「節約」は国を貧しくする

2020.04.23 Thursday

0

    国際通貨基金(IMF)は2020年4月14日、
    2020年の世界全体の成長率が-3.0%になると言う予想を発表した。
    言うまでもなく新型コロナウイルスの影響だ。

     

    世界全体のGDPがマイナスになるという事態は、
    第二次世界大戦に遡らなければならず、1929年の大恐慌以来だ。
     

    最近ではリーマンショックによって経済危機が発生したが、
    この時(2009年)の世界全体のGDPは-0.1%と誤差の範囲であり、
    実質的には横ばいだったと評価して差し支えないだろう。

     

    1929年に発生した大恐慌は1932年までの4年間で主要国経済は-16%、
    世界全体では-10%だったと言われている。

     

    これは-2%台が4年間続いたという事になり、
    単年で見れば今回のコロナウイルスによる経済的ダメージと同程度だ。

     

    大恐慌は第二次世界大戦に至る道を決定づけた出来事だ。
    この経済危機が無ければ、若しくは上手く対応できていれば、
    第二次世界大戦という人類史上最悪の悲劇は回避できた可能性は高いだろう。

     

    ナチスドイツの誕生も、日本の軍部独走も大恐慌が招いた経済的困窮が大きく影響している。
    人は経済的に困窮すると普段は見向きもしないような過激な主張に飛びつく。
    この事は歴史を学ぶと幾度となく目にする光景であり、
    そのような兆候は今この瞬間にも現れている。

     

    新型ウイルスはその名が示すように未知のウイルスであり、
    政府の責任で感染が広がっているわけではない。
    しかし、大衆は政府の対策を常に非難するばかりだ。

     

    2000年代になってから日本経済は殆ど成長しておらず格差は広がるばかりだ。
    経済成長はしている欧米先進国にしても、その恩恵を受けているのは一部の富裕層だけであり、
    多くの国民は決して豊かになっているとは言えない。

     

    最も深刻なのは「多様性の喪失」だ。
    日本を含む先進諸国は多様性を失いつつあった。
    だから、近年「ダイバーシティー」といった言葉を盛んに掲げる。
    多様性がなくなりつつあるから、多様性を求める声が大きくなるわけだ。

     

    学歴が全てとなり、高い学歴を手にできるかどうかはカネで決まる。
    貧しい家庭に生まれた子供には、どんな才能があったとしても成り上がる事は絶望的だ。
    この事は人から「夢、希望」を奪う事を意味し、
    持つ者への妬みと嫉妬、憎悪を募らせる事に繋がる。

     

    何か上手くいかなった時、その原因を自分に求める事ができる人は稀であり、
    多くの人は安易に他者のせいにする。
    だから、ドイツ国民は「あなた達が苦しいのはユダヤ人のせいだ」と説くヒトラーの言葉に逃避した。

     

    日本を含む世界は、コロナ前から既に他者への嫉妬と憎悪が渦巻いていたが、
    コロナウイルスによる経済危機によって、
    そういった人間の闇が一気に噴き出す可能性が高い。

     

    その先に待っているのは、歴史上何度も繰り返されてきた大きな破壊だ。
    「第三次世界大戦なんて起きるわけがない」
    恐らく、多くの日本人はこう思っているだろう。

     

    だが忘れてはならない。
    第一次世界大戦も第二次世界大戦も、当時の人々は同じように考えていた。
    「起きる筈がない」と多くの人が考える時、戦争は起きる。
    逆に「起きるだろう」と多くの人が考える時の殆どでは、実際に戦争は起きない。

     

    今、我々を取り巻く世界は、驚くほど第二次世界大戦前夜に酷似している。
    第二次世界大戦という結果は、全ての人類にとって間違い無く失敗だ。
    特に敗戦国となってしまった日本にとっては大失敗と言える。

     

    同じ失敗を繰り返してはいけない。
    人類があのような失敗をした大きな理由は経済政策の誤りだ。
    言うまでもなく人間も動物であり、食べていける事が全ての基本だ。
    食べて行く事ができるから、法治国家が成立し、個々の権利が意味を持つ。

