日本を守る為に

2019.07.01 Monday

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    JUGEMテーマ:国防・軍事

     

    果たして我が国は、日本が他国に攻撃されるような事態になったとき、
    自国を防衛できるのだろうか?

     

    国防は全ての日本国民にとって、最も重要なテーマであるにも関わらず、
    戦後、我が国では国防に対して深く議論することは
    ある種のタブー扱いをされており、国民の多くは目を背け続けている。
    勿論、そんな国民から選ばれる政治家たちも同様だ。

     

    2019年現在において、日本に武力攻撃を仕掛ける可能性が最も高いのは、
    中華人民共和国(中国)だろう。
    中国からの武力攻撃があったとき、
    日本の力で、その攻撃を止めさせる事は残念ながら不可能だ。
    止めさせる唯一の方法は、日本が速やかに降伏することであり、
    これでは、「自国を守った」とは言えない。

     

    現実的には、日本への攻撃を止めさせるためには、
    同盟国アメリカを中心とした国際社会の力を借りる他ない。
    つまり、日本は独力によって自国防衛することは出来ない。
    最も、これは日本に限った事ではなく、
    世界の殆どの国は、独力のみで国防を完遂することは出来ない。

     

    アメリカ、中国、ロシア、インド、イスラエル・・・
    こういったごく一部の国家しか、独力での自国防衛はできないだろう。
    独力での自国防衛が可能な国家に共通しているのは、「核保有国である」という点も重要だろう。
    どんなに綺麗ごとを並べようとも、
    「独力で国防を行うには核が必要である」という事実を変えることはできない。

     

    核を持たない限りは、日本は他国の力を借りないと国を守れないわけだが、
    ならば「日本が攻撃を受けたとき、国際社会は日本の為に動いてくれるのか?」
    この点が非常に重要になる。
    簡単に言うと、湾岸戦争やイラク戦争、アフガン戦争の時のように、
    武力を用いても日本の為に動いてくれるのか?と言うことだ。

     

    日本に攻撃を加えるのが、中国やロシアだと仮定するなら、
    国際社会が武力を用いてでも、日本の防衛の為に動いてくれることは無いだろう。
    そして、それは世界全体の事を考えるのなら、正しい判断だ。
    何故なら、中国vs多国籍軍のような対立構造の発生は、
    核戦争の勃発を意味し、それは世界の終わりに繋がるからだ。

     

    戦後、日本の国防は常に危ういバランスの上に保たれてきた。
    一方で、日本は世界で最も安全で平和な国家でもあったが、
    これは奇跡のような幸運が積み重なった結果に過ぎない。
    戦後、日本人は国防について真剣に向き合うことを避け続けているので、
    国を守るための大きな戦略を描き、それを実行してきた結果の平和ではない。

     

    しかし、昨今の国際情勢を見ると、
    日本に平和をもたらしてきた奇跡のバランスは揺らぎつつある。
    次の時代の世界覇権を巡る米中の対立は、勝敗が決するまで続く。

     

    アメリカ合衆国という国家は、世界覇権を手放す事を絶対に許容しない国だ。
    「2番じゃダメなのですか?」という様な考えはあの国にはない。
    それこそが、アメリカという国の核心的なアイデンティティだ。

     

    共産党による一党独裁体制である中国も、絶対に引くことができない。
    中国は為政者の失敗を許さない。
    最も強いから天に選ばれた中華皇帝なのであり、
    弱い皇帝の率いる王朝は、次の王朝にその座を譲らなければならない。
    それが、あの国の歴史が示す絶対的ルールだ。
    だから、現代の中華皇帝である習近平、中国共産党は絶対に譲歩できない。

     

    中東の不安定化もますます進むだろう。
    シェールオイルの実用化は、アメリカを資源輸出国にし、
    産油国としての中東諸国の地位は、アメリカにとっては低下した。
    アメリカが中東地域に関与する最大の理由は、
    イスラエル、即ちユダヤ人問題ということになり、
    今後、ますますアメリカはイスラエル寄りの姿勢をとるだろう。
    それは、未だ解決の糸口が全く見つかっていない、
    彼の地に燻る宗教的対立を激化させる事に繋がるだろう。

