人類の思考に感染した新型ウイルス

2020.04.13 Monday

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    新型コロナウイルスの流行の影響は、
    全世界に想像以上のインパクトを与え世界には重苦しい空気が広がっている。

     

    日本では、3月の初め頃までは比較的楽観的な空気が流れていたが、
    3月の下旬からは空気が一変し、
    このウイルスに対して楽観的な考えを発言しようものなら、
    ある種の犯罪者のように扱われるようにすらなっている。
     

    普段、あれほど大切だと主張していた、
    「言論の自由」や「多様性の尊重」と言った価値観はいとも簡単に忘れ去られてしまった。

     

    昭和初期、この国を戦争に駆り立てて言った空気とはこういうものだったのだろう。
    今までは本の中の知識でしかなかった戦前の社会が、
    凡そ80年余りの時を経て、今目の前に広がっているのである。

     

    欧米各国では「緊急事態宣言」を出し、国民の自由を大きく制限しており、

    日本でも同じような事が行われようとしている。

    非常時に自由を制限することは確かに必要な事だが、

    今回の問題は「どういった基準で非常時と見なすのか?」が全く不明瞭な点だ。

     

    大東亜戦争に至る過程で我が国が犯した最大の失敗は、「戦略の無さ」だった。
    どのように戦争を終わらせるのかを殆どイメージせずに開戦を決定した。
    その結果、敗戦が避けられない状況になっても、戦争を終わらせることができず、
    多くの同胞を死なせてしまった。

     

    今回のウイルスは人類がこれまでに経験した同種の伝染病と比べても、
    身体的なダメージは比較的小さい事は、既に明らかだ。
    特に日本におけるダメージの小ささは特筆すべきものがある。

     

    日本国内で初めて感染者が確認されたのは2020年1月16日だったが、
    それから約3ヶ月が経過した時点での感染者は4,000人にも満たず、

    死者の数に至っては70人ほどだ。

    3月までは殆ど対策をしてこなかったにもかかわらずこの数字だ。

     

    このような数字で様々な自粛要請を行い、緊急事態宣言まで出すのなら、

    その解除は一体どのような状況に行われる事になるのだろうか?

    普通に考えるなら新規感染者が殆どゼロになるまで解除することはできない事になり、

    そうなるまでの時間は年単位でかかることになるだろう。

     

    それほど長期に渡り経済活動を停滞させることになれば、

    ウイルスで死ぬ人の数百倍、数千倍の命が奪われる事になる。

     

    人々が「事実」を直視しようとせず、

    世論をどこかに誘導しようと偏った情報を流すメディアに扇動され、

    反論を許さない空気を作りだし、

    政府はその空気に流され、やらなくても良い戦い、やるべきではない戦いを、

    戦略なく始める。
    あの戦争で犯した間違いをまた繰り返そうとしているのである。

     

    これは諸外国も同様だ。

    「感染爆発」などと言われている欧米諸国も、感染者や死者の数をそのまま見ると、

    過去の伝染病に比べて決して脅威度が高いわけではない。

    感染者数が最も多いアメリカにしても、殆どの人は「元気」だ。

    重症化した患者、死亡した患者を目にした人すら殆どいないだろう。

    その事は数字を見れば明らかな事だ。

     

    もしも、今回のコロナウイルスがもっと致死率の高いものであれば、

    人類は過去の経験を生かしてもっと上手く対処し、

    これほどまでの社会的ダメージを負うことは無かった筈だ。

     

    実際、SARSや、MERS、エボラ出血熱などの時に、

    このような混乱が起きることは無かった。

    これこそが、今回の新型コロナウイルスの一番の特徴だと言えるのではないか?