     

    特に現代を生きる日本人は、さほど苦労せずに有り余る豊かさを享受している。
    “食べていけるだけ”では大きな苦痛を感じる人が殆どだろう。
    「外食ができる」「年に1回は旅行に行ける」「最新のスマートフォンを使える」・・・
    こういった事が満たされないだけでも大きな不満を溜める事になる。

     

    こんな贅沢で傲慢になった現代日本人によって、
    先人達が必死になって作り上げた貯金を食い潰し、日本は危機的状況に陥った。
    ここで、コロナショックに対する経済政策を誤ると致命傷になりかねない。

     

    日本国民は過去に学び、できるだけ正しい経済政策を選択しなければならない。
    このことは民主主義を採用するなら、主権者である全ての国民に課せられた義務だ。
    コロナショック後に採るべき日本の経済政策について考えてみたい。

     

    ■第二次世界大戦へと至る道

    本題に入る前に、1929年に起きた大恐慌についてもう少し詳しく見ていこう。
    まず、前提として抑えておく必要があるのは、
    この頃の世界は今と同じかそれ以上の「グローバル社会」だったと言う事だ。

     

    当時、世界のほぼ全ての地域は英米仏を中心とした白人国家の植民地だった。
    植民地は原料の生産拠点であると同時にマーケットでもあった。

     

    1929年9月4日頃からアメリカの株価の大暴落が始まり、
    1929年10月29日の株式市場の暴落で世界的ニュースとなり、
    ここから大恐慌は始まる。

     

    株価の変動が何故、一般生活に大きな影響を及ぼすのだろうか?
    株とは企業による一種の借金であり、配当とは利息のような意味を持ち、
    資本主義経済においては、基本的に株式会社は借金経営をしているようなものだ。

     

    どんな大企業でも実は簡単に倒産する。
    株式購入を通じて企業にお金を貸している側が、一斉に返済を求めれば、
    いとも簡単に企業は倒産する。
    発行している株式の額面の総計を現金で持っている企業は存在しない。

     

    Appleの時価総額が○○兆円と言っても、それは単にその時の株式の市場価値を合算しただけで、
    Appleにその金額と同額の現金や資産があるわけではない。

     

    株価の大暴落とは、大量に株が売られる事によって引き起こされる。
    借主が一斉に返済を求めるようなものであり、
    こんなことをされると、多くの企業は資金繰りに困窮し、事業継続が困難になる。
    その結果、大量の失業者が発生し、人々は生活の糧を失う。

     

    更に、投資家は個人であっても株式等を担保とする信用取引により、
    容易に金銭を借金することができる。
    加えて投資信託の普及は大衆の市場参加を加速させる。
    現代でも株式や国債を含めた有価証券を担保として住宅ローンを組むケースは珍しくない。

     

    株の大暴落とはこうした担保価値の低下にも繋がり、
    多くの人が借金の返済が難しくなり、不良債権が増大する。
    このように資本主義の下では株価の暴落は大衆の生活に大きく影響するのである。

     

    大恐慌に対処する為に、植民地を持っている英米仏は
    金本位制からの離脱や高関税による経済ブロックによって自国通貨と産業の保護に努める。

     

    当時、政府が発行できる通貨の量は保有しているゴールドの量で制限がかかっていたが、
    この制限を外す事で、市場に大量のマネーを投入しようとする。
    単純に言うと金融緩和であり、アベノミクスの経済政策の柱と同じだ。

     

    こういった欧米列強の経済政策は必ずしも上手くいったわけではなく、
    ドイツや日本といった植民地をあまり持たない国を追い詰める要因にもなる。

     

    ■当初は上手く対応した日本

    大恐慌から最初に立ち直ったのは実は日本だった。
    第一次世界大戦の戦勝国の1国となったものの、
    その後の関東大震災などによって日本経済は弱体化していたが、
    大蔵大臣である高橋是清の下、積極的な財政支出を行い1932年には景気回復を遂げる。

     

