自粛すべきは「不要不急のSNS利用」

2020.04.25 Saturday

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    新型コロナウイルスによって引き起こされた経済活動の停滞は、
    5月を目前にした今でも全く出口が見えない状況だ。

     

    日本では4月に緊急事態宣言が出され、5/6まで続く事は既に決まっているが、
    これが延長されるであろう事はほぼ間違いないだろう。

    延長が無かったとしても、夏に同様の緊急事態宣言が出される可能性は高い。

     

    少なくとも日本では緊急事態宣言を出す状況ではなかったと私は考えている。
    そうでないと言うなら行政は緊急事態宣言を出す根拠を明示すべきなのだが、
    未だになぜ自粛が必要なのかは示されていない。

     

    例えばインフルエンザに代表される他の感染症の場合、
    「感染者」は「発症者」を意味していた。
    発熱等、何らかの自覚症状がある人が病院に行き医師の診断を受ける。
    診断の結果、医師が「インフルエンザの疑いが高い」と判断した患者に対して、
    検査を実施し、その検査でインフルエンザウイルスが確認できた人を「感染者」としている。
    要するに「体内にウイルスが居る」だけでは「感染者」としてカウントしないのが、
    今までの基準だった。
     

    一方で今回の新型コロナウイルスは、
    何の症状が無くとも検査でウイルスが確認されると「感染者」にカウントする。
    連日発表されている感染者数とは、このような基準による人数であり、
    感染者とされた人の多くは、何の自覚症状もない。

     

    なぜ、「感染者」の定義を他の感染症と変えたのだろうか?
    この理由の説明は全くされていない。

     

    感染力を見ても、新型コロナウイルスはインフルエンザと同程度だ。
    感染者1人が平均して何人に直接感染されるかと言う人数を、
    「基本再生産数」と言うが、新型コロナウイルスの基本再生産数は2.5とされている。
    インフルエンザは2〜3であるので、感染力は全く変わらない。

     

    致死率はどうだろうか?
    これは日本では圧倒的に低く、人口100万人当たりの死亡数は1未満だ。
    全世界で見ても致死率は0.66%という推定値が示されている。

     

    インフルエンザと同程度の感染症に対して、
    何故かわざわざ感染者数が大きくなる基準に変えてまで、
    緊急事態宣言を出し、経済に大ブレーキをかけている。

     

    理由の説明が全くないので、事実を積み上げるとこのような事になる。
    故に今の状況からの出口が見えないのは当然とも言える。

     

    今の日本社会でこのような事を言うと袋叩きにあう。
    自粛“要請”なのだが、その要請に従わないお店があると、
    役所に通報が殺到し、それを受けて行政は店舗名公開などの厳しい処置を採る。

     

    本来、これはとても恐ろしい事だ。
    戦争中、国家総動員法の下に全ての日本国民は戦争遂行に協力する義務を負った。
    「この戦争は間違っている」と言うような思想を公にしようものなら、
    警察や軍に密告が行われ、憲兵が逮捕、時に厳しい拷問を行った。

     

    これは戦前日本の闇の部分であり、我々は敗戦を期にその事を反省した筈だった。
    少なくとも戦後教育は一貫して反省することを促してきたが、
    今の日本社会を見ると何の反省も無かったと言う事になる。

     

    今の日本には戦前のような国家総動員法も治安維持法も無い。
    だから、行政は「要請」という強制力を有しない形で自粛を促しているが、
    国民自身が自ら正義の執行者気分で、考えに従わない者を攻撃している。

     

    私から見ると、日本人の多くが「このウイルスを大変な脅威にしたがっている」様に見える。
    「実は大したウイルスではなかった、となると困る」と無意識の内に思っている。
    そうなってしまった事には、
    インターネットの普及、とりわけSNSの普及が大きく影響しているのだ。

     

    新型コロナウイルスを真の意味で収束させたいのなら、
    政府が求めるべきは「不要不急の外出」ではなく、
    「不要不急のSNS利用」なのだろうと私は思う。