     

    新型コロナウイルスは、人間の身体に深刻ダメージを与えるウイルスではなく、

    我々の思考に深刻なダメージを与えるものなのだろうと私は考える。

     

    身体的なダメージは必要最低限に抑え、思考の錯乱を最大限に引き出す。

    これを誰かが意図してやっているとしたら画期的な新戦略だ。

     

    元々ウイルスという存在は謎に包まれている。

    ウイルスは生物に寄生しないと生きていけず、その点においては寄生虫と同じだ。

    だが、寄生虫が宿主を殺す事はない。

    宿主の死は自身の死を意味するのだから、これは当然の事だ。

     

    一方のウイルスは宿主を殺す。
    しかも、ピンポイントで人間を狙ったウイルスが多く、

    まるで、人間を殺すために生まれてきた存在のように思える。

     

    ウイルスが人類を殺す事を目的として存在するとしたら、

    新型コロナウイルスの新戦略は、今のところかなり成功していると言えるだろう。

    なんとなくの「不安」が、一瞬にして全世界の人間に「感染」し、

    それによって人々は病院に殺到し、その事で二次感染や医療崩壊を招いている。

     

    その意味では新型コロナウイルスによって生まれた死者の内、

    決して少なくない数の死者は人災的に生まれたと言えるだろう。

    だが、人類はその区別がつかず、ウイルスの脅威を更に大きく感じ不安を募らせていく。

    このような連鎖によって被る人類のダメージは計り知れない。

     

    現在、世界中で数多くの医療関係者がワクチンや治療薬の開発をしているだろう。

    それが完成すれば事態は急速に収拾の方向に向かうだろうが、
    それはあくまでウイルスの持つ身体的な攻撃を無効化するに過ぎない。

     

    今、我々が真に必要とする薬とは「思考のワクチン」だ。
    この薬を作れなければ、コロナ後の世界は非常に暗いものになるだろう。
    似たようなウイルスによって大きなダメージを負うことになる。

     

    グローバリズムは確かに行き過ぎたものであったが、

    だからといって、国家が自分の国の事だけを考える世界は良いわけでは無い。

    人権や自由と言った価値観の追及も行き過ぎたものだったが、

    だからといって、中国や北朝鮮のような体制が良いわけがない。

     

    しかし、新型コロナウイルスに感染した思考を治療しなければ、

    コロナ後の世界は、コロナ前の世界を極端に否定するものになるだろう。

     

    また、この程度の身体ダメージのウイルスに対して、

    これほどまでの対策が必要だとするなら、

    毎年のインフルエンザに必要な対策はこんなものではなくなる。

     

    「思考のワクチン」は医療の研究機関では作れない。

    我々自身が自ら開発するものだ。

    新型コロナウイルスに感染した我々の思考を、どう治療するのかを考えてみたい。

     

    ■「想像力」がヒトを万物の霊長にした

    治療薬を作るには、「なぜ病になるのか?」という原因を知る必要がある。

    今回の場合、新型コロナウイルスが原因ではあるが、

    もちろん、このウイルスが人の脳に直接的にダメージを負わせる性質をもっているわけではない。

    全ては人の「認知」が生み出した病だと言える。

    この事を理解するには、人だけが持つ特徴を知る必要がある。

     

    私が子供の頃、ヒトとは祖先種であるホモ・エレクタスがアフリカを出て各地に移住した後、

    それぞれの場所で独自に進化し、現代人に至ったと教えられた。

    つまり、オーストラリア原住民はジャワ原人から進化したことになり、

    我々日本人は北京原人の子孫ということになる。

     

    この「他地域平行進化説」は、現代では殆ど否定されている。

    全ての現代人はアフリカに出現した単一の種が進化されたという「アフリカ単一起源説」を、

    多くの科学者が一致して支持している。

     

    ジャワ原人や北京原人は確かに存在していたが、

    それらの種は全て絶滅しており、現代人とは関係ないというわけだ。

     

    アフリカに生まれた現代人の共通の祖先に当たる「サピエンス」は、

    陸上で捕食者に怯える、取るに足らない動物であった。

    そんな脆弱な動物が7万年ほど前になると、突如として地球上のあらゆる場所に進出し、

    他の人類を絶命に追い込み、瞬く間に食物連鎖の頂点に立ち、

    地球の支配者のような存在になった。

     

    なぜそのような事が可能だったか?

