必要なのは義務教育の見直し

2019.02.08 Friday

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    「教育は大切だ」
    この事に異論がある人は殆ど居ないだろう。
    私も教育はとても大切であり、教育の質が人間社会の未来を決めるものだと思っている。

     

    2019年1月、千葉県で小学四年生の実の娘を父親が殺害するという事件が起こった。
    そして、この父親は自分の娘に対して、酷い児童虐待を繰り返していたことが分かり、
    社会的な問題として大きくクローズアップされている。

     

    メディアや大衆は、この痛ましい事件を防げなかった児童相談所の問題を論い、
    政府は児童防止の為に法的規制の強化を検討、恐らくは何らかの形で立法化されるだろう。
    このパターンは、平成になって何度も見るお決まりのパターンだ。
    そして、本質的な問題は全く解決せず、社会は閉塞感を強める事になる。

     

    今回の事件が起こった根本的原因は「教育」だ。
    無くなった栗原心愛ちゃんの父親、栗原勇一郎は41歳で1978年生まれだ。
    この世代が生まれ育った時代とは、個人が社会よりも優先され、
    自由や人権が何よりも大切であるという教育を徹底的に受けた世代だ。
    勿論、このような教育は現在も大きくは変わっていない。

     

    その結果、家庭内の事に社会は殆ど介入できなくなった。
    学校、隣近所や親戚、警察や児童相談所などの公的機関すら、
    個人の家庭に介入することは殆どできなくなった。

     

    栗原勇一郎容疑者を擁護するつもりは全く無いが、
    彼は児童虐待が悪い事だとは全く教えられていなかっただろう。
    それどころか、自分が娘に行っていたことが虐待や暴力であるという自覚すら無かった筈だ。

     

    「そんな事は教えられなくても分かるものだ」
    こう思う人が多いだろうが、これは間違いだ。
    例えば、親が子供の躾の為に直ぐに大声で怒鳴り、殴ったりしていたとする。
    それを見た、周りの大人達が全くその事に介入しなければ、
    そういった親の下で育った子供は、親の行動が悪い事、虐待や暴力とは思わない。
    そして、最悪の場合、自分も親になったときに同じ事をする。

     

    人は基本的には「教えられなければ分からない」ものなのである。
    だからこそ教育というものはとても大切なのだ。
    そして、かつての日本社会では教育は社会が担う割合が大きかった。

     

    平成29年度の児童相談所における児童虐待対応件数は約13万件だが、
    平成2年度は僅か1,101件だ。
    つまり、「社会よりも個人が優先される」という価値観を教育された世代の親の増加と、
    児童虐待の発生件数は連動しているということだ。

     

    平成生まれの世代は、更に個人主義が強いだろう。
    だとすると、今後も児童虐待は増え続ける可能性が高い。
    法律により厳罰化されれば、抑制効果はあるかもしれないが、
    家庭内で行われる事を見つける事は非常に難しく、大きな効果は期待できないだろう。

     

    そもそも、「罰が大きいから止めよう」という人間は、道徳観が全く欠落しており、
    犬や猫と大差ない動物と言って良いだろう。
    現代日本の最大の問題がここにあり、
    自由や権利の行使は、道徳(人格)が伴って初めて可能なのだが、
    今の日本の教育は自由や権利ばかり教え、道徳を軽視している。
    欧米社会では、道徳教育は宗教が担っている側面があるが、
    今の日本社会は、宗教の存在も希薄である為、道徳を学ぶ機会が極端に少ない。

     

    今の日本社会で、果たして「教育」の意味を、教育とはどういったものなのかを
    正しく理解している人がどれだけいるのだろうか?
    理解していない人が多いから、
    「教育は大切だ」
    「経済的差が教育の差になってはいけない」
    「だから、教育を無償化すべきだ」
    という話になるのだろう。

     