     

    SNS利用を控えれば、今の事態は一気に好転すると私は確信している。
    無論、現代社会でそんなことは無理なのだが、
    今回は敢えてその事を考えてみたい。

     

     

    ■思考の癖

    人は一度こう思い込むと、その考えを正当化しようとする。
    これは全ての人間が持っている、思考の癖だ。
    更に、時間やお金、労力を費やした対象には尚更強く執着する。

     

    こういった自己正当化は時に損得勘定をも超える。
    明らかに損することが分かっていても、自分の考えを正当化することを優先するのである。

     

    新型コロナウイルスによる今回の全国的な自粛は、
    全ての人にとって大きなストレスであり苦痛だろう。

     

    給与の減少といった金銭的損失も決して小さくない。
    この事は、自粛の為に大きなコストを費やしていると言うことを意味する。
    自粛を続ける程、殆どの人は様々な損害を被る事になり、
    この事に異論を挟む人は皆無だろう。

     

    だが、それでも「それほど怖いウイルスではないのではないか?」と言う意見は、
    絶対に認めたくない。

     

    「これまでに無い、怖いウイルスだ」
    そう考えたから、大きな苦しみを許容してきたのに、
    今更、「それほど怖くない」なんて認める事は絶対にできない。

     

    こうなってしまうと、人は明白な反証を突きつけられても、
    なかなか自分の考えを改めようとしない。
    証拠を無視、時に歪曲してまで自分の考えに固執するのである。

     

    これは、意識しなければ全ての人が陥る思考の癖だ。
    しかも、厄介な事に真剣に深く、論理的に考える人ほど、この癖に囚われがちだ。
    この事は知識人、言論人と呼ばれる人々の言葉を時系列で追っていくと良くわかる。
    日を追う毎に彼ら彼女らは、断定的な強硬な意見を口にするようになる。

     

    コロナウイルスに限らず、あらゆる社会問題でこのような傾向を見る事ができる。
    例えば地球温暖化について異を唱える主張をすることは今や難しい。

     

    最近では、今の地球の温度は平安時代よりも低い事が分かっている。
    つまり、今の地球は過去に比べて異常に暖かいわけでは無いという事だ。

     

    また、CO2が温暖化の原因と多くの人が考えているだろうが、
    確定的な証拠は何ら示されていない。

     

    「実は地球は特に温暖化していないのではないか?」
    「億年単位の地球の歴史の中で、この程度の気温変動は正常値の範囲ではないか?」

     

    このような考えを裏付ける証拠は沢山あるのだが、
    既に人類は「地球は温暖化している」前提で莫大なコストを費やしてしまった。
    電気自動車の推進、再生可能エネルギーの推進、
    こういった政策は全て温暖化している事を前提に、その対策の為に打ち出されたものだ。

     

    だから、環境保護運動は年々過激さを増している。
    その象徴が昨年話題になったスウェーデンの17歳の少女、グレタ・トゥーンベリだ。
    彼女は国連で「私たちを裏切る事を選ぶなら、あなた達を絶対に許さない」と、
    およそ高校生の少女が見せるとは思えない形相で、先進諸国を非難した。

     

    温暖化の否定に繋がる事実が示される都度、
    自己正当化を強化する為に、環境活動家の活動は過激さを増すのである。

     

    ■自分と異なる考えを”探す”

    この人の思考の癖から逃れる有効な術は、
    常に「自分の考えが間違っている事を示す証拠を探す事」だろう。

     

    人は意識していないと、自分の考えを肯定する情報ばかり手にしようとする。
    人との付き合いでも同様に、
    自分と同じように自分を見てくれる人達と付き合おうとする。

     

    自己評価が高い人は、自分を褒めてくれる人達と付き合おうとし、
    これは当たり前の事と誰もが思うだろう。

     