    それは、7万年前に人類に起こった認知能力の革命的変化だ。

    これにより人類は「想像力」という武器を手に入れることになる。

     

    「オオカミに気をつけろ」という言語を操れる人類は他にもいたが、

    「オオカミは部族の守護者だ」と出来る人類はサピエンスだけだった。

     

    このような認知能力に対する革命的変化がなぜ起きたのかは、

    最新の研究でもわかっていない。

    だが、これにより得た想像力によってサピエンスは複雑な社会を形成することが可能になった。

     

    その後、人類は「農業」という生存手段を獲得する。

    1万年ほど前に植物や動物の家畜化が始まり、人類は定住生活をするようになる。

     

    農業の誕生を単純に進歩と捉えてしまう認識は正しくない。

    初期の農民は健康状態や栄養状態のどれをとっても、

    狩猟採集生活者よりも劣悪な状況だった。

     

    狩猟採集民は一日わずか数時間の労働で必要な食料を手にすることができた。

    また、自然の様々な食材を手にできるため、

    飢饉に見舞われる事も稀で、栄養バランスもとれていた。

    しかし、人類は農耕という生活様式を選択した。

    この理由もまた、よく分かっていない。

     

    農業は狩猟収集生活に比べて、必ずしも優れていたわけではなかったが、

    人口を増やすという点では優位性があった。

    結果、人類の人口は爆発的に増加し、

    それに伴い複雑な教義や体系をもった社会や宗教が生まれる。

    想像力によって虚構を生み出す力がそれを可能にした。

     

    この虚構による社会秩序と文化は見ず知らずの多くの人を束ね、

    協力させる事を可能にした。

    会社、法律、貨幣、国家など、これら全ては虚構の上に成立しているものだ。

     

    虚構によって人類は秩序を維持しているが、

    想像上のヒエラルキーと差別も生み出した。

     

    宗教や民主主義、自由主義経済から共産主義まで、

    人類は様々な脱出不可能な虚構の牢獄を生み出すことになる。

     

    これら想像上の秩序は我々の心の中に存在しているものだが、

    巧みに物質世界にも織り込まれており、人の欲望までも支配する。

    そして、この想像上の秩序は「共同主観」によって支えられているために、

    一度に多数の人間の意識を変えなければ、変化を起こすことができない。

     

    また、変化を起こせたと思っても、その先にはより大きな共同主観が立ちふさがる。

    例えば、神に選ばれた王を滅ぼしたとしても、

    神が与えた権利による自由や平等といった虚構が待ち構えている。

     

    想像力により、虚構という力を生み出し、

    その力で文化を形成し発展してきたのが我々人類だ。

    想像力とは「人間を人間たらしみた特性」であり、
    この特性に直接的に攻撃してきたのが、今回の新型コロナウイルスであると言えるだろう。

     

    ■コンピュータウイルス対策に学ぶ

    身体をハードウェアとするなら、

    人が持つ想像力とはソフトウェアと見なすことができる。

    ならば、ハードを傷つけずにソフトを誤作動させる新型コロナウイルスとは、

    コンピュータウイルスに似ていると言えないだろうか。

    だとすれば、その対処は「ウイルス対策ソフト」の考え方にヒントがある筈だ。

     

    ウイルス対策ソフトは、

    侵入したウイルスをそのコードパターンや動きから検知する。

    そしてそれを拡散させないように、隔離するという対処をする。

     

    また、その効果を発揮する前提として、

    常にOSを最新のものにアップデートし、

    ウイルスを判別するパターンデータベースを最新にしておく必要がある。

    このウイルス対策ソフトの動きを、新型コロナウイルスに当てはめてみよう。

     

    まず我々は「自らの思考や行動」がどのように影響を受けているのかを自己診断すべきだ。

    「必要以上の不安にかられていないか?」

    「衝動的な行動を起こしていないか?」

    「自らの行動にブレーキをかけすぎていないか?」

    こういった事を意識することが重要になる。

    また同時に、そういった思考を知らず知らずのうちに拡散していないかも重要だ。

     