     

    EUという壮大な社会実験が失敗に終わった欧州も、先行きは不透明だ。
    今のEUは、「ドイツ帝国」と形容することができる。
    かつてヒトラーが夢想し作り上げようとした帝国が、
    現代に誕生したものがEUの正体であり、
    EU加盟国は言うなればドイツの属国のようなものだ。
    だからこそ、イギリスはEUを離脱するのである。
    移民の急激な増加は、ヨーロッパ社会に大きな分断を生みつつある。
    ドイツの拡大、移民による社会の分断、今の欧州は第二次世界大戦前夜と酷似している。

     

    世界情勢は、今後ますます混迷を極める事は間違いない。
    これは、国防の多くの部分を他国に依存している我が国にとって死活問題ということだ。

     

    残念ながら、日本は戦後何度か訪れた「国防を真剣に考え、対応する機会」を
    ことごとく逸してきた。
    今の世界情勢の変化は、最後の機会かもしれない。
    それは、もしかしたら既に手遅れかもしれないからだ。

     

    日本を守るためには何が必要かを考えてみたい。

     

    ■人の行動は情緒が起因する

    「今の時代、日本が武力攻撃を受ける事態は起こるわけがない」
    こう、考える人は日本には実に多い。
    国防に責任を持つ政治家たちの殆ども、このように考えている。
    その事は、北朝鮮が毎週のように日本上空を通過する弾道ミサイルを発射していた時の、
    政府の対応を見ても明らかだ。

     

    北朝鮮が、日本領土内に着弾する軌道でミサイルを発射する事はあり得ない事を前提に、
    日本政府は対応していたのは疑いようが無い事実だろう。
    もし日本領土内に着弾した場合、それは何らかの事故であり、
    北朝鮮に日本攻撃の意図は無い。
    政府、与野党議員、そして日本国民の殆どもそう考えていた筈だ。

     

    かつて日本の最大野党であった社会党は、
    国会で北朝鮮のミサイル実験に関連して、
    「(国内に着弾しても)一発だけなら誤射かもしれない」と発言している。
    ちなみに、この発言をした政治家は、今でも現役の議員だ。

     

    なぜ、日本が攻撃を受ける事は無いと考えられるのだろうか?
    これは「日本人は平和ボケしている」と言うような単純な問題ではない。
    国防に限らず、現代の日本社会はあらゆる場面で理屈を絶対視する。
    歴史を軽視し、自分たちの短い経験の中だけで生み出された理屈を、
    真理のように捉え、そんな理屈を基に考えを組み立てる。

     

    「北朝鮮が日本を攻撃しないのは、
    そんなことをすれば、アメリカによって北朝鮮は滅ぼされてしまう。
    そんな、自殺行為的な事をするわけがない。」

     

    「1発だけなら誤射かもしれない」という考えの根拠はこんな理屈だ。
    本当にこんな理屈が正しいなら、
    日本が真珠湾攻撃を実行することは無かっただろうし、
    ヒトラーのポーランド侵攻、サダムフセインのクウェート侵攻も無かった筈だ。

     

    歴史上の殆どの戦争の結果は、
    後世の人間から見ると、「理屈に合わない愚かな敗北」だ。
    逆に言うと、「殆どの戦争の原因は理屈で説明できない」ということだ。

     

    人はそれほど理性的な存在ではない。
    人がとる多くの行動は、感情に大きく左右される。
    嫌い、気に入らない、自分の力を誇示したい・・・
    そんな理由で戦争が始まるのは、特別な事ではない。
    北朝鮮のような独裁国家なら尚更だ。

     

    最も、人はどんな事でも説明してしまうという特殊能力を持っている。
    だから、動機が情緒的なものだったとしても、
    何かしらの理屈を常に作り出すことができる。
    その意味において、ある理屈の上ではあり得ない非合理的な行動だったとしても、
    相手側には別の理屈が必ず存在するのである。

