新型コロナは日本の目覚めになるか

2020.03.29 Sunday

0

    2019年末に中国で発生した新型ウイルスは全世界に広がり、
    世界はパニック状態に陥っている。

     

    2020年3月28日の時点で、全世界の感染者数は“たったの”60万人、
    死者は約28,000人だ。

     

    自覚症状が全く無く、検査を受けていない人が相当数いるので、
    感染者の数は実際にはこの数倍、若しくは10倍以上いるだろう。
    だが、死者の数は誤魔化す事は難しく、またその必要も無いだろうから、
    中国政府が発表している数字は全く信用できないものでが、
    現代で死亡者を1/10の数字に小さく見せるようなことは困難であることから、
    死者の数字は実際と大きく乖離はしていないだろう。

     

    感染者の数も死者の数も、今後更に増加していくことになる。
    WHO(世界保健機関)の見解では、数百万人の死者になると言う。
    この数字は確かにインパクトがあるが、それでも“たった”数百万人だ。

    世界の人口は約77億人なのだから、1%にも満たない死者しか出さないということになる。

     

    歴史上、人類は何度かウイルスによって大量の死者を出している。
    最も有名なのは黒死病(ペスト)だろう。

     

    14世紀にヨーロッパで流行した「黒死病」は、
    わずか数年で当時のヨーロッパの人口の半数を死に至らしめた。

     

    そういったこれまでのウイルスに比べると、
    今回の新型ウイルスは感染力も毒性もあまりに小さいと評価できる。

     

    しかし、それにも関わらず世界は大パニックに陥り、
    各国は鎖国状態に陥り、外出の禁止、生産活動の停止などの処置をとっている。
    この先に待っているのは、言うまでもなく世界経済の大幅な縮小だ。
    職を失い路頭に迷う人々が世界中に溢れることになる。
    ウイルスによって奪われる命より、その後の経済的困窮で奪われる命の方が多いだろう。

     

    なぜ人類は取るに足らないウイルスにここまで怯え、
    パニックを起こしているのだろうか?
    その理由は簡単で、人類が脆弱になっているからだ。

     

    生きると言うことは常に死のリスクと隣り合わせだ。
    一歩自宅から外に出ると、交通事故にあうかもしれない、犯罪に巻き込まれるかもしれない。
    マンションを買う時、高層階を選ぶ方が低層階に比べるとよりリスクは高い。
    地震が起きれば揺れは高層階の方が強くなるし、
    火事が起きれば火は下から上に燃え広がる。
    低層階なら窓から逃げる事も可能だが、高層階でそれは不可能だ。

     

    海岸近くに住めば津波で命を失う可能性が高まるし、
    山の傍に住めば崖崩れで命を失う可能性が高まる。

     

    このように世界には命を奪うリスクに溢れており、
    本当は、我々は常にそのリスクを考えて様々な選択をしているのである。

     

    しかし、現代社会、とりわけ先進国ではその物質的な豊かさ故に、
    皆が守られていると根拠無く考え、リスクが無い、または非常に小さく見積もっている。
    一言で言ってしまえば、「平和ボケ」だ。

     

    だから、このような弱いウイルスですら、
    リスクが顕在化すると恐怖に怯え、パニックを起こすのである。

     

    脅威の大きさは、絶対値ではなく相対値だ。
    第二次世界大戦以降、人類は脆弱なった。
    だから、この程度の脅威でもヨーロッパの首脳達が言うように、
    「第二次世界大戦以来、最大の危機」であることは間違いない。

     

    しかし、この危機はそう長くは続かない。
    第二次世界大戦は約6年間続いたが、
    この新型ウイルスによる危機は今年中には収束していくだろう。

     

    そして、収束後の世界はそれ以前の世界と大きく様相を変える筈だ。
    後世の歴史家は、きっと「新型コロナウイルスは歴史の転換点」と評する事になる筈だ。

     