    意外なのは逆の場合だ。
    自己評価が低い人も、自分を軽蔑している人達と付き合いたがるのである。
    例え悪いイメージだったとしても、
    人間は自分の考えが正しい事を確認したがるのである。

     

    だから、意識的に「自分の考えと違う情報を探す」のである。
    例えば新型コロナウイルスを「怖いウイルス」と考えているのなら、
    敢えて検索エンジンで「新型コロナ 怖くない」というようなキーワードで検索してみよう。
    そこにはきっと自分の考えとは違う考えが書かれたWebページが多数提示されている筈だ。

     

    こうやって、できるだけ自分の考えとは異なる考えに触れるように努める事で、
    思考に柔軟性が生まれ、より良い選択ができる可能性を高める事ができる。

     

    しかし、この方法が思考を硬直化させ、より頑なにしてしまうケースが存在する。
    それがSNSに深く関わっている。

     

    ■意見表明に潜む罠

    人は自分の意見を誰かに対して表明すると、
    自分の考えと異なる考えに触れても、
    それは自己の考えにより固執する材料になってしまう。
    表明する相手が多ければ多いほど、つまり公であるほど、この傾向は強くなる。

     

    政治家が簡単に謝れないのはこのことが深く関係している。
    政治家という職業の特性上、彼らの発言の多くは公に対する表明だ。
    それは、TVや新聞などを通じて彼らは数百万、数千万人の人に対して、
    行われる表明であり、そう簡単に覆す事ができないと言う心理が強く働く。

     

    「素直に謝れば良いのに」と多くの国民は思うだろうが、
    自分が逆の立場になれば、そう簡単には謝ることができない。

     

    SNSに自分の意見を書き込むと言うことは、誰かに対しての表明なのだ。
    自宅の玄関前で、大声で意見表明しているのと本質的には全く同じだ。

     

    匿名性が保たれていたとしても、
    その発言が自分のものである事は自分には分かる。
    そういった発言に対する対立意見は、本人にとっては自分に向けられた意見だと感じる。
    対立意見が多いほど、自分の方が正しいという思い込みを深めていく。

     

    Twitterを例に採ると、多くの人は自分のアカウントのフォロワーは多くても100人程度、
    数人であることも珍しく無いだろう。
    こういった少ない数であれば、自分と異なる意見は思考の柔軟性を高める方向に作用する。

     

    だが、実際にTwitter上での自分の意見の表明は、
    それは何千、何万、時に何十万というフォロワーを持つ著名人の書込に対しての、
    コメントという形で行われる。

     

    実際にそのコメントを読む人は少ないのだが、心理的には違う。
    万単位に人に対しての意見表明だと人は無意識の内に捉えてしまう。
    それは、政治家が何か発言するときと同じだ。

     

    こうなってしまうと、自分と異なる意見は思考を硬直化させる材料になってしまう。
    しかも、多くの場合フォローしている著名人は、自分の考えと近い人になるから、
    コメントの多くはフォローしている人の意見に賛同(=自分と同じ意見)するものが占める。

     

    ある狭い世界の中では、自分の意見が多数派を占める事になり、
    この事は、自分と異なる意見は間違っているという想いを強くし、
    自己正当化を強める方向に作用する。

     

    無論、多数のフォロワーを抱える著名人にもこの効果は働き、
    より意見は硬直化し、その主張は次第に過激なものになり、
    それに引っ張られるようにフォロワーは自分の意見に自信を深める。

     

    これが、国民自身がそれぞれを監視し、
    政府以上に誰かの行動を制限しようとしている現状の大きな理由だ。
    家に居る時間が増えるほど、SNSとの接触時間は増えるだろう。
    だから、日に日に自粛圧力が高まる事になる。

     

    ■今のTVは害悪をまき散らす存在

    TVで自説を述べる専門家と呼ばれる人々も、
    放送波を使って自分の意見を公に表明していることになる。
    だから、TVで発信される情報も日に日に一つの方向に偏りがちになる。