    高等教育までを含めた無償化は、そう遠くない未来に実施されるだろう。
    しかし、教育の本質を理解しないまま、こんなことをすれば、
    間違い無く多くの人を不幸にする結果となるだろう。
    強い劣等感と他人に対しての大きな嫉妬・・・
    そんな気持ちを常に抱えたまま人生を生きる人が、今以上に増えるだろう。
    そんな人生を「幸せ」と感じる人は皆無だろうから、
    「不幸」な人生を送る人を増やす結果になる。

     

    本当は日本の教育はどうすべきなのかについて考えてみたい。

     

    ■教育の目的

    「教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。
    そして、その力を社会が直面する
    諸問題の解決に役立てるべく、自ら考え行動できる人間をつくること、
    それが教育の目的といえよう。」

     

    これは、20世紀最高の天才アルバート・アインシュタインの言葉だ。
    この言葉の意味を噛みしめてみると、
    今の日本社会で行われている教育議論が、どれだけ間違っているのかが見えてくる。

     

    教育について、個人の自由を重視する論者は「今の学校教育は使えない」と言う。
    「微分積分なんて社会で使う事はない」
    「もっと実用的なカリキュラムを用意し、個人が自由に選べるようにすべきだ」
    こんな意見を耳にする。

     

    しかし、アインシュタインの言葉の意味を考えると、
    そもそも、学校で習う事とは「忘れてしまう」ものであり、
    将来役に立つものではない、ということが分かる。

     

    同時に、「忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう」と
    忘れてしまったように見えて自分の中に残るものがある、ということも言っている。
    つまり、残るものをどのように増やすかと言うことが大切だと言うことになるだろう。

     

    学校で習った事が、そのまま社会で使える、つまり金儲けに使える。
    こんな内容を「良い教育」と考えるのは、全くの間違いだろう。

     

    例えば、二次関数の授業を受け、
    ある生徒は、「こんなの社会で使えないから意味がない」と思ったとする。
    では、何故そんな意味もないものが世の中に存在しているのだろう?
    そう考えられるなら、その授業はとても貴重な意味ある時間だと私は思う。
    また、「意味が無い」とその生徒の中で結論を出したとするなら、
    「無駄な事を知った」という意味を持つだろう。

     

    アインシュタインの言葉で最も重要だと私が考えるのは、
    「その力を社会が直面する諸問題の解決に役立てるべく」
    という部分だ。
    教育とは社会に役立つ力を養う為に行われるもの、という意味に捉えることができるだろう。

     

    人が社会の役に立つ為にやることは至って簡単な事で、「仕事をする」ことだ。
    社会には様々な仕事が存在しているが、全て誰かが必要とするから存在する。
    だから、「仕事をする」という行為は必ず社会の役に立つ行為なのである。

     

    仕事には高度な専門知識や技能が必要なものから、単純な仕事まで様々なものがあるが、
    義務教育とは、単純な仕事を行うのに必要十分な力を育む教育と言えるだろう。
    全ての日本人は小学校、中学校で計9年の教育を受けているわけだが、
    世の中にある殆どの仕事は、義務教育さえ受けていれば問題なくこなすことができる。

     

    義務教育以上の教育、高等教育とは、
    より高度な社会的諸問題を解決するための力を身に付ける為に行われるものである。
    同時に、そういった高度な問題の解決に寄与し、社会に貢献したいという志を持つ者のみが、
    高等教育を受けるべきとも言える。

     

    最も、日本は自由の国なので、そういった志が無かったとしても、
    親や子供が「高校や大学に行きたい」と願い、それが可能な金銭的余裕があるなら、
    進学すれば良いだろう。
    しかし、志が無い人間に対して税金を使って、高等教育を受けさせようとするのは間違いだ。

     

    教育を「金儲けの能力を育てる為の手段」として捉えているのが、
    現代日本社会の大きな問題と言って良い。
    政治や親も、そして教育を受ける学生達も、
    高等教育を「良い会社に就職する為」「より高い年収を得る為」と捉えている部分が大きい。
    確かに、学歴によって年収差があることは統計的には事実だが、
    統計とはあくまで「過去」の傾向を現すものである。
    また、因果関係を説明するものでもない。

     