    しかし、1935年頃には赤字国債増発に伴うインフレ傾向が明確になり始め、
    公債漸減政策へと基本方針を転換する。
    これに軍部は猛烈に反発し、ついに青年将校によって2.26事件が起こされ、
    高橋是清は殺害されてしまう。
    これにより、公債漸減政策は放棄されることになり、
    ここから軍部は政治への影響力を増大させ、一気に戦争に突き進むことになる。
     

    軍部がそれほどまでに政治への影響力を高める事ができたのは、
    国民の支持があったからだ。
    この点を日本の歴史教育は「武力を背景に無理矢理に国民を従わせた」と言うように教えるが、
    これは歴史の歪曲だ。

     

    日本経済は苦しい状態だったが、
    政治家達は政争に明け暮れており、国民の信頼を失いつつあった。
    その代わりに国民の期待を集めていたのが軍であり、
    多くの国民は軍を支持していたのであった。

     

    大恐慌の影響を全く受けなかった国が1つだけあった。
    それは、共産主義国家であるソビエト連邦だ。
    ソ連は世界が大恐慌で苦しむ中、
    1930年にはGDPでイギリスを抜き世界2位の経済大国になる。

     

    大恐慌下で救いを求める人々の一部は共産主義に希望を持ち、
    世界各国で共産党の存在感が増大、
    ソ連に近いドイツや日本は危機感を募らせ、日独伊三国同盟に至る流れが生まれる。
    支那でも中国共産党が台頭、抗日運動を先導し、
    日本と中華民国(現台湾)との戦いは泥沼化していく。

     

    ルーズベルト政権内(アメリカ)にも多くの共産主義者が入り込んでいた事は、
    近年、様々な資料で明らかになっている。
    太平洋における日米の衝突は、
    こういった共産主義者達によって避けられない状況になっていた。

     

    中国(中国共産党)の台頭。
    自然災害によって大きなダメージを負う日本経済。
    国民生活を無視して政争に明け暮れる政治家。
    政治に対する信頼を失っていく国民。
    そこに発生した世界的な経済危機。

     

    驚くほど現代の状況に酷似していることが分かるだろう。

     

    ■民意が反映される政治の恐ろしさ

    ちなみに私は政治家が政争に明け暮れる大きな原因は、
    議会制民主主義に依るとろこが大きいだろうと考えている。

     

    昭和初期の日本でも既に議会制民主主義は導入されており、
    男子に限ってはいたが、選挙も行われていた。

     

    貴族院は皇族や華族などの限られた者しか議員になれないが、
    衆議院は選挙で選ばれた議員達で構成されており、
    予算の先議権は衆議院にあった。
    つまり、現代日本の議会制度とそう大きく違うわけではないのだ。

     

    日本は建国以来、常に「話し合いの国」だ。
    徳川将軍も藤原氏も、そして天皇ですら1人で何かを決め、従わせるような事はできない。
    しかし、同時に選挙のような形で代表者を決めるような事を試行した事も無い。

     

    それは無責任な大衆を政治に関わらせる事の弊害を知っていたからだろう。
    国民1人1人に等しく一票を与え、選挙で政府を選ぶ方法は、
    個々の国民の政治に対する責任感を高めなければ危険だ。

     

    明治は日本史の中でもこの上なく上手く言った時代だったが、
    大正デモクラシーを経て民主化の度合いが高まる程、
    日本政府が間違う頻度は高くなり、
    最後には敗戦という最悪の結果をもたらしてしまう。

     

    戦後長らく、自民党が与党第一党を占め政権を維持していたが、
    この時の選挙制度は中選挙区制と呼ばれるもので、
    1つの選挙区から複数の議員が選出される。
    この制度は、民意は今よりもダイレクトに反映するものではなく、
    自民党内の派閥の力学が政策決定に大きく影響する。

     

    その後、1994年に小選挙区制が導入され、
    各選挙区から選出されるのは1人となる。
    この制度では、その時の国民の“空気”が選挙結果に大きく影響する。
    その意味においては、中選挙区制よりも民意がダイレクトに反映する制度と言える。

     

    そして、この頃から日本の経済政策は間違いばかりを犯すようになり、
    日本の経済成長はピタリと止まってしまうことになる。

     

    ■公共事業の持つ意味

    日本の経済政策最大の間違いは「無駄を減らす」という考えだ。
    この考えの下に公共事業を減らし経済を縮小し続けてきた。

     

    確かに本当に無駄なものであるなら、その費用は別のものに使うべきだろう。
    だが、そもそも無駄かどうかの判断を適切にできる人はどのくらいいるのだろう?