     

    但し、TVの場合、このような偏りを見せるのは基本的に番組単位だ。
    番組が異なれば、違った考えが発信される、
    受動的なメディアであるが故に、視聴者は意識せずとも様々な意見に触れる事ができる。
    TVはそういったメディアだった筈だ。

     

    「筈だ」と表現したのは、そうはなっていないからだ。
    今は全ての局、番組は基本的には一つの方向に偏っている。
    彼らは自分たちの事を「国民の知る権利の代弁者」とするが、
    その実、彼らにはそんな矜持はない。

     

    今の地上波の最大の目的は「カネ儲け」であり、
    次が「政権批判」だ。

     

    危機を煽り、危機を作り出す方がカネは稼げる。
    「毎日感染者が拡大している」「このままでは大変な事になる」
    視聴者をこのように思わせれば、視聴率は取れる。

     

    「インフルエンザとさして変わらないので、過剰な警戒は不要です」
    視聴者がこのように思えば、新型コロナウイルスに関する情報欲求は低くなる。
    だから、TVは常に危機を煽る。
    地震や台風などの自然災害も彼らにしてみれば、カネ儲けのチャンスに過ぎない。

     

    私が子供の頃、大人達に「TVばかり見ているとバカになる」と良く言われた。
    大人達が言っていた意味は違ったのだろうが、
    結果として、それは本当だった。

     

    今の地上波は百害あって一利なしであり、
    こんなものが国民全員の財産である電波を使って行われている事に、
    本当なら国民一丸となって糾弾すべきだ。

     

    自宅に居る時間が増えれば、無料で見られるTVに接触する機会は増えてしまう。
    その意味でも自粛は社会全体に対してマイナスの面が大きい行為と言える。

     

    ■自粛で感染者は増えた

    誰かに自分の意見を表明するという行為は、
    実は大きなリスクを伴う行為であることを我々は常に意識する必要がある。
    自分の考えをしっかりと持つ事は重要な事ではあるが、
    多くの場合、それを外に向かって表明する必要性は薄い。

     

    政治家やメディア関係者などは、それが仕事でもあるからやむを得ない面があるが、
    多くの一般人にとっては不要な筈だ。

     

    Twitterのようなメディアは、
    短い文章で情報を発信するリアルタイム性が高い特性を持つ。
    これは、その瞬間の感情で衝動的に意見を表明してしまう事態を招き易い環境であることを意味する。

     

    1月に日本で初めて感染者が確認された時、
    多くの人はこのウイルスの事をさして脅威に感じていなかった筈だ。
    そして、その時期、国内では感染者の増加量は緩やかだった。

     

    その後、欧米で感染が広がり、
    TVやネットでは敢えて欧米の悪い情報にフォーカスを当てて発信した。
    死亡者の9割以上は高齢者であることは紛れもない事実だが、
    例外的に発生した若年層の死者を大きく取り上げる。
    こんな事を繰り返した。

     

    その結果、日本でも危機感を募らせる人が増え、
    自粛ムードが日に日に高まっていった。
    因果関係は分からない。
    だが、事実を積み上げると国内では自粛する程に感染者は増えている。

     

    私の感覚では、自粛はかえって感染者を増やす事になるのは当然だと思う。
    「病は気から」の言葉が示すように、
    多くの病気はストレス等、心が大きく影響している。

     

    現在の自粛によって日本国民が感じているストレスは相当なものだろう。
    カラオケ、ゲームセンター、遊園地などあらゆるアミューズメント施設は閉鎖された。
    国内にはこういったアミューズメント施設が多数存在しており、
    それは、こういった施設で楽しむ事でストレス発散していた人が多い事を意味する。

     

    登山、キャンプ、アウトドアスポーツ、こういった事も自粛を促されている。
    自然に触れる機会が減れば、人は体調を壊す事が多くなる。
    都会の住人の方が田舎の住人より病気になりやすいのは、こういった理由による。

     