    日本の未来の為には、変わっていく世界に正しく対応する必要がある。
    今は幕末期と同じような状況であることを日本国民は認識すべきだ。
    幕末期は、ギリギリのところで我が国は新しい時代に適応し、
    西欧列強の植民地となることを防ぐことができた。
    それがあったからこそ、今我々が享受している豊かさがある。

     

    幕末以外も日本の長い歴史の中では、何度か歴史の転換期を迎え、
    その都度、ベストでは無かったかも知れないが、より良い選択を我々の先祖達はしてきた。
    だかこそ、我が国は今でも存在している。

     

    今回も我々日本人はより良い選択をできるだろうか?
    残念ながら、それはかつて無い程に難しいだろう。
    何故なら、今の日本は民主主義を採用しているからだ。
    しかも、現代日本の民主主義は白人達の建前を鵜呑みにした、お花畑的な歪んだ民主主義だ。

     

    これまで、歴史上何度かあった転換期は、
    一部の賢者達に導かれ、日本人は一致団結して乗り切ってきた。
    しかし、民主主義の下では少数の賢者達が賢明な判断をしても、
    大多数の国民が賢明な判断を下せなければ、正しい選択をすることができない。

     

    個人を国家や社会の上におき、
    生まれながらに全ての人が等しく人権という権利を有している等という
    傲慢な考えに蝕まれた現代の日本人が賢明な判断を下す事は非常に困難だと言わざるを得ない。

     

    しかし、今のような日本人になってしまったのは、ほんの数十年前からだ。
    我々の身体には、誇り高い先祖達の血が間違い無く受け継がれている。
    世界で唯一、白人に打ち勝ち、一度も国を滅ぼさなかった強さは、
    きっと今の日本人の中にも残っている筈だ。

     

    「日本人は目覚める事ができるか?」
    今回のウイルスは我々にこんな問いを投げかけているのだろうと思う。
    目覚める為の第一歩は「反省」だと私は思う。
    今回の新型ウイルス騒動は、人間の日本人の醜悪さをまざまざと見せつけている。
    まずは、そのことを受け止め正す事から始めるべきだろう。

     

    新型ウイルスが見せてくれた人の欺瞞を見ていきたい。

     

    ■学校は誰のためにあるのか?

    2020年2月27日、安倍総理は全国の小中高に対して春休みまでの休校要請を出した。
    それを受けて、全国の殆どの学校が休校を決める。
    この政府の要請に対して一部から強い反発が起こる。
    反発の大きな理由は「学校が休みになると働けない」というものだった。

     

    このことは、近年盛んに叫ばれている「教育の充実」が、
    単なる建前で、本音は「子育てを楽にする」という親の為のものだった事を露わにした。

     

    「休校中の子供の勉強の遅れはどうするのか?」
    本当に子供の教育を考えるなら、まずこのような事が出るべきだが、
    こんな意見は殆ど目にすることは無かった。

     

    結局のところ、学校とは「教育の場」ではなく「託児所」だと思っている親が少なくないということだ。
    こんな親達を支援するという名目で様々な予算が作られ、消費税増税の理由にされた。
    その結果、日本経済はまた失速し、国民全員でまた貧しくなっている。

     

    確かに共働きの親にとっては、託児所である学校が使えない事は大変だろう。
    だが、政府の決定は国を守る為、子供達を守る為の決定だ。
    その決定が正しいものかは分からないが、同時に間違っているとも言い切れない。
    「私が働けなくて困る」等と言う個人的な理由で反対すべきものではない。

     

    たった2週間の休校で働けなくなるのは、100%その親の責任であり、
    親の資格すら無いと私は思う。

     

    近所や職場の人達を協力して持ち回りで誰かの家に預かって貰う。
    親に預かって貰う。
    会社に交渉して勤務時間を調整してもらう。
    自分たちで何とかする方法は幾らでもある筈だ。

     