     

    「この道路は利用者が少ないから無駄」
    「この新幹線は利用者が少ないから無駄」

     

    多くの国民は単純にこう考えて、無駄かどうかを判断するだろう。
    だから、民意をダイレクトに反映する制度は怖いのだ。

     

    2016年3月26日に開業した北海道新幹線は、
    乗車率が低い状態が続いており、運営しているJR北海道の業績は苦しい状況だ。
    乗車率は20%代に留まっているが、
    この20%に含まれる人々の多くは、新幹線開業前には無かった人の動きだ。

     

    北海道と東北は、距離は近いが交通の便が悪く交流はあまりなかった。
    それが新幹線によって交流が生まれる。
    新しい交流が生まれると、そこには必ず新しい経済活動が生まれる。

     

    この経済効果は確かにJR北海道の業績を直接的に良くするものではないが、
    新しい新幹線の建設が無駄か否かを判断する為には、
    こういった経済効果も見なければならない。

     

    果たして国民がこんなところまで見て判断できるかと言うと、それは無理だろう。
    つまり、国民は多くの場合、公共事業が無駄であるかどうかの判断力は有していない。

     

    政治家の多くも同様で、そのような判断力は有していない。
    だから、彼ら彼女らは選挙時に「公共事業を削減して福祉に回す」と主張し、
    そのような主張が支持を集める。

     

    重病人や老人に何兆円かけても結局は亡くなるので、彼らはお金を生み出さない。
    福祉に使うお金は100%赤字になる。
    こんな事は子供でも分かる筈だ。

     

    福祉を手厚くしたいのなら経済を良くし、より多くの余力を作るしかない。
    そして、公共事業とは経済を良くする為の最もシンプルな政策だ。
    公共事業費は使った分を必ず税金で支払い、
    受注した元請け会社、下請け会社、孫請け会社、関連業界全てで巨額の納税をする。
    公共事業で使った予算のかなりが戻ってくるのである。

     

    そんな公共事業を削減して、福祉に回すと言うことは、
    結局は福祉を薄いものにする。

     

    実際、公共事業を削り始めてから日本経済は低迷し、
    福祉のレベルを維持する為に、消費税が導入され今やその税率は10%だ。
    税負担は増え、年金などの給付は削減される。
    「高負担高福祉」どころか「高負担低福祉」という最悪の状況に陥っているのである。

     

    将来に不安があれば、現役世代は今の稼ぎから出来るだけ多くを貯蓄に回そうとする。
    必要なものはできるだけ安く手にしようと奔走する。

     

    過剰に安い物を求める行為とは、
    物の値段のかなりの割合は人件費だと言う事を考えると、
    他人が低賃金で働く事を求める行為だと言える。
    同時に、自分も誰かに低賃金で働く事を求められていることになる。

     

    企業はコストカットばかりに邁進し、人を切る事ができた経営者がもてはやされ、
    結果、社会全体で貧しくなる。

     

    政府は営利団体ではない。
    むしろ政府の財政は赤字であるくらいが正常だ。
    儲かる事なら、民間に任せてしまうべきだ。

     

    だから、民間のように「1円でも安い業者を選定する」事の優先順は低い。
    要求するクオリティを満たすなら、
    他の業者よりも割高であったとしても地元業者優先で良いのだ。
    公共事業は地域の雇用を守り、地方の経済を支える意味も大きい。

     