    ■学歴と年収は関係ない

    学歴と年収に因果関係があるとすれば、
    それは、高学歴者が低学歴者よりも、優れた能力や技能を有し、
    且つ、そういった能力や技能を持つ者が、社会が求める需要より少ない場合だ。

     

    大卒という資格を手に入れれば、誰でも高い年収を手に入れられる事はなく、
    教育の無償化により、進学率が向上しても、全体の収入は上がらない。
    また、社会に大きなイノベーションをもたらし、その結果として大きな富を得る者は、
    実は低学歴者であるケースが多い。

     

    歴史を見ても、例えば明治維新から50年余りで、
    日本は欧米列強に並ぶ先進国の地位を手に入れるわけだが、
    それは、軍事力や経済力に限らず、科学や文化といった分野でも先進国と肩を並べている。

     

    明治27年に、北里柴三郎は香港で、世界で初めてペスト菌を発見した。
    明治33年、高峰譲吉は世界で初めてアドレナリンの結晶抽出に成功、
    明治43年には、鈴木梅太郎がこれまた世界で初めてビタミンB1の抽出に成功する。
    いずれも世界的大発見であり、人類への貢献は計り知れない。

     

    しかも、彼らは義務教育すら無かった時代に少年時代を過ごした世代であり、
    北里、高峯は江戸時代の生まれだ。
    他にも戦艦大和や零戦に代表されるような、
    世界屈指の造船技術、航空技術を短期間で習得している。

     

    現代の日本の高学歴者、例えば東大生がこういった先人達に比べてどうだろうか?
    学歴は間違い無く今の東大生の方が上だが、
    彼らがどれほど社会に貢献しているかというと、大きな疑問だろう。
    むしろ、相次ぐ官僚の不祥事や大企業の不正を見ても分かるように、
    高学歴者は社会に害悪を振りまいているとさえ言える。

     

    社会に対して貢献しようとする志無き者に、高等教育を与えても無意味なのである。
    もっとも、「社会に貢献しよう」と思う気持ちもまた、教育で育むものだ。
    そして、こういった教育は義務教育や社会で行うものであり、
    最も重要な教育だと私は考える。
    しかし、この教育が今の日本では決定的に不足していると言えるだろう。

     

    ■注力すべき本当の教育

    教育科目を重要度でランク付けするなら、
    一番は国語、次いで歴史、哲学だと私は思う。

     

    国語は全ての教育の基本であり、読み書きができ、会話が出来る事が、
    他の分野を学習する事の前提になる。
    また、言語とは思考の幅も決定する。
    貧弱な言語能力の下では、思考もまた貧弱になる。

     

    言語能力を高める最良の方法は「読書感想文を書く」という方法ではないだろうか?
    私が小学生の時は、夏休みの度に読書感想文の提出が課題として与えられたが、
    この学習法は無駄がない素晴らしいものだと思う。
    読書感想文を書く為には、必ず本を読む必要があり、優れた文書に触れる機会ができる。
    そして、その感想を書く事で、思考力や文書作成能力が鍛えられる。

     

    インターネットがコミュニケーションの中心になり、
    日常生活で長文を書く機会は、殆ど無くなってきている。
    だからこそ、義務教育の段階で昔以上に国語教育に力を入れる必要があるだろう。
    英語のような外国語や、プログラミング言語のようなコンピュータの言葉を教えている暇は無い筈だ。

     

    ■歴史教育は何を育むか?

    歴史教育の重要性についての理解は、今の日本社会では全く不足していると言える。
    特に日本の歴史は世界に誇れる素晴らしいものであり、
    歴史を学ぶ事で、我々日本人は自信と未来を切り拓く勇気を貰えるだろう。

     

    歴史とは、その国の精神を強くする重要な教育なのである。
    アメリカ合衆国が今なお世界最強の国家なのは、
    アメリカ国民のメンタルに由るところが大きい。

     

    Make America Great Again

     