    そういったことが一切できないとしたら、
    それは、「他人に干渉しない」「他人に干渉されたくない」と、
    個人の自由を主張し、助け合える人間関係作りを放棄してきたからだ。

     

    この点は、日本人が最も反省し改めるべきことだろう。
    人間は皆弱く、一人では生きていくこができない。
    だから、人は社会を作り、国家を作った。
    個人は国家の上にある存在ではなく、国家の構成員の1人だ。
    その事を忘れ、「自分は国家や社会に何が出来るのか?」を考えないから、
    いざという時に助けを借りられる人が居ない孤独な状態になるのである。

     

    今回の新型ウイルス騒ぎを契機に、我々は失った繋がりを取り戻すべきだ。
    子育てとは、親と身近な社会が主体的に行うものであり、国家が行うものではない。

     

    同時に「少子化」を免罪符に、「楽な子育て」を望む親の支援は止めるべきだろう。
    「国の支援がなければ子育てできない」という人に対しては、
    ハッキリと「ならば子供を産んでくれなくて結構です」という姿勢を示すべきだ。

     

    そして、子供達に「未来の国家の構成員足る国民」になってもらう為に、
    社会全体で投資をすることが必要だ。

     

    ■危機に対応できない人間を作る日本の教育
    「コロナ以降の世界」では、強い国でなければ生き残れない。
    強い国家は強い国民が作るものであり、強い国民は教育の力が育む。

     

    とりわけ戦後の日本の教育は間違ったものだった。
    その事も今回の新型ウイルスは露わにしてくれた。

     

    新型ウイルスに対する日本政府の対応は、常に遅かった。
    1月の中旬には中国で感染が広がっている情報は伝わっていたが、
    入国制限などの処置は一切取らず、自由に日本に入国できる状態が続いた。

     

    国内の47都道府県の感染状況を見ると、最初に感染が広がったのは北海道だった。
    季節性のインフルエンザもそうだが、
    こういったウイルスは低温の方が活動は活発になるので、
    気温の低い北海道で流行するのは一見すると当然のように見える。

     

    しかし、同じように気温が低い東北地方は現在においても感染者は少ない。
    この違いは、「中国からの入国者の数」に起因することは明らかだろう。

     

    北海道は日本屈指の人気観光地であり、中国から大量の観光客が訪れる。
    更に2月上旬には今や世界的に有名になった札幌雪祭りが開催され、
    いつも以上に中国からの観光客が増える。
    これが、北海道で感染者が増えた大きな理由なのは間違いない。

     

    もしも、1月の下旬に中国からの入国を制限していたら、
    感染はかなり抑えられただろう。

     

    このように日本政府の対応は常に鈍いもので、
    これは今に至っても何ら変わっていない。

     

    その最大の理由は、今の日本では政治家も役人も、
    指導的立場の人間は「受験エリート」がその殆どを占めるからだ。

     

    日本の受験制度は「知識の量と正確さ」を計るものであり、
    「答えのある問題を解く能力」が高い者ほど優秀とされる。
    裏を返せば、彼らは「想定外の事態に全くの無力」である事を意味する。

     

    こういった受験エリートも社会には必要なのだが、
    今の日本の問題は、受験エリートが国民から盲信され、
    最終意思決定に大きく影響を与えている点だ。

     

    複雑な社会構造の中で、できるだけ正しい選択をする為には、
    多様な人生経験から生まれた、ある種の「勘」のようなものが重要になる。
    受験エリート達は、学生時代の殆どの時間を机上の勉強に費やしており、
    言ってしまえば、高学歴者ほど人生経験の幅は狭い。
    これでは、未知の事態に対応する「勘」など働きようもないだろう。

     

    また、官僚機構に属する全ての役人は同じような勉強をして、同じ問題を解く。
    そうして、官僚の地位を手に入れる。
    つまり、官僚機構全体で見ても、経験の多様性は無く画一的になる。
    彼らから画期的なアイデアが出ることなど有り得ない。