     

    私も北朝鮮が日本を攻撃することは無いと考えている。
    だが、その理由は「北朝鮮が自爆行為にも等しい真似をするわけがない」
    というような理屈ではなく、歴史を見た上での予測だ。

     

    朝鮮民族は、歴史上一度も自らが主導して対外戦争をしたことが無い民族だ。
    常に中華帝国やロシア、そして日本などの大国にコバンザメのように近づき、
    それら大国に命じられるまま、もしくは、大国をそそのかしてでしか対外戦争はしていない。
    日本的価値観で評するなら、意気地なしの臆病で卑怯な民族だ。

     

    だから、北朝鮮が日本を攻撃することは無い。
    あるとするなら、中国やロシアが北朝鮮に加担する場合だ。
    ミサイル実験を連発していた時期、金正恩が習近平やプーチンと頻繁に会っていると言うような情報はなく、
    実際、金正恩が北京やモスクワを初めて訪問したのは、ミサイル実験を控え始めた最近の事だ。
    少なくとも、あの時点で中国やロシアが北朝鮮に加担する可能性はゼロだったろう。
    だから、北朝鮮からの攻撃は無いと予測できる。
     

    ■専門家の述べることは正しいのか?

    人間社会は、非合理的、非論理的な事象が溢れており、感情が大きく影響する。
    そして、人がある感情を抱くとき、それはその地域や民族の歴史の影響は小さくない。
    今の日本でエリートと呼ばれる人たちは、この点を無視、または軽視している。
    だから、彼らがメディアを通じて垂れ流す分析や考察通りの結果が出る事は稀だ。

     

    彼らがその肩書通り本当に何かの「専門家」であり、彼らの言う事が正しいとするなら、
    米中貿易戦争は起きていないし、イギリスのEU離脱も、トランプ大統領の誕生も無かっただろう。

     

    毎日のようにメディアには立派そうな経歴を持つ「自称専門家」が、
    それらしい理屈を述べ、自身の考察を披露しているが、
    実はこれは、単なる妄想や願望に過ぎないと思う方が賢明だ。
    しかし、現実は彼らのような似非エリートの権威は益々高まり、
    盲目的にそれを信じる人が増えているのが、今の日本社会だ。
    これは国防の面からも大変危険な事なのである。

     

    戦前、当時の似非エリート達は、今と逆の方向の妄想を垂れ流し、国民はそれに騙された。
    その結果が、真珠湾攻撃であり、あの敗戦だ。
    同じ過ちを繰り返さない方法は実は単純で、
    メディアが取り上げる専門家の分析とは逆の事象が、起こる確率が高いと考えるだけだ。
    彼らが「日本が攻撃されるなどあり得ない」と言うなら、
    「そういった事態が発生する可能性は高まっている」こう考えることが賢明な判断だ。

     

    ■守るのにカネがかかる日本列島

    一方で国民の側は、もう少し国防、軍事について学ぶ事が必要だ。
    まして、日本は民主主義を採用しているので、
    国民の軍事的知識の欠如は、そのまま国防の脆弱性に繋がる。

     

    我が国は最新鋭のステルス戦闘機F35を100機以上、アメリカから購入する。
    その購入費用の総額は1兆円を優に超える。
    また、地上配備型のミサイル迎撃システム「イージス・アショア」も、
    同じくアメリカから購入する。
    この費用も現段階で4,600億円と決して小さくない。

     

    こういった防衛装備の調達の話が出ると、日本では必ずと言っても良いほど、
    「無駄だ」「そんな金があるなら福祉に使うべき」と言うような主張が、
    メディアや野党から巻き起こり、国民の少なくない数が迎合する。
    勿論、反対意見を持つことや、それを主張すること自体は悪い事ではない。
    しかし、国防にかかる費用と社会保障の費用を同列に語るのは、全く愚かだ。

     

    社会保障は日本国が存続しているから受けられるサービスなのであり、
    優先すべきはまず国防なのは、本来は議論の余地は無い筈だ。
    反対をするなら、こういった高額装備がどう国防に寄与するのか?
    それらの装備が無ければ、日本の国防はどうなるのか?
    こういった事に対する説明を政府に求めるべきだ。