    これは、アメリカの選挙で用いられるスローガンで、最近では、トランプ大統領も使用している。

    「アメリカ合衆国を再び偉大にしよう」という意味になるが、
    「再び」という言葉に現れているように、
    アメリカ国民は自分たちが偉大な歴史を持っていると認識しており、
    そのことが彼らの力の源泉だ。

     

    中国も、最近では「偉大なる中華帝国の復興」をスローガンとして掲げている。
    中国の歴代王朝は、殆どの時代において世界を主導する先進国であり、
    文化的にも様々な地域に影響を及ぼしている。
    中国人の精神的な復興が、近年の中国の成長の源泉だろう。

     

    韓国が歴史を捏造してまで、自国の歴史を美化するのは、
    そうしないと、彼らのメンタリティが崩壊してしまうからだ。
    朝鮮半島の歴史を正しく学ぶと、とても自信が持てず未来に希望は持てないだろう。

     

    日本は戦後、この歴史をGHQによって徹底的に破壊されてしまった。
    自虐史観を植え付けられ、あの戦争は全面的に日本が誤り、
    日本は世界に対して大罪を犯したと思い込まされた。

     

    未だに憲法9条の改正、自衛隊の国防軍化には反対の意見が多い。
    「9条を変えて、軍隊を持てば、日本はまた戦争をする」
    そんな風に考えるからだろう。
    そして、こんな考えがまだまだ根強いのが、歪んだ歴史教育の影響だ。
    自分たちを「野蛮で好戦的な民族」と捉えるから、
    「9条を変えれば戦争をする」という考えになるのである。

     

    日本の歴史は韓国とは全く異なる。
    事実をそのまま学ぶだけで、誰でも自信を持てる筈だ。
    日本人で良かった、日本人はやれる、そう思える筈だ。

     

    世界最古の文明の1つは、実は日本で生まれ事を知っている人がどれだけいるだろうか?
    青森県大平山元遺跡は、約1万6千年前のものであり、
    これよりも古いものは、中国湖南省で発掘された約1万8千年前の土器だけだ。
    つまり、古代中国や朝鮮はおろか、世界中に土器普及が為されていなかった時代に、
    日本では既に土器が全国普及していたのである。

     

    「社会、文明、法律、民族、宗教、経済、資本」
    こういった社会用語、
    「時間、空間、質量、分子、個体、理論」
    こういった科学用語、
    「主観、客観、哲学、意識、理性」といった哲学用語、
    これらは、全て明治維新後に作られた言葉だ。
    西洋文明を取り入れる為に、それまで日本には無かった概念を表現する必要に迫られて、
    こういった新しい言葉が生み出された。

     

    そして、こういった和製漢語は中国や朝鮮に広められた。
    「中華人民共和国」の「人民」も「共和国」も明治に作られた日本語だ。
    中国共産党が使っている「共産党、階級、組織、幹部、思想」も同様である。
    一説では、現代中国で使われている感じの7割は日本語であり、
    今や中国では、日本語無しでは社会的文章は成り立たないとも言われている。

     

    ここに挙げた“事実”は、日本の歴史の中の偉業のほんの一部だ。
    世界最長の歴史を持つ日本は、まだまだ多くの偉業があるのだ。
    このような世界に誇る素晴らしい歴史を正しく学べば、
    子供達は自信を持てる筈だ。
    そして、自信はチャレンジ精神を育みイノベーションの原動力になる。
    自信があれば、他人に対しても寛容になれるし、
    劣等感や嫉妬にさいなまれることも無くなる。

     

    「欧米に比べて〜」
    こんな言葉は頻繁に耳にするが、これは欧米が進んでおり、
    日本が遅れている事を前提にしているから出る言葉だ。
    日本の正しい歴史を学べば、そんな前提は成り立たない事が分かる。
    その事が分かれば、欧米のやり方を冷静に判断し、
    より良いものにすることが出来るようになる筈だ。

     

    そして、日本人なら誰でも同じ歴史を共有する。
    だから、歴史教育は同胞意識も育む。
    現代日本社会では、人の繋がりがどんどん希薄になり、
    自分とごく親しい友人や家族しか無い状態が進んでいる。
    その事が、前述した児童虐待が増加している原因でもある。
    歴史教育は、失われつつある人と人との繋がりを取り戻す事に寄与するだろう。