    公共事業を削減し始めてから、東京を中心とした大都市圏への集中が加速している。
    少子化もこの都市部への人口集中が大きく影響しており、
    誰がどう見ても、東京のような大都市は子育て良い環境とは言えないだろう。
    それはつまり、「子供が欲しい」という思いを小さくすることに繋がる。

     

    ■日本はインフラ後進国

    日本のインフラは世界的に見ても遅れている。
    韓国や中国、台湾、アジア諸国を見ると、
    首都周辺から国内の隅々まで片側4車線ほどの高速道路網が張り巡らされている。

     

    首都高は片側2車線だが、路側帯を車線として使用しているので、
    実質的には片側1車線だ。
    首都の高速道路がこんなに貧弱な国は日本くらいだ。
    高速道路の全長も大きく劣り、ドイツ、フランス、イギリスの1/4しかない。

     

    一般道路も欧米は時速60キロだが、日本は時速40キロ制限の道路が殆どだ。
    空港や港湾設備も囮、韓国、中国にも及ばない。
    インフラの優劣は、結局はその国のGDP(経済規模)に跳ね返ってくる。

     

    80年代頃、欧米先進国に追いつくべく大規模なインフラ事業を連発した。
    その結果、生まれたのが瀬戸大橋に代表される四国への連絡橋や、
    レインボーブリッジだった。

     

    その後、財務省が財政赤字を問題視し「公共事業悪玉論」を、マスコミを使って展開する。
    「日本の公共事業費は突出して多い」という嘘を流布し、
    国民は驚くほど素直にその言葉を信じてしまう。

     

    日本の公共事業費は先進国に比べて少ない。
    バブル期は年10兆円ほど使っていた公共事業費は、近年は5兆円程度と半減している。
    「公共事業費が財政赤字の原因」と言って削減してきたのに、
    公共事業を減らしたら日本政府の借金は増えた。

     

    「公共事業を削減したから日本経済は衰退した」
    これは明らかな事実なのだが、エリートと呼ばれる者達の多くはこのことを認めず、
    また、多くの国民も無関心だ。

     

    多くの国民の関心事は教育無償化のような愚策だ。
    「子供に投資することで経済成長を達成できる」と夢想する。
    全ての子供に一律で投資したところで、
    投資額に見合わない子供の方が多くなるのは間違い無い。
    投資とは有望なものに集中的に投資することでしか成功しない。

     

    「コンクリートから人へ」をスローガンに政権を取った民主党が、
    どれだけ日本経済にダメージを与えたのかを今一度思い出すべきだろう。

     

    ■公務員いじめは経済を悪くす

    同時に、日本維新の会が掲げる「身を切る改革」なども注意が必要だ。
    公務員の給料や数を減らす事は日本経済にとってはマイナスだ。

     

    現代社会は管理通貨制度を採用しており、日本円は政府が市場に流通させる。
    流通させる最も大きな手段が公共事業だ。
    そしてもう1つが公務員の給与だ。

     

    「自分は生活が苦しいのに公務員は良い暮らしをしやがって」
    「税金で飯を喰っているのに国民より豊かなのは許せない」

     

    こう思う気持ちは分からないでもないが、これは単なる嫉妬に過ぎない。
    そもそも日本の公務員の数は諸外国に比べると突出して少ない。
    そして、数が少ないから給与レベルは高い。
    ごく当たり前の事なのである。

     

    公務員の数を減らし、給与を減らしても多くの国民の収入は上がらない。
    そもそも経済を良くするために「身を切る」必要は無い。

     

    公務員に対しては給与を下げる事を求めるのでは無く、
    より国益の為に働いて貰う事を望む事が正しい。

     

    これは政治家に対しても同様だ。
    どんなに現政権に不満があったとしても、
    審議拒否やスキャンダル追及しかしないような者を国会に送り出す事は、
    主権者としてあまりに無責任であり、選挙権を持つに値しないとさえ思う。

     

    ■経済とは浪費

    経済とは言ってしまえば無駄で支えられている。
    「暇だから遊びにいこう」と言って浪費するから経済は成長するのであって、
    節約ばかりを考え浪費を止めたら、不況になり経済は縮小する。

     