     

    TVで連日デマをまき散らす、専門家なる存在もその殆どが「受験エリート」だ。
    多くの視聴者は、東大医学部卒や○○センター所長といった、
    何だか凄そうな肩書きだけで、彼らの言う事を驚くほど素直に信じる。
    そして、その言葉に踊らされ、政府の足を引っ張ったり、買い占めに走ったりする。

     

    大衆が受験エリート達を盲信する理由は、
    「情報リテラシーが低い」と言った理由ではない。

     

    大衆自身も、受験エリート達と同じ教育を受けているからだ。
    違いは単にテストのスコアだけであり、
    多くの人々もテストのスコアが高い人を優秀だと考え、
    自身も少しでも高いスコアを取ろうとしていた。

     

    今勤務している会社に席があるのも、テストのスコア(学歴)だと考えている。
    ある意味、受験のスコアは自分の価値なのであり、
    受験エリートを否定することは自身の否定にも繋がる。
    だから、大衆は受験エリートの言葉を信じる、信じたい。

     

    東京大学を頂点とした学歴ピラミッドに殆どの国民は組み込まれ、
    教育の場に多様性など無いのが現状だ。

    この傾向は、平成以降はとりわけ強く、
    昭和の時代にいたような「不良」などは地方でも見る事は難しい。

     

    今の子供達は明らかに「お行儀の良い子」だ。
    ルールには従順、親の言う事には逆らわない、高望みをせず、冒険もしない。
    子供達が自分の頭で考え、このようにしているのなら良いが、
    決してそういう訳ではないだろう。
    社会が子供達にそうあることを強制しているのだ。

     

    少しでも周りと違う行動や言動があれば、批判を浴びせられ引きずり下ろそうとする。
    スポーツでも芸能でもビジネスでも、何か優れた結果を出せる才能を持った人には、
    同時に人格者であることを求める。
    当事者同士の問題解決は直ぐに放棄し、安易にルール(法律)による解決を求める。

     

    こんな社会の息苦しい空気を子供達は敏感に感じ取り、
    「大人しく学歴ピラミッドの中で生きよう」となるのである。
    子供達の多様性を潰すと言うことは、子供達の可能性を閉ざすということだ。
    そして、それはこの国の未来を閉ざす事を意味する。

     

    本当の教育とは何か?
    このことを日本国民の1人1人、特に子を持つ親達は真剣に考えるべきだ。

     

    今まで「優秀」だと信じてきた、
    受験エリート達は今回のような弱いウイルスに対してすらまともに対応できなかった。
    彼らが無能だったわけでは決してない。
    寧ろ高いポテンシャルは持っていた筈だ。
    問題は彼らに施してきた教育にあるのであり、この間違いは早急に正す必要がある。

     

    ■欧米は進歩的という洗脳
    その為には真の意味で多様性を尊重する日本社会を取り戻す必要がある。
    本来、日本という国家は世界でも類をみない程、多様性を尊重する国家だ。

     

    その事は古事記に語られる神話も見ても明らかだ。
    日本に限らず、まだ国家が無かった時代、人は小さな集落単位で生活をしていた。
    そして、それぞれの小さな集団には何らかの神がいた。

     

    初期の国家とはそういった小さな集団が強い集団に征服されることで形成されていった。
    殆どの場合、征服者は被征服者側の神を否定し、征服者側の神に対する信仰を強制した。

     

    例えば、ギリシャの神々や北欧の神々など様々な神が存在していたヨーロッパは、
    ローマ帝国が征服し、キリスト教を国教と定めてからは、
    キリスト教以外の宗教は消滅した。

     

    日本はこれとは全く異なる。
    日本を統一したヤマト王権は、それぞれの氏族の宗教を尊重しそのまま残す事を認めた。
    だから「八代万の神」が生まれた。

     