     

    ■「考える力を育む」教育

    哲学も重要な教育だ。
    そもそも、あらゆる学問は哲学をその祖として生まれたといっても過言ではない。
    それは、哲学が、人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、
    理性によって求めようとする学問だからだ。

     

    コンピュータが日々進歩し、その進歩を基礎としたIT技術は、
    これまで人が行ってきた多くの事を、人に代わって行うようになり、
    オートメーション化は今後も日々進んでいくだろう。

     

    高度な事務処理能力や分析能力、記憶力・・・
    そういった能力の重要性は相対的に低下していくことになる。

     

    しかし、どんなにコンピュータが進歩し、
    人間に近いAIが産まれたとしても、AIが哲学を生み出す事は無い。
    そもそも、AIとは本当は「知性」ではなく、
    AI研究者の誰一人として「知性とは何を意味するのか?」の問いに答えられない。

     

    旅行に行こうとする時、航空券やホテルを予約する為に、
    インターネットは非常に有用だ。
    インターネットの予約サイトが、街にある旅行代理店の窓口のように、
    僅かな情報で、自分に最適と思われる様々な旅行プランを提案してくれたら、
    それは一見すると「知性」の様に感じるかもしれない。
    しかし、インターネット自体が、旅行に行こうと考える事はできず、
    それでは「知性」とは呼べない。

     

    コンピュータが知性を持つ可能性は今のところ皆無だ。
    何故なら、人間は人間が知性を持っている仕組みを解明できていないからだ。
    脳があれば色々な事を考える事ができる。
    そして、脳の構造をコンピュータで完璧に模倣することは可能になるだろう。
    しかし、脳は脳という物質が考えているわけではなく、脳は知性の一部に過ぎない。

     

    脳、あらゆる臓器・・・人間の身体を物理的に完璧に模倣することは、
    技術的にはそう遠く無い未来に可能になるだろう。
    しかし、それが可能になったとしても、そこに知性は宿らない。
    単なる複雑な人形が造れるに過ぎないだろう。

     

    「考える事」が知性であり、知性があるから人間だ。
    そして、哲学とは「自分で考える事」を育む教育だ。
    アインシュタインの言葉にも教育の目的として
    「自ら考え行動できる人間をつくる」というものが挙げられている。
    ならば、哲学とは教育の根幹を成すものだと言えるだろう。

     

    ここで言う哲学とは、大学で教えるような「哲学史」ではない。
    例えば「イジメは悪い事か?」このようなテーマを子供達に提示し、
    子供達はその答えと理由を考え、発表する。

    これこそが本当に必要な哲学教育だ。
    そして、お分かりになると思うが、テーマ次第で哲学教育は道徳教育にも繋がる。

     

    今でも義務教育では道徳教育があるが、
    今のやり方では、「思想の押しつけ」という色合いが出てしまう。
    世界に1つの最も正しい「正義」等というものは存在しないし、
    「正義」は多数決で決めるものではない。

     

    だから、道徳教育は哲学に任せるのが適切だと考える。
    「イジメは悪い事か?」
    このテーマを真剣に考え、「悪い事だ」と言う答えを出した子供は、
    きっとイジメという行為に手を染める事は無いだろう。
    そして、「イジメは悪い事」という答えを出す子供が圧倒的多数になるだろう。

     

    中学生になら、一歩進めて「何故イジメは無くならないのか?」というテーマを考えさせるのも良いだろう。
    「イジメは悪い事」という答えに至る人が多いのに、無くならない。
    この矛盾を考える事で、見えてくるものは多い筈だ。

     

    哲学のテーマは幾らでも作れる。
    「なぜ、環境を大切にする必要があるのか?」
    「なぜ、犯罪はなくならないのか?」
    「なぜ、たくさんの人が自殺をしているのか?」
    「幸せとは何か?」
    これまで、こういったテーマに対する自分なりの答えを出す為には、
    膨大な時間が必要だった。