     

    そもそも、日本政府の年間予算に占める国防費の割合は異常なほど低い事実を
    国民は認識すべきだろう。
    また、日本はその国土の特性や地政学上的な観点でも、国防費がかかる国であることも知る必要がある。

     

    日本は国土面積を見れば世界第61位であり、決して大きいとは言えない。
    だが、領海を含めた排他的経済水域の面積は世界6位である。
    この広大な海域を守ることが、日本の国防であり、
    その任を最前線で担当するのが自衛隊だ。

     

    日本の陸海空の3軍の規模は約22万人であり、
    その内、海を担当する海上自衛隊は約42,000人。
    海域の防衛の為に海自と連携する空自も、ほぼ同じ規模だ。

     

    つまり、世界6位の面積を誇る日本の領海は、
    空自を含めても8万人程度、海自だけで考えるなら4万人程度で守っているのである。
    しかも、日本は四方を海に取り囲まれ、決して友好的とは言えない国々囲まれている。
    例えば、尖閣諸島方面から中国が侵攻してきたとして、
    全軍をもって南西方面に対応できるかと言うと、そうではない。
    北のロシアや韓国方面にも万が一に備えて対応できるようにする必要がある。

     

    また、自衛隊の災害救助が主要任務になっている点も忘れてはいけない。
    これだけの頻度で地震や台風がくる日本列島という場所を考えると、
    有事が起きた際に、そういった自然災害がくる可能性は非常に高い。

     

    こういった事を考えると、自衛隊の人数は全く不足している。
    この現実を、少しでも改善するために、
    我が国は兵器の性能差と兵士の技量で、人員不足を補う戦略を採っている。
    要するに自衛隊は金がかかる軍隊なのだが、
    国民がこういった現状に対して全くの無知であるため、
    ヒト・モノ・カネが全く不足しているのが自衛隊の実情だ。

     

    防衛費の内訳は約4割が人件費、2割が保有装備のメンテナンス費、
    残りで新規装備の調達や訓練費用を捻出しているわけだが、
    兵器購入の代金は、基本的にローンのような形で毎年支払いをしているため、
    そういった支払い後に残った予算で、新たな装備を整えるのである。

     

    安く見積もっても、日本の防衛費は今の2倍程度の規模にする必要があるだろう。
    米軍に依存しないなら、4倍の20兆円規模は必要だ。
    日本の周辺国は、世界有数の軍事大国ばかりであることを考えると、
    これでも、最低限と言えるのではないだろうか?

     

    ■高コスト体制を要求する憲法9条

    自衛隊を金のかかる軍隊にしている原因に、もう1つの大きな要因は憲法だ。
    憲法9条により、自衛隊は攻撃を主目的とした装備の取得には大きな制限がかかっている。
    日本の国防の大方針は「専守防衛」であり、
    「攻撃されない限り反撃はしない、反撃の規模も必要最低限に抑える」という考え方だ。

     

    この考えは非常に金がかかる。
    例えば、日本が配備を進めている迎撃ミサイルだが、
    これは分かりやすく言うと、宇宙から落ちてくるミサイルを打ち落とす装備だ。
    とてつもない命中精度を求められる、大変高度な装備であろうことは、
    専門知識がなくともイメージできるだろう。

     

    一方で、迎撃の対象となる攻撃側のミサイルは、
    攻撃の目的を達成するために求められる精度は低いだろう。
    民間人への被害などを気にしないのならば、
    狙った場所から何百メートル、場合によっては何キロ離れても問題ない。
    核ミサイルならば、目標から数十キロ単位離れた場所でも目的は達成できるだろう。
    攻撃側と防御側、どちらのミサイルが高精度を求められるか?
    明らかに防御側であり、精度が高いミサイルの方が高額になるのは当たり前だ。
    北朝鮮がミサイル開発に注力するのはこのためだ。
    島根県程度の経済力の国家が、国防を考えるなら、安価な攻撃兵器に注力するしかない。

     

    陸上自衛隊が世界最高峰の戦車を多数配備しているのも、防御の為だ。
    島国である日本に、なぜ世界でも指折りの高性能戦車が多数配備されているのか?
    しかも、日本が他国の領土に上陸して攻撃する事は、現行憲法下では不可能なのだから、
    戦車のような装備は不要だと感じる国民は多いのではないだろうか?