    同性婚を法律で認める事が多様性ではない。
    夫婦別姓を法律で認める事が多様性ではない。
    何でもルールで規定する考え方は、キリスト教に根差した白人社会の考え方だ。

     

    聖書には多様性の欠片もないどころか、多様性を否定している。
    唯一絶対の神が居て、神が決めた絶対的な基準がそこにはある。
    全ての人間は神の教えを守り生きる事を要求する。

     

    聖書では女性は最初から男性の為に造られた存在だ。
    神は初めてに自分に似せて、自分の友としてアダム(男)を造った。
    だがイヴ(女)は、1人で寂しそうにしているアダムの為に、アダムの肋骨から造られた存在だ。
    キリスト教社会では、男女差別は当然の事だと言える。

     

    日本よりも欧米の方が、多様性がある社会だと思うのは大きな間違いだ。
    日本よりも欧米の方が、女性の地位が高いと思うのも間違いだ。

     

    何でも欧米が進歩的で、日本は遅れていると思うのは全くの間違いであり、
    殆どの事で我々日本は、欧米の遙か先を行っている。

     

    ■簡単に制限された欧米の人権
    この事もまた新型ウイルスが露わにしてくれた。
    ヨーロッパはEUと言う枠組みで将来的に1つの国家を目指していた筈だ。
    その為に、統一通貨ユーロを導入し、EU域内ではパスポート無しでの往来が可能だ。

     

    ところが今回、ウイルスが蔓延するとEU各国は国境を封鎖した。
    これは、シェンゲン協定の実質的な無効化だ。
    シェンゲン協定とはヨーロッパの国家間において国境検査なしで国境を越えることを許可する協定だ。

     

    北海道でウイルスが蔓延したからと言って、
    他46都府県は北海道からの移動を制限することなどしない。

     

    都市を閉鎖し、外出を禁止し、違反した者には罰則を科す。
    医療崩壊したイタリアでは、患者に優先順位をつけるトリアージが始まっており、
    高齢者には緊急治療室を使わせない処置が始まっている。
    実質的に、高齢者を見殺しにする判断をしたということだ。

     

    これが普段、人権先進国で日本より進んでいるとされているヨーロッパの現状だ。

     

    ヨーロッパの対応が間違っているとは私は思わない。
    むしろ国家としては正しい選択であり、
    日本もそういった判断が必要となる自体になったら、躊躇なくそうすべきであるとさえ思う。
    但し、そうならない努力を最大限尽くした上での判断だ。

     

    ヨーロッパがこの程度のウイルスで何故、ここまでの状況になったのか?
    その最大の原因は人がカネに囚われていたからだろう。

     

    イタリアで多くの感染者、死者を出している大きな理由は2つある。
    1つは、大量の観光客を呼び込み金儲けをしようとした政策だ。
    当然、これにより大量の中国人がイタリアに訪れる。

     

    2つ目の理由は、中国人労働者の大量受け入れだ。
    イタリアにはプラダやアルマーニなど多くのファッションブランドがあるが、
    これらの殆どは中国工場で生産しイタリアブランドとして売るか、
    イタリア国内で中国企業が中国人を雇って生産している。

     

    イタリア以外のヨーロッパ諸国で感染者が多い国は、スペインやドイツ、フランスなど
    中国との関係が深い国々だ。

     

    そもそも中華人民共和国という国は、共産党の独裁国家であり、
    自由とは最も程遠い国家だ。
    チベットやウイグルなどでは現在進行形で侵略を行っており、
    民族の絶滅を目的として、強制収容での虐殺を繰り返している。

     

    ヨーロッパ諸国が本当に自由を尊重し、民主主義を大切に考えているなら、
    本来、中国とは最も相容れない国家になる筈だ。
    だが、現実はカネの為には自由も民主主義も関係無いと言う事だ。

     

    ■拝金主義が生んだ危機
    ただ、残念ながら日本もヨーロッパ社会のようにカネに囚われている。
    外国人観光客に頼った金儲け、移民に頼った安価な労働力確保、
    イタリアが採ったこれらの政策は、日本も全く同じ事をしようとしている。