     

    しかし、インターネットが一般化し、小学生でも簡単に使えるようになった今、
    情報探索のコストは飛躍的に減少した。
    今のインターネット社会なら、このような哲学教育は十分に可能だ。
    付随的に「情報リテラシー」のスキルを高める教育にも繋がるだろう。

     

    既存の算数や理科の授業にパソコンやタブレット端末を取り入れても、
    殆ど意味はない。
    それは、既存の教科書やノート、教材ビデオを代替するものに過ぎず、
    「自分で考える力」を育む事には一切寄与しない。

     

    哲学の授業では、「教師が評価をしない」事も重要だ。
    意見が大きく分かれるテーマでは、異なる意見に耳を傾け、尊重することを教える、
    そのように誘導する事が教師の役割だ。
    教師が評価をしてしまうと、それは教師の持つ哲学の押しつけに成り下がり、
    生徒達は、「教師の哲学に近い答え」を探すようになってしまい、意味がない。
    だから、哲学に評価は必要ない。

     

    ■義務教育の質の向上こそが必要な教育改革

    何が「真」で、「善」で、何が「美」か?
    こういった事を自分で考えるトレーニングは非常に重要だ。
    「自分で考える力」が低下し続けているから、現代日本は閉塞感に包まれていると言える。

     

    父親からの虐待で、幼い命が奪われてしまった事件で、
    児童相談所の対応を批判している人は、本当に自分で考えているのだろうか?
    単に責任をなすりつける為の存在を作り出そうとしているだけではないのか?
    そもそも、社会を良くしたいと本当に考えているかも疑わしい。

     

    国語教育に力を入れ、思考の幅を広げ、自分の考えを他者に伝える為の表現力を育む。
    歴史教育を通じて、日本人であることに自信と誇りを持てるようにする。
    そして、同胞意識を育み、それぞれが社会の構成員の一員である自覚が自然に芽生えるようにする。
    哲学教育で、「自分で考える力」「道徳観」を養う。

     

    このような事を目的として義務教育は実施されるべきだろう。
    そして、こういった教育が実現すれば、結果として「社会の為により貢献したい」
    という志を持つ学生が増えるだろう。
    「自分で考える力」をあれば、より高度な事を学びたいという欲求も生まれ、
    金儲けの為では無い、本当の意味での高等教育が実現する。
    高等教育の無償化などは、必要ならばそれからやるべきことである。

     

    「金儲けの手段」に成り下がっている、今の高等教育に膨大な税金を投入することは間違いだ。
    今の教育の中身を変えずに、金銭的コストだけを社会で負担するなら、
    将来の負債を膨らませる結果しか出ないだろう。

     

    一部の政党が主張している、「憲法への教育無償化の明記」など最悪だ。
    憲法改正のハードルは相当に高いものなので、
    社会全体が、致命的な傷を負うまで変える事ができない。
    まして、「無償化」というような、一見すると国民の負担を軽減する政策は、
    民主主義という制度の下では、反対する国民が少ないから間違いを正す事はより困難だ。

     

    今の日本社会は、毎日の様に暗いニュースが流れ、
    その都度、犯人捜しをし、責任を追及し、批判ばかりが溢れる社会だ。
    こんな社会を「良い社会」と思う人は誰も居ないだろう。

     

    教育の質が、社会の質を決める。
    今の日本社会が「良い社会」で無いのなら、それは教育の質に問題があるからだ。
    教育の質を改善しても、その効果が出るのは時間がかかるので、
    目の前の課題に対処療法的に対応することも、必要な事ではある。

     

    しかし、教育の質を改善しないまま、
    対処療法的な対応を繰り返しても、それは問題を先送りしているだけで、
    いつかは破綻する。

     

    民主主義を採用するなら、少数の“本当の”エリートでは社会は変えられない。
    国民全体のレベルを上げるしか、社会をより良いものにはできない。
    そして、全ての国民は義務教育を受けるのだから、
    義務教育の質の向上こそ、国民全体のレベルの底上げを実現する近道なのである。

     


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