど江戸時代の幕藩体制と同様であった。

     

    江戸時代の約260年間、幕府は中央政府としての役割を負うが、
    その為の予算は天領と呼ばれる直轄地からの税収のみであり、
    この事が、幕府の財政を常に圧迫し、幕府の衰退を招く大きな原因となった。

     

    発足当時の明治政府もこれと全く同じ状況であり、
    新政府直轄の府と県は全国の1/4程度に過ぎなかった事に加えて、
    経済的混乱からくる民衆の一揆などによって税収は困難を極め、
    新政府は当初から財源の確保に苦しむ事になる。

     

    版籍奉還後も、年貢は明治4年まで続く。
    大名やその家臣達にとって、年貢の徴収は自分たちの生活の糧そのものであり、
    「転職先」が決まらない限りそれを手放さないのも当然だ。
    もし、この時に明治政府が武力を用いて強引に改革を進めようとしたなら、
    恐らくは各大名の大規模な抵抗を引き起こし、
    日本は大規模な内戦状態に陥っていただろう。

     

    しかし、一方で大名達は深刻な問題を抱えていた。
    江戸時代、米と言う物品貨幣に頼った徴税システムは、
    幕府だけでなく、諸藩の財政も常に圧迫しており、
    大名達は自身の領地経営の為に、多額の債務を抱えている状態だった。

     

    債務返済の原資は年貢であり、
    これが、大名達がなかなか領地を手放さず、
    年貢の徴収を続けたもう1つの大きな理由だった。

     

    ■明治政府と大名達との取引

    新政府は平和的に大名達に領地を手放させるために、
    目をつけたのはこの大名達が抱える多額の債務だった。
    各藩の債務を肩代わりすることを条件に領地の放棄を提案する。

     

    同時に大名達の将来的な生活の保障する救済案も実施する。
    廃藩置県と同時に進められた「禄制(ろくせい)改革」がそれにあたる。
    当初、この政策は各藩が自主的に行っていたが、
    廃藩置県後は、明治政府が一括して行う事になる。

     

    禄制改革によって、
    旧藩主は旧領地の石高の10%を家禄として支給される。
    江戸時代は領内から約40%前後の年貢を領民から取り立てていたが、
    この年貢は領内の治水や土木費、行政費、臣下の給与に当てるので、
    領主の私有財産にむけられるのは到底石高の10%には達しない。

     

    従って、大名達は領主時代以上の収入を保障されたうえ、
    債務の一切を明治政府が引き受けてくれるという好待遇を得たことになる。

     

    これだけの好条件が提示されれば、
    大名達も進んで既得権益を手放す事になる。

     

    約680年の長きに渡り維持され続けていた武士の既得権益を、
    なぜ、大名達は自ら進んで手放したのか?
    これ程の大改革が大きな流血なく完遂できた真の理由がここにある。

     

    最終的な決断を促した西郷隆盛の武力による威嚇にも意味はあっただろうが、
    借金の帳消しと多額の生活保障が、大名達を動かした大きな理由だろう。

     

    大きな改革を最小の反発で迅速に進める為には、
    こういった取引も必要になると言う教訓と言えるだろう。

     

    現代日本では、既得権益側に居るものは悪者と捉えるので、
    悪者に大きな利益のある条件の取引を持ちかける事に強い嫌悪感があるだろう。
    しかし、本来は既得権益側に罪はなく、悪者などでは無く、
    彼らの協力無しには、大きな改革を進める事は叶わない。

     

    単に「既得権を手放せ」と求めるだけでは、激しい抵抗を受ける事になり、
    その抵抗を力でねじ伏せたとしても、その後には憎悪が残るだけだ。

     

    幕末の、生きるか死ぬかと言う状況を切り抜けた維新の志士達は、
    その事を体感的に知っていたのだろう。
    現代日本に蔓延るお行儀の良いエリート達では、
    真の改革は難しいと言う事を我々は心に留めておくべきだろう。

     

    ■明治維新の被害者となった「士族」

    さて、大名達は進んで既得権を手放す程の好条件を獲得したが、
    彼らの臣下だった身分の低い家臣達はそうはいかなかった。

     

    大名の家臣達(士族)はかつて、徴収した年貢米から分配を受けていた。
    ところが、廃藩置県によって幕藩体制が消滅したことで、
    彼らが禄を貰い続ける理由も消滅することになる。

     

    国民は何処に住んでいても明治政府に納税することになり、
    新政府が集めた税金を分配することになった。

     