     

    だから、日本でも中国からの渡航制限を実施すると、
    多くの観光関連企業が打撃を受けた。
    今後、これらの企業の多くは倒産することになるだろう。

     

    しかし、これは今回のウイルスが無くてもいつかは起こった事だ。
    海外からの観光収入を軸にした経済政策はリスクばかりが大きく、見返りは少ないものだ。
    まして、中国のような国からの観光客を中心に据えるなど自殺行為とさえ言える。

     

    お金は確かに人間社会では生きていく為には重要なものだ。
    しかし、お金で幸せは買えない、どんなにお金を手にしても真の豊かさは得られない。

     

    西洋社会はその歴史の始まりからカネが全ての社会だ。
    人間ですら奴隷という商品として売り買いの対象にするのが白人社会だ。
    一方の日本ではそのような考え方は無かった。

     

    確かに日本でも貧しい農家が子供を丁稚奉公と言った形で、お金に換える事はあった。
    今で言う風俗に売られる女性も居た。
    だが、西洋社会の奴隷とは違い、彼ら彼女らは一定の期間働けば、
    いつかは解放されることが殆どだった。
    日本には人間を所有物と見る考えは無い。

     

    また決してお金持ちではなくとも、職人など高い技術を持つ者は皆の尊敬を集めた。
    江戸時代の寺子屋はその全てが無料だ。
    それも藩がお金を出していたわけではない。
    寺や地域の名士が社会の為に、無料で奉仕したのである。

     

    日本人の高い教育レベルや技術力はこういった精神が育んだものだ。
    だから、我々は世界で唯一西洋社会に負けなかった。

     

    しかし、そんな日本も徐々にカネが支配する社会になりつつある。
    沖縄の基地移設問題、福島の原発問題、豊洲市場の移転問題・・・
    こういった問題を注意深く見ると、
    結局主張されているのは「カネをくれ」だ。

     

    夫婦別姓、同性婚、女性活躍、子育て支援・・・
    こういった問題も、結局は「カネをくれ」という主張に過ぎない。

     

    今回のウイルスによる経済的なダメージを最小にするため政府は経済対策を検討しているが、
    これに対して出てくる声も「さっさと現金を配れ」だ。
    4年にも渡り政治を停滞させているモリカケ問題も、その根底にあるのはカネの話だ。

     

    ■金持ちを悪とした日本人
    日本で「金持ち」という言葉生まれたのは豊臣秀吉の時代だと言う。
    これは秀吉の全国統一と、それによる統一的な通貨の発行が大きく起因しているだろう。
    「金持ち」と言う言葉は悪い意味の言葉として使われていた。
    「金持ち」とは「金を使わない」事を意味し、それは悪行とされたのである。

     

    お金は使う事で、誰かのところに渡る。
    沢山お金を稼げる人が、沢山使うことで多くの人にお金が渡り、
    社会全体は豊かになる。

     

    このことを日本人は知っていたと言う事だ。
    皆が幸せにならなければ、自分の幸せも無い。

     

    高い能力や才能は、社会全体の為に使うために神が与えたものだ。
    この事は初代天皇である神武天皇の詔(みことのり)にも述べられている。

     

    「いやしくも民に利さち有らばいかにぞ聖(ひじり)の造(わざ)に妨(たが)わん」

     

    「国民を幸福にすることこそ天皇の任務」という意味だ。
    この精神は今上陛下に至るまで126代にも渡って受け継がれている。

     

    だからこそ、日本は世界最長の国家なのである。
    君主が国民を幸福にしようとしてくれる国を無くそうなどと考える国民がいるわけが無いだろう。
    そんな国に生まれた事を我々日本人は深く感謝すべきだ。

     