    家計なら確かに浪費を止めれば、財政は好転する。
    だが、政府財政は家計とは全く異なる

     

    政府は通貨を発行する事ができ、公共事業で支出し、
    それが民間企業や個人の収入になり、その収入の一部が税収として返ってくる。

     

    国が支出を減らせば、民間の仕事が減り税収も減るので、
    節約した以上に税収は減る。

     

    政府財政を家計と同じに考えるのは間違いだ。
    税収を増やし、経済的には無駄な福祉予算を多く作るには、
    政府の無駄遣いを“もっと増やす”事が正しい。

     

    緊縮予算、予算削減、デフレ、消費停滞、賃金減少、物価マイナス、
    経済縮小、税収減、増税、さらに消費停滞。

     

    これら全は「政府が節約する」という失策がもたらした連鎖反応だ。
    そして、民主主義では政府の失策は、国民の間違った判断が原因だ。
    「政府が節約すれば自分の取り分が増える」と多くの国民が思い、
    その思いを代弁する議員が誤った経済政策を採る。

     

    「規制緩和」も殆どの場合、経済にマイナス影響を与えるだけだった。
    例えばタクシー業界の規制を緩和すれば、
    運転手の収入は半減以下になり、彼らが支払っていた税金は減り、
    彼らの消費も無くなり経済は衰退した。

     

    「防衛費削減」は先端産業の研究費削減を意味し、
    日本の科学技術の衰退を招く。
    更に、防衛費削減は中国や韓国に「日本は弱い」という印象を与え、
    領土問題、歴史問題などの外交問題で彼らは強硬な態度を示すようになる。
    その都度、日本は譲歩を繰り返し、無駄なお金を彼らに渡す事になった。

     

    「女性の社会進出」は労働者の賃金低下を招く。
    働く女性が増える程、男女問わず労働者の賃金は下がっていった。
    昭和期、夫1人で稼いでいた収入を今は共働きでも得る事ができない。

     

    「人手不足」が起こっているのは実は一部の業界に限られる。
    土木建築業、運送業、こういった肉体労働が人手不足なのであり、
    言ってしまえば「女性にできない仕事」だけだ。

     

    ITエンジニアや機械エンジニアも人手不足だが、
    こういったエンジニア職も女性は不向きだ。

     

    「夫の収入だけである程度の質の生活ができる社会」
    「共働きでなければ生活の質が維持できない社会」
    一体どちらが良いのだろうか?女性の方は良く考えて欲しい。

     

    働く女性が増えることが本当に女性の地位向上なのだろうか?

    経済活動で女性が生み出す価値の割合が増える事を女性の価値向上と考えるなら、
    それは女性の男性化に過ぎず、
    残念ながら、永遠に女性の価値は向上しないと私は思う。

     

    この30年、日本はうんざりするほど同じ失敗を繰り返している。
    しかし、未だに多くの国民は「無駄を減らすべき」と言う洗脳が解けていない。

     

    コロナショックの経済対策の1つとして、政府は全国民に一律10万円の給付を決めた。
    国民はこんな程度の政府の浪費で満足してはいけない。
    1人100万円配ったとしても、たったの120兆円だ。
    30年間、間違った節約をしていたことを考えるなら、
    この位の額を配ってもまだ足りない位であり、
    1人100万円給付した上で、消費減税を求めるべきだろう。

     

    ■国家から自立する

    アフターコロナの世界経済は、戦前のブロック経済のようになる可能性が高い。
    植民地経済は現代には無いが、
    共通の価値観を共有できる国々で経済圏が構成されていくのではないだろうか。

     

    そうなったとき、日本が中心となって纏めたTPPと言う枠組みは武器になる。
    後年、TPPの締結は安倍政権最大の功績になるかもしれない。

     

    大恐慌の際、高橋是清の採った政策は恐らく正しいものだった。
    しかし、当時の日本は植民地が少なく、日本国民が食べていけるだけの経済圏が無かった。
    だから、対外進出に大きく舵を取ることになってしまった。

     