    その前提として、正しい情報(事実)を正確にアップデートしておく必要になる。

    コンピューターにおける「OSのアップデート」がこれに当たる。

    しかし、TVやネットなど様々な情報源が溢れている現代で、

    これは決して簡単な事ではない。

     

    特に現代の日本人は「事実」と「意見」の区別がついていないように思う。

    例えば「日本は他国に比べて、異常に感染者数や死亡者数は少ない」

    これは、紛れもない「事実」だ。

    ところが、これを言うと「甘く見ている」「危機感が足りない」等と批判されるのが現在の風潮だ。

     

    「ヨーロッパやアメリカは感染爆発を起こしている」

    「だから、日本も都市封鎖などの対策が必要だ」

    これは、明らかに「意見」なのだが、今の風潮はこれが「事実」と捉えられている。

     

    「感染爆発」の定義とは何だろうか?

    日本では毎年インフルエンザで一週間に多いときには40万人程度の数が感染する。
    しかし、そのペースが「感染爆発」と表現されたことは私の記憶ではない。

     

    「欧米で感染爆発が起こっている」という認識は、

    実は「TVや新聞がそう言っているから」が根拠でしかない人が大多数だろう。

    TVや専門家が定義も示さず「感染爆発」と言う言葉を使うのは、

    「大変な事にしたい」という意思が働いているのは明らかだ。

     

    残念ながら今の日本のメディアは「事実」を殆ど伝えない。

    TV局や新聞社の「意見」を事実のようなに伝えているだけだ。

     

    しかし、彼らも完全なウソをつくことはできない。

    例えば「4月1日の新規感染者数は100人」という報道があれば、それは事実だ。

    問題はその事実が、危機が迫っている兆候なのかであり、

    その事を判断するためには、過去の類似の事象との「比較」が欠かせない筈だが、

    比較した「事実」が示される事は皆無なのである。

     

    「比較」とは、ウイルス対策ソフトで言うところの

    「パターンデータベースの更新」に相当すると言えるだろう。

     

    加えて比較もしていないのに、
    「4月1日の新規感染者数は100人“も”発生した」等と言ったように、
    あたかも過去の類似の事象に比べて多いような印象を与える表現を好んで使用する。

     

    但し、インターネットの発達により我々は簡単に比較する為の情報を入手できる。

    人の思考に対する新型コロナウイルスの感染が拡大しているのは、

    ネット社会が大きく起因しているが、

    この感染を治療する為にネットが重要になるというのは何と皮肉な事だろうか。

     

    真実を可能な限り客観視し、心理的影響を“隔離”する。

    それができれば、対策の第一歩となる筈だ。

     

    ■誤った民主主義が引き起こす災厄

    更に重要なのは、それを行動に反映することだ。

    今の事態が引き起こす世界的な悪影響の殆どは、

    我々自身の行動によって引き起こされている。

    自然災害的なものではなく人災的な側面が既に色濃くなっている。

     

    過度な自粛はその最たる例だ。

    我々人類は、殆どの人がどこかの国家に所属している。

    国家は我々に権利を与えてくれるが、それは同時に義務を負っている事を意味する。

     

    その義務とは、「定められたルールに則って決められた国家の命令・要請に従う」という事だ。

    国家が自粛を求めるなら、それに従うのが国民の義務だが、

    現状は、国民が国家に対して自粛命令を出すことを求めているような状態であり、

    これは慎むべきだ。

     

    安倍政権は明らかに出来る限り自粛要請を出さないようにしており、

    これは、真意は別として結果的には国民の自由をできる限り守ろうとしている行動になっている。

    そんな政府に国民自らが自由の制限をすることを求めているのが現状だ。

     

    民主主義は国民が政策の方向性を決める制度であるので、
    現状は民意を反映しているとは言える。
    しかし、同時に我々は「議会制民主主義」を採用している意味も考えるべきだ。

     