    また、廃藩置県は事実上封建的身分の撤廃を意味し、
    江戸時代のように士族のみが軍事を担当する理由もなくなってしまう。
    廃藩置県の翌年、明治5年には、
    国民皆兵を実現するための徴兵告諭が布告され、
    明治6年には徴兵令も出される。
    士族達が今後も秩禄貰い続ける理由は皆無になっていく。

     

    ところが、明治政府は秩禄の支給は廃止されなかった。
    廃藩置県までに行われた禄制改革で、士族の秩禄は44%減額されるが、
    支給自体は継続することになった。
    政府は、秩禄の支給を止めれば士族が路頭に迷い、
    それが大きな社会問題になると考えていたのである。

     

    しかし、いつの時代も一般大衆はそういった社会全体の視点を欠き、
    目の前の不公平を糾弾する。

     

    一般大衆の士族に対する目は厳しく、
    「国家への努めを果たしていないのに租税を消費するのは公理に背く」と考え、
    士族に対して「座食」「居候」「平民の厄介」と言った罵詈雑言が向けられる。

     

    誇り高き武士達にとって、こういった状況は耐え難いものだったろう。
    しかも、士族の立場から見れば、
    彼等はある日突然一斉に解雇されたようなものだ。
    特に、戊辰戦争で官軍側についた藩の士族達は、
    「命を懸けて戦ったのに、この仕打ちは何だ!」という不満が出る。

     

    士族達に残された道は2つだった。
    運命を受け入れて、平民として新しい仕事に精を出すか、
    再び侍として活躍する場を求めてリスクを取るか?

     

    佐幕派の士族は前者を選択する者が比較的多かったのに対して、
    官軍側の士族は後者を選ぶ者が殆どだった。

     

    彼等は対外戦争に活躍の場を見出そうとしたり(征韓論)、
    国内で反乱を起こして新政府打倒を図ろうとする。

     

    しかし、征韓論は大久保利通によって完全に抑え込まれ、
    士族反乱も徹底的に鎮圧され、西南戦争で完全に頓挫することになる。
    それでも多くの士族は諦めず、
    今度は武器を捨てて政治活動を通じて抗議活動を展開する。
    自由民権運動があれほど盛り上がった本当の理由がこれである。

     

    大名達は維新改革の利得者と言えるが、
    士族達は被害者と言って良いだろう。

     

    ■覚悟なき改革は成就しない

    どんな改革であったとしても、罪なき被害者を生むことは避けられない。
    それでも、社会全体の為に必要な改革であるなら、断行しなければならない。

     

    罪なき被害者の存在を常に意識し、彼等彼女らに最大限の配慮を忘れてはならないが、
    改革後の社会に適応できない者は、切り捨てる必要があるのだ。

     

    政治家の「改革」のパフォーマンスに夢を見て安易に乗るのでは無く、
    改革の意味を深く考え、真に必要な改革であると考えるなら、
    相当の覚悟を持って改革を訴える必要があるだろう。

     

    現代日本は、明治維新に匹敵する改革が必要な状況だ。
    決死の覚悟で作り上げた中央集権型の日本という国家は、
    現在も変わらず継続しているが、これは今の時代にそぐわないだろう。

     

    そもそも、日本は「八百万の神の国」であり、
    国民性を考えても、中央集権型の体制は適していないと私は考える。
    明治政府が作り上げた中央集権型の政治体制は、
    あくまで、帝国主義が吹き荒れるあの時代を乗り切る為の一時的なものだと考える事が正しい。

     

    アメリカのような連邦制が適しているとは思わないが、
    もっと日本にあった、日本独自の地方分権型の社会を模索すべきだろう。
    それは廃藩置県に匹敵する大改革となり、
    明治維新から150年続いている既得権益との戦いだ。

     

    明治の大改革は、国民全体から見るとほんの僅かな数の人達が、
    決死の覚悟を持って望む事で成就させることができた。
    しかし、現代日本は西洋型の民主主義制度を採用しており、
    少なくとも国民の過半数が大きな覚悟をもたなければ、
    改革を成就することはできない。

     

    幸いな事に、我々には150年前に大きな改革を成し遂げた先人達の克明な記録がある。
    海外のような沢山の血を必要とする暴力革命無くして、
    大改革を成し遂げた実績がある。
    今、明治の改革に大いに学ぶ時と言えるのではないだろうか?

     

     


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