    この点は、現代日本は状況が異なる。
    安倍総理とトランプ大統領の人間関係によって、日米関係は歴史上最も良好な状態だ。
    TPPの枠組みから離脱したアメリカを引き戻す事は十分に可能な筈だ。

     

    中国と共通の価値観を持つ事は、少なくとも中国共産党が存在する限り不可能だ。
    脱中国を目指し、日米を軸とした経済圏を構築することが、
    コロナショックからの回復には欠かせないだろう。
    そして、それは今の日米関係を考えるとそれほど難しくはない筈だ。

     

    問題は国内だ。
    公共事業を大幅に増やし、日本のインフラを経済大国に相応しいレベルに引き上げる必要がある。

     

    少なくとも安倍総理は、最初は大規模公共投資を掲げており、
    2013年はそれなりの公共投資を行っていた。
    しかし、2014年以降は財政健全化を言い出して削減方向に逆戻りしてしまった。

     

    そうなってしまった直接の原因は恐らくは財務省の圧力だろう。
    そして、総理がその圧力をはね除けられないのは国民側に大きな責任がある。

     

    「教育無償化は先送りにして、インフラ整備を優先したい」
    もしも、総理がこのような事を言ったら、今の日本国民は支持するだろうか?
    マスコミが煽り、国民は非難の嵐なのは間違いないだろう。

     

    今政府が準備している緊急経済対策についても、
    国民の最大の関心事は「誰が、幾ら、カネを貰えるか?」だ。
    日本経済の再生を考えるなら、目先のカネは些末な話であり、
    求めるべきは「消費税の減税」だ。

     

    「福祉を充実して欲しいだろ?だから消費税増税は仕方ないよな?」
    この30年間、日本国民は財務省からずっとこのような脅しを受けているようなものだ。

     

    この脅しが有効に機能しているのは、
    2019年の10%への増税への賛否を見ても明らかだ。
    凡そ半数の国民が増税を支持しており、これは異常な状態であろう。

     

    保育料や学費が無料になっても、それによって軽減される負担など、
    簡単に負担の2%増に逆転されるのは四則演算ができれば分かることだ。
    そもそも「無償化」と言うのが嘘であり、「税金化」が正しい。

     

    要するに我々は自身の幸福追求を政府に依存しすぎているのだ。
    政府に求めるべきは、個々が幸せを追求できる環境を整えることであり、
    政府が国民を幸せにするのではない。
    教育インフラを含むあらゆるインフラが、幸せを追求できる環境に相当する。

     

    個々の権利や自由を守るのも一義的には国民自身が行う事だ。
    権利や自由はパイの取り合いのようなもので、
    誰かの権利や自由を大きくすると、誰かの権利や自由がその分制限される。

     

    それぞれが他人の権利や自由を尊重しながら、当事者間で折り合いを付けることが原則だ。
    政府が行うべきは「分けるパイを大きくすること」だ。
    誰にどのくらいのパイを分けるかを、
    政府が決める社会は中国や北朝鮮と変わらない。

     

    主権者である我々国民が、謙虚な気持ちで学び、真の意味で自立していれば、
    そこから選ばれる政府は、それほど間違った事はしないだろう。
    傲慢で誰かのせいにすることばかりを考えるから、
    間違った政策ばかりを採る政府を生み出してしまうのである。

     

    新型ウイルスによる甚大な経済損失が発生することは最早不可能であり、
    ダメージをできるだけ抑えようとする事も、あまり意味がないだろう。

     

    今は大恐慌並の経済危機が到来することを前提に、
    「そこからどう立て直すのか?」かが最も重要となる。
    ここで間違いを犯すと、第二次世界大戦のような悲劇が起こってしまう。

     

    コロナショックからいち早く回復するために我々国民ができることは、
    苦しさを誰かのせいにするのではなく、政府に何かを求めるのではなく、
    自分が何をできるのか?
    このような姿勢を持つ事だ。

     

    政府が無能だと思うなら、それはあなた自身が無能だったと言う事だ。
    それが民主主義国家の仕組みなのである。

     

     


    政治ランキング

    コメント
    コメントする