     

    もしも、陸自に戦車等の一見無用の長物に見える装備が無かったら、
    日本の攻撃を企図する勢力は、海自と空自を打ち破ることだけを考えればよく、
    それさえ達成できれば、日本本土の占領は苦も無く可能となる。

     

    陸自の人員は約13万人であり、自衛隊では最大の規模だ。
    一般的に戦闘の常識として、攻撃側は防衛側の3倍の兵力が必要と言われている。
    この公式に当てはめるなら、日本本土に上陸し占領をしようとするなら、
    少なくとも40万人規模の陸上部隊が必要と言うことになる。

     

    防衛側に、陸自に配備されている90式や10式のような、
    世界最高峰の戦車があるとしたら、
    攻撃側は100万人を超える兵力の投入を考え、被害も相当高く見積もるだろう。
    攻撃の為に大部隊が必要なら、それを輸送する部隊も相当数が必要となり、
    そのような大輸送部隊の集結は直ぐに察知することができる。
    これは、防御側が十分に対応できる体制を整える時間を与える事を意味する。
    こういった事実は、攻撃を躊躇させる力、すなわち抑止力となる。

     

    陸自の装備の大きな意味は抑止力なのであり、日本を守る重要な要素だ。
    もし、日本が自国防衛の為に攻撃能力を高められるなら、
    陸自に今ほどの装備は不要になるだろう。

     

    日本国民は、憲法9条を守ることは金がかかるのだという事実を理解する必要がある。
    必要な防衛力を、最も費用対効果が高いやり方で維持したいのであれば、
    憲法9条の撤廃を強く望むべきだ。
    その上で、浮いた防衛予算の社会保障への投入を主張すべきなのである。

     

    ■最大の障害、憲法9条

    憲法9条は、言うまでもなく日本国民が真剣に国防を考える事を妨げてきた最大の障害だ。
    集団的自衛権を一部容認する平和安全法制が国会に提出された時、
    野党が反対の理由に挙げたのは、「憲法違反である」というものだった。
    メディアも同様であり、世論も「違憲か合憲か」が争点になった。

     

    なんと愚かな事だろうか。
    日本国憲法には改正の為の手続きが定められているので、当然変える事ができる。
    本来、あらゆる法律は、
    「なぜそれが必要か?必要な内容を満たしているのか?」
    まずは、このことを議論すべきだ。
    そして、その後に「この法律は合憲だろうか?」を論じれば良い。
    必要な法律が、その時点の憲法では違憲となるなら、
    「憲法改正をしてまで必要な法律なのか?」を今度は議論すべきだ。

     

    最初に、合憲か違憲かが争点になるのなら、
    憲法の存在は害悪でしかなく、無くした方が良いだろう。

     

    政府から平和安保法制が国会に提出されたあの時は、
    日本にとって戦後何度か目に訪れた、真剣に国防を考える機会だった。
    しかし、これまでと同様に不毛な議論に終始し、この機会も活かすことができなかった。

     

    最後になるかもしれない次の機会は、
    7月に予定されている参議院選挙の後だ。
    選挙後も、自民、公明、維新と言った所謂「改憲勢力」が2/3を維持できるなら、
    恐らく安倍総理は憲法改正を進めるだろう。
    そうあって欲しいと強く願う。

     

    そうなれば、また野党やメディアはレッテル貼りをし、国民の不安を煽るだろう。
    現在、提案されている自民党の改憲案も、こういった護憲派の主張に説得力を持たせるものだ。
    安倍総理自身が、「自衛隊を憲法に明記しても、今と変わらない」と言ってしまった。
    「今と変わらないなら、変える必要はない」という主張が生まれる土壌を作り出し、
    こういった主張は一定の説得力はある。

