「国会は議論の場」という誤謬

2018.06.26 Tuesday

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    2018年6月26日現在、日本ではサッカーワールドカップの話題で持ちきりだ。
    一方、6月20日に今国会の7月22日までの会期延長が衆議院本会議で、
    与党の賛成多数で議決した。

     

    少し前までは、あれほどモリカケ問題を騒いでいた報道メディアだが、
    ワールドカップが始まると、あっという間にそんな問題は脇に追いやられる。
    「民主主義の根幹を揺るがす大問題」
    このように大袈裟に言ってはいたが、結局は大した問題では無いと言うことだ。

     

    野党も相変わらずだ。
    あれほど「審議が足りない」「もっと審議を尽くすべきだ」と言いながら、
    会期延長には反対する。
    あまつさえ、野党第一党である立憲民主党の枝野代表は、
    「会期を延長したことを後悔させてやる」等と、記者会見で宣言する始末だ。
    「国民の為に議論を尽くすこと」が仕事の国会議員の発言とは思えないだろう。

     

    果たして、彼ら国会議員達はそんなにレベルの低い人間なのだろうか?
    人間性に問題のある人間なのだろうか?
    もしくは、毎回そんな人間しか選べない程、日本国民は愚かなのだろうか?
    無論、そういった側面もあるだろう。
    だが、一番の問題は「議会のシステムに欠陥がある」事にある。

     

    議員達も、政治の専門家と自称する有識者やジャーナリストも、
    恐らくは殆どの国民も、「国会は議論をする場」と認識しているだろう。
    だが、残念ながらこれは大きな間違いである。
    日本の国会は「議論をする場」などでは決して無く、「儀式の場」に過ぎない。
    そして、これは今に始まった事ではなく、戦後ずっと変わっていない。

     

    だから、どんなに国民が賢くなり優れた政治家を選ぼうとも、
    報道メディアが公正中立な報道をしようとも、結果は今とそう変わらない。
    根本的な政治の仕組みに欠陥があるので、
    議会が「健全な議論の場」になることは永遠に無い。

     

    現在の野党で恐らく最もまともに議論をしようと指向しているのは、
    日本維新の会だが、彼らの存在感は日々小さくなっていく一方であり、
    選挙の都度、獲得議席は減少している。
    野党がまともに議論をしようとすると、日本維新の会のようになってしまうのである。

     

    民主主義国日本として、この国が抱える数々の課題を解決しようとするなら
    今の政治の仕組みに潜む欠陥を修正することが最も重要だ。
    その為には、主権者である国民1人1人が、今の議会の仕組みを理解し、
    何が欠陥であるのかを知る必要がある。
    見えないものは決して改善することはできない。

     

    今回は日本の議会の仕組みについて考える。

     

    ■理想的な身分社会

    議会について詳しく考察する前に、日本人と議論について考えてみたい。

     

    まず、根本的に多くの日本人は議論が苦手だ。
    理由としては、協調を重んじる気質や自分の意見を言うのが苦手な日本人の国民性が挙げられることが多い。
    これは恐らくは正しいだろう。
    そして、そういった国民性になったのは、日本では「理想的な身分社会」が実現していたからだと私は考えている。

     

    大東亜戦争の敗戦まで、この国には明確な身分制度が存在していた。
    この事は、世界最長の歴史を誇る日本という国は、
    その殆どの期間が身分制度の下で運営されてきたということだ。
    家庭内に限っても、儒教の影響を強く受け、家父長制と呼ばれる上下関係が厳格に存在してた。

     

    日本の限らず、何処の国にも身分制度は存在するが、
    多くの場合、下位の身分の者から見ると、上位の身分の者は搾取者であった。
    だから、自然災害や戦争などによって、社会全体が疲弊すると、
    そのしわ寄せはより身分が低い者達に集中し、そこに大きな不満が蓄積される。
    蓄積された不満が限界に達すると、反乱や革命などにより“身分の入替”が起こる。
    そういった事の繰り返しが、日本以外の国の歴史だ。

     

    日本は「天皇」の存在により、他国とは少し異なる。
    まず、過去から現在に至るまで、日本のあらゆる政治体制は「天皇から委任されたもの」だ。
    関白も摂政も、征夷大将軍も総理大臣も、全て天皇から与えられる身分だ。

     