    今回のウイルスで確かに収入が激減し、生活が苦しくなる人も多いだろう。
    だが、これは政府のせいではない。
    勿論、対応が遅いなどの不手際もあるが、
    その責任は政府や役人だけにあるわけではなく、我々国民にもある。
    何故なら日本は我々国民が主権者なのであり、政府は我々が選んでいるからだ。

     

    衰退しているとは言え、我が国はまだまだ経済大国であり、
    国内には大きなマーケットが存在している。
    これは、国内には幾らでも仕事がある事を意味する。

     

    また、日本には生活保護制度があり、しっかりと機能している。
    国民皆保険制度により、非常に低い負担で医療を受けることができる。
    生活保護受給者の医療費は無料だ。

     

    例え失業したとしても、生きていくことはできる。
    幾らでも再起を図る機会はある。

     

    それぞれが労働を美徳とする日本人の精神を思い出し、
    “誰かの為に”一生懸命働けば、
    この程度のウイルスごときで受けるダメージは軽微なものだ。

     

    しかし、国家にカネをせびる事ばかりを考え、
    自分だけはカネを得ようとする人ばかりになると、
    立ち直れないダメージを負うことになるだろう。

     

    ■日本再生の好機
    今回の新型ウイルスは傲慢になりすぎた人類に対する神の罰なのかもしれない。
    グローバリズムは人間の傲慢さの象徴だった。
    何の為に国家が存在し、国境があるのかを忘れ、
    カネ儲けの効率が良いことを合理的として、
    進められたグローバリズムには大きな逆噴射がかかることになるだろう。

     

    全ての人間が生まれながらに持っている権利。
    人権という考えも傲慢さが生み出したものだ。
    権利は果たした義務の大きさに比例して得るものであり、
    全体に対してより大きな義務を果たした者に、大きな権利が与えられる。
    現在進行形で行われている各国の人権侵害は、非常時ということで正当化され、
    人権に対する捉え方に変化を与えるだろう。

     

    世界経済は大きなダメージを受けることは避けられないだろう。
    歴史を見ると、経済的困窮は人々を過激な思想に走らせ、
    大きな悲劇に繋がる事が多い。
    ナチスドイツの誕生も、大東亜戦争の開戦も経済的困窮がもたらした結果だ。
    この点は、日本の最も懸念される点だ。
    現代の日本人の多くは、安易に自分の苦しさを政治のせいにする傾向が強いので、
    かつての民主党政権のような政権を誕生させてしまう可能性が高い。
    民主党政権でこの国がどうなったのかを今一度思い出す必要がある。

     

    社会は暗い雰囲気に包まれているが、
    私は日本にとっては敗戦により失いつつあった本来の日本を取り戻す機会だと捉えている。

     

    愚かな買い占めなど愚かな大衆の行動は散見されるが、
    それでも欧米に比べると遙かに理性的に賢く日本人は行動しているように思う。
    普段から地震や台風などの災害に慣れているのも大きいのだろう。

     

    元々、日本人は目に見えた危機に対しては強い国民性を有している。
    問題はこの先だ。
    世界は間違い無く大きく変化する、その変化を察知して適切に対処できるかが重要になる。

     

    戦前、日本は世界の変化に鈍感であり、その結果があの敗戦だ。
    二度とあのような間違いを犯すわけにはいかない。
    二度続けての間違いは、この国を滅ぼすことになるだろう。

     

    身近なコミュニティの崩壊も、教育の歪みも、拝金主義の蔓延も・・・
    全ては元を正せば敗戦に起因している。
    戦争で作られた世界は、新しい戦争でしか変える事はできない。
    悲しい事だが、これが人間の限界なのだろうと思う。

     

    但し、その戦争は必ずしも人間同士のものだけではない。
    欧米諸国は戦時体制であり、今はウイルスとの戦争のただ中にあるのだ。
    この戦争の勝者になれるかどうかは、日本の未来を大きく左右することになるだろう。


    政治ランキング

    コメント
    コメントする