     

    「今と何も変わらない改憲なら不要」と考える国民が多くても、
    それは不思議な事ではなく、現在の安倍改憲案で国民投票をしても、
    圧倒的多数の支持は得られないだろう。
    場合によっては、国民投票で否決という可能性すらある。

     

    もしも、向こう数年間の間に国会での憲法改正の発議とそれに伴う国民投票ができなかったら、
    国民投票で改正案が否決されたら・・・
    日本国憲法、とりわけ9条の改正は永遠に不可能になるだろう。
    それは、長く続いた日本国の歴史の終わりに繋がるだろう。

     

    ■国防を脅かす利己的な日本人

    日本は世界で最長の歴史を有する国家だが、
    何度か国家滅亡の危機を瀕している。
    言うまでもなく、大東亜戦争はそんな危機の1つだ。
    戊辰戦争から明治維新に至る期間も、国家滅亡の危機だった。
    そんな数々の危機を乗り越えてきたから今の日本が存在している。
    しかし、次に訪れる国家滅亡の危機を、これまで同様に乗り越える事は難しいかも知れない。

     

    これまでは、国家全体の事を想い、民衆を導く事を役目とし、
    その為の教育を受けてきた少数の為政者達が危機に対応する術を考え、
    大衆はそんな為政者達を信頼し、団結して困難に耐え忍び、危機を乗り越えてきた。

     

    大東亜戦争末期、日本の国土の殆どは米軍の空爆による焦土と化す。
    それでも、日本では反乱が起きることもなく、
    玉音放送が流れるその時まで、国民は一致団結して勝利を信じて戦った。
    その結果、連合国はナチスドイツのように日本を無条件降伏させる事を諦め、
    日本は滅亡の一歩手前で、辛うじて国を守る事ができた。
    戦後の奇跡のような復興も、少数の指導者達に導かれ、国民が一致団結した結果だ。

     

    果たして、今の日本人に同じ事ができるだろうか?
    残念ながらとても難しいだろう。

     

    国家よりも個人を優先し、同じ日本人に対する同胞意識も希薄だ。
    「自分さえ良ければ良い」というような、
    利己的な考え方が自由や人権の下に正当化され、蔓延している。

     

    主権者としての自覚は皆無であり、権利だけを主張し、
    責任は全て政治家達に転嫁する。
    選挙で自分たちが選んだ政治家なのに、公務員で最も信頼できないのが政治家だと言う。

     

    国民の殆どが「自衛隊は必要」と考えているのに、
    自衛隊の存在を憲法に記載することに対しては、賛否が拮抗する。
    所詮、自衛隊を多くの国民は自分たちの奴隷のように考えているのだろう。
    政府が防衛費を少しでも増やす予算を組むと批判が集まる。
    自衛官が制服で街中を歩く事は、「不安を煽る」として許さず、
    退役した自衛官も制服でTVなどのコメンテーターとして語る事さえも許さない。
    議会で、現役の自衛官が参考人として現場の意見を言うことも許されない。

     

    野党やメディアが「徴兵制が復活する」と煽るのは、

    裏を返せば自衛官に「自分のために死ね」と言いながら、
    自分が兵士として戦う事は絶対に拒否するという利己的な国民が多い事を知っているからだ。

     

    現代の軍で、徴兵制で集めた兵士はあまり役には立たない。
    だから、よほどのことが無い限り、徴兵制が採られる事は有り得ないだろう。
    だが、国民が「徴兵は嫌だ=自分は戦いたくない」と堂々と主張できる社会を見て、
    国家の為に真っ先に命を投げ出す覚悟を決めた、自衛官はどう思うだろう?