    庶民の身分にも天皇の存在は深く関わっている。
    例えば「百姓」と言う言葉があるが、
    「姓」は天皇から与えられるもので「百姓」とは「多くの姓」と言う意味で公民の総称だ。

     

    職人は「受領名」というのを持つことができた。
    刀鍛冶の「和泉守兼定」などが有名だろう。
    筆師や絵師、小細工、など色々な職人が受領名を持っているが、
    これは朝廷に申請し、天皇が裁可を与えるものだ。
    ※ただ、正規の手続きをせず勝手に受領名を名乗る職人も多かった。

     

    つまり、日本のあらゆる身分は直接、または間接的に天皇から与えられたものと言っても良い。
    天皇はあらゆる権限を有しているが、その殆どを自分以外の誰かに委任しており、
    天皇は自らが権限を行使することに対して、非常に抑制的であった。

     

    この仕組によって、日本では身分の上位者が(諸外国に比べて)人格者であった。
    それが建前だったとしても、優れた能力だけでなく、優れた人格を有しているから、
    天皇の持つ権限を委任されているからだ。
    人格的に問題があれば、天皇は委任を取り消す事ができる。
    諸外国のように、高い身分を有する者が単なる搾取者に成り果てたとしたら、
    低い身分の者は、天皇に現状の改善を訴える事ができるのである。
    実際、百姓一揆(反乱)では、直接天皇に徳政や年貢減免を訴えた一揆も多い。

     

    日本はその長い歴史の殆どの期間が、厳格な身分制度の下で運営されていたが、
    身分が高いものは人格者であろうとし、単なる搾取者に成り果てる事が少なかった。
    要するに、「身分制度があっても、それほど不満がなかった」のである。

     

    ■「話を聞いてもらいたい」日本人

    一方で、日本では高い身分の者が、下の者の「話を聞いてあげる」事を求め重視する。
    注目すべきは、「聞いてあげる」事は重視するが、
    「自分の意見が通る」「自分の要望が叶う」と言う事は重視しないと言う点だ。
    話さえ聞いてくれれば、為政者が行う政策に自分の意見が一切反映されていないとしても、
    「お上には深い考えがあるに違いない」となり、とりあえず納得する。
    為政者が単なる搾取者に成り果てた歴史が殆どないので、
    一定以上の信頼感を為政者に持っていたと言うことだ。

     

    今回のサッカーワールドカップで、日本代表は本番の直前に監督を交代したが、
    新しい監督に対して、選手達が評価するポイントとしてまず挙げるのは、
    「僕たちの話を聞いてくれる」だ。
    日本人の国民性をよく現した好事例と言って良いだろう。

     

    議論とは、議論の参加メンバーが意見をぶつけ合い、最終的な結論が出る。
    結論を出す事が議論の目的なので、「話を聞いてもらいたい」だけでは意味がない。
    日本人の国民性が議論に向いていないのは、
    「話を聞いてもらう」事を第一に考える人が多いからでは無いだろうか?

     

    ■「空気を読め」では議論はできない

    もう1つ、議論が苦手な理由は議論を通じて「対話」できないからだ。
    ネット上の議論を見ると顕著だが、ある意見に対しての反論意見は殆どの場合、
    人格への言及がセットとなる。
    「この人は○○だから」「どうせ××したことないんだろ」
    反論意見には、こういった人格への攻撃が伴う。
    「違う意見=敵」のように思ってしまう習性が日本には間違いなくあるだろう。

     

    言うまでもないが、意見の賛否と人間性は分けて考えるべきだ。
    仲がいい友人でも驚くほど考え方が違う場合もあるだろう。
    逆に考え方はとても似てるのになんだか好きになれない場合もある。
    それでも日本では意見の賛否と人間性を切り離せない人が多く、
    話し合いの場でも感情が重視される。

     

    「不倫をする不誠実な人なのでその意見は信用できない」
    「そういう言い方をすると傷つきます」のような、
    「本題にまったく関係ないし客観的根拠もないが情に訴えます」こんな姿勢で話し合いに臨む人が少なくない。

     

    これは、日本の「同調圧力」「空気を読む」といった独特な考え方に根差したものだろう。
    そして、これには日本の地理的特性が大きく影響している。

     

    日本列島という土地は、人が住める場所がとても少ない。
    山や