    運動量は減り、精神的にもストレスを溜める。
    誰がどう見ても身体に悪い事は明白であり、
    ウイルスに対する抵抗力は全国民的に低下しているだろう。

     

    一刻も早くこんな不健康な状態からは脱するべきだ。
    そして、今の状態は不必要な意見表明を繰り返している自分たち自身が招いているのだ。

     

    ■1人1人ができること、やるべきこと

    「自粛をすべき」と考えるなら、
    その人は今回のウイルスを非常に怖いものと考えているのだろう。
    ならば、異なる意見を持つ者を「バカだ」などと罵るのでは無く、
    なぜ自分がそう考えるのかを真剣に説明し、説得すべきだろう。

     

    私は、自粛は全く必要と考えていないし、それほど怖いウイルスだとも思っていない。
    だが、同時に「自粛すべき」という人に対して、
    その考えを変えさせて、外出させようとも思わない。

     

    だが、「自粛すべき」と考える人は、
    他人の行動を自分の考えに従わせようとしているのだ。
    果たして自分の意見で他人を従わせる事ができるのか?

    そうできる程、自分は理論武装できているのか?
    立場を置き換えて冷静に考えてみるべきだろう。

     

    今回のウイルスによって経済的に大きなダメージが負うことは必至だ。
    ウイルスで死ぬ数より、経済が理由で死ぬ人数の方が多くなるだろう。
    この不健康な状況で、本来ならかからなかった病で苦しむ人も出るだろう。

     

    ストレスも日々増大しており、それを発散する場も無い。
    風俗なども殆どが閉まっている事を考えると、
    これ以上の自粛継続は治安悪化を招くだろう。

     

    学生達はもう2ヶ月も学校が止まっている状態で、
    今のままなら夏休みまで休校が続いても不思議では無い。
    ここまで長期化してくると、教育のダメージも大きい。
    選挙権を持たない子供達は大人達の決めた事に従うしかない。
    普段あれほど教育の重要性を訴えていたのだから、
    今こそその発言に責任を持つべきだ。
     

    一体何の為にこれほどの大きな代償を払うのだろうか?
    それが、単なる自己正当化の為だったとしたら、これほど愚かな事は無い。

     

    繰り返しになるが、人はその思考の癖により1つの考えに固執し、
    自己正当化の為に事実を歪曲し、見たいものだけを見ようとする。
    SNSを通じた不要な意見表明は、こうした思考の癖をより強める事に作用する。

     

    私はSNSを基本的に使わない。
    匿名掲示板も見る事はあるが、書込は極力しないように心かげている。
    それは、自分にもある思考の癖に囚われないようにするためだ。

     

    このブログも特に多くの人に見て貰いたいとは考えていない。
    コメントを貰って議論したいという想いもない。
    誰かの行動や考えを変えたいと言う想いも希薄だ。

     

    ただ、書いていることは間違いなく私の考えであり、
    私が「間違ってはいない」と思う事を書いている。

     

    もしも読んでくれた人の内、たった1人でも私の考えに共感して、
    明日からのその人の考えや行動に良い影響を与えれば良い。
    そんな程度の想いだ。

     

    私の考えに殆どの人は、興味は無く、
    私も殆どの人の考えには興味はない。
    個人なんてものは所詮その程度の存在なのだ。

     

    SNSでの繋がりは「自分が承認された」という夢を見られるのかもしれないが、
    それはあくまでも夢だ。
    面倒だと感じる会社での人付き合いの方が、
    遙かに貴方を認めてくれる可能性がある存在だ。

     

    何でも自粛を求める現状を良いと考える人は誰も居ないだろう。
    一日も早くこの状況から脱する事は全ての人の願いの筈だ。
    ならば、不要なSNSでの意見表明は慎もう。

     

    今、コロナウイルスに打ち勝つために1人1人がやれること事は、
    自粛ではなく「不要不急のSNS利用」を止める事だ。

     

     


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