     

    これは、米軍も同様だ。
    国防の殆どをアメリカに頼って居ながら、「在日米軍基地を減らせ」と公に主張する。
    米兵の犯罪率など、日本人と同等かそれ以下なのに、
    まるで米兵を犯罪者のように扱い、基地を嫌悪する。

     

    日本国内で最も犯罪を起こすのは、在日を含めると朝鮮人であり、次が中国人だ。
    この2つの国の人間で、国内の外国人犯罪の大半を占める。
    数が多いだけでなく、発生率も他の国に比べダントツだ。
    米兵の犯罪云々を言うなら、朝鮮人や中国人の入国を規制すべきだろう。

     

    「日本は米軍に多額のカネを払っている」
    「アメリカの世界戦略にとって日本は重要」
    「だから、米軍が日本を守るのは当然だ」
    こんな理屈を堂々と言う事は国防を大きく毀損する。

     

    「命は何にも代えがたい大切なもの」なのではなかったのか?
    米軍が有事の際に日本を守るということは、
    「日本の為にアメリカ人の命を捧げる」ということに他ならない。

     

    こんな自己中心的な国民の、少なくとも半数が賛成することしか、
    今の日本では実行できない。
    日本において民主主義という政治制度がもたらす害悪の大きさは計り知れない。

     

    国のことを本当に考えて居る人間など、どんな時代でも僅かな人数だ。
    かつての日本は、そんな僅かな数に導かれ危機を乗り越えてきたが、
    現代日本では、もうそういった事は不可能に近いのかもしれない。

     

    ■日本を守り続けた君民共治

    天皇陛下を最高権威とした国家体制が維持できている限り、
    日本では、他国のような人権を著しく踏みにじり、
    国民の命すら奪うような政治体制は生まれない。
    その事は、日本の歴史が証明している。
    藤原家も鎌倉幕府、江戸幕府、明治政府、そして現政権・・・
    あの最悪の民主党政権ですら、他国の為政者達に比べれば、名君と言える。

     

    日本は最も理想的と考えられる国家運営体制、君民共治が実現していた国だ。
    民主主義の考え方の基礎を作った、ユダヤ人思想家ジャン・ジャック・ルソーは、
    自身の著書「社会契約論」で以下のように述べている。

     

    「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。
    自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。
    したがって自分は止むを得ず民主主義を選ぶのである。」

     

    我が国は、ルソーが「地上に存在するはずもない」と考えた、
    君民共治が実現できていた奇跡の国だ。
    そして、それは今でも可能なはずだ。
    国民と君主である天皇陛下の間には、今でも深い信頼関係が存在している。

     

    国防とは、国を守ることだ。
    そして、人類の生み出したあらゆる政治制度は国を守ることを第一としてきた。
    ならば、専制政治も民主主義も国防を完遂することはできなかったと言える。
    何故なら、日本よりも長く国家が続いた国は無いからだ。
    日本だけが、これまで国を守り続けており、
    日本だけが、君民共治を実現することができた。

     

    今、日本の国防が危機に瀕しているのは、君民共治が崩れかけているからだろう。
    儀式的な意味合いが強いが、日本の総理大臣は天皇陛下が任命する。
    だから、閣僚も公務員も間接的には陛下の信任を受けて、
    国のために様々な仕事を行っている。
    無論、総理大臣を最高司令官とする自衛隊も同様だ。
    その意味においては、自衛隊は今でも「皇軍」だと私は思う。

     

    日本国民は、天皇陛下に敬愛の念を抱き、信頼しているのなら、
    同じようにもっと政府や公務員、自衛隊を信頼すべきだ。
    色々な不祥事を起こすのも事実だが、
    少なくとも彼らは一般国民よりは、国家の事を考えている。国家の為に働いている。
    何より政治家を選んでいるのは、我々国民自身だ。
    選挙とは、天皇陛下に相応しい人物を推挙する行為と捉えることができる。
    その意味を、重さを考えて我々は投票所に足を運ぶ必要がある。

     

    君民共治の精神を取り戻せば、日本の国防は安泰だ。
    未来の世代にこの素晴らしい国を継承することができる。
    次代に継承すること、
    それは、今の時代を生きる全ての国民に課せられた義務であり責任であることを、
    決して忘れてはならない。

     

     


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