    バカに見える議員達だが、殆どの国民は明日から議員になったら、

    今いる議員以下の働きしかできない。

    政治とは様々な事柄に目配せして行うものであり、

    日々の生活に手一杯な殆どの国民には政治を行うだけの知識も経験も足りない。

    だから、我々は選挙を通じて自分たちの代表者を選び、その者達に政治を委任する。

     

    政府に対して簡単に「緊急事態宣言を出せ」と求める人は、

    それによって、社会全体にどんなマイナスがあるのか全く分からない筈だ。

    政治家や官僚が全て分かっているとは思わないが、

    それでも、多くの国民に比べると分かっているだろうし、何より考えている。

     

    今が「非常時」だと思うなら、無用な批判は慎み政府を信頼し任せる事だ。

    評価は選挙で下すのが正しい民主主義の形である。

     

    ■「止める事」をやめる

    現在、飲食業や観光業を中心に困窮している人が大勢いることは事実だ。

    だからこそ、安易に自粛するのではなく、できる人はできることをやるべきだ。

    やることが難しくなった場合、なんとかそれをやる方法を模索することが必要だ。

     

    革命的な認知力の進歩により人は想像力という武器を手に入れ、

    その武器を使って、これまで様々な技術を生みだした。

    我々が手にした技術は、こういう時の為にある筈だ。

     

    イベントが中止に追い込まれた時、

    「Webで開催できないか?」というような事を果たして真剣に考えているだろうか?

    勿論、様々な課題を乗り越える必要がある。

    在宅ワークですら実施できる企業は少ない。

     

    しかし、ギリギリまで「やめること」をやめる。

    もしくは「代替手段を考える」という姿勢が重要なのであり、

    それこそが、今回の新型コロナウイルスに対する一番の特効薬ではないだろうか?

     

    残念ながら今の日本社会ではこのような姿勢は殆ど見られない。

    安易に何でも自粛し、その金銭的補償を政府に求めるばかりだ。

     

    そして、一番の問題は「やめること」をやめようとしている人を批判し、邪魔することだ。

    ギリギリまで自粛を回避しようとしている人は、

    本当は「ウイルス対策ソフト」のような行動をしているのであり、

    それを邪魔する人とはウイルスそのものだ。

     

    今回の事態は、想像以上に長期戦になるだろう。

    新型コロナウイルスの人の思考に対する感染は、既に何十億人単位に広がっているように思う。

     

    ただ、戦争や地震、台風等の脅威とは異なり我々はじっくりと考えられる時間がある。

    自宅や工場、物流システムや金融システム、

    そういった生活に必要なものは物理的には何ら破壊されていない。

    爆撃や余震に怯え、避難を余儀なくされる状態にもない。

     

    自らの思考や行動姿勢を客観的に捉え、内省する時間は十分にある。

    そして、この事自体は、日本が抱える様々な課題と共通の根っこに繋がるかもしれない。

    もしそうだとしたら、新型コロナウイルスによる思考の感染を克服することができたら、

    諸課題の多くを解決するための糸口を見つける事ができるかもしれない。

     

    自由、人権、民主主義、資本主義など、

    現代社会の基本的な価値観はフランス革命の頃に生まれた。

    こういった価値観を土台に人類は進歩し、第二次世界大戦をもって世界秩序が完成した。

     

    しかし、そんな人類社会は21世紀に入ると行き詰まりを見せていた。

    それは、人の想像力が弱くなったからではないだろうか?

    自由や民主主義・・・当たり前で絶対的なものだと思っていたものは、

    本当は人類がこれまでに生み出した数多の虚構の1つに過ぎない。

     

    新型コロナウイルスがしかけた「新戦略」は絶好のタイミングだった。

    インターネットが普及し、SNSが広まり、且つ人類がそれを十分にコントロールできていない。

    そんな今だから、これほどまでに人の思考に感染することができた。

     

    もしも神がいるなら、ある意思の下に恣意的に行われたようにさえ思う。

    その意思とは「人類の変革」なのではないのだろうか?

    我々はこのウイルスをきっかけに失いつつあった想像力を取り戻し、

    新しい社会を作り出す必要があるだろう。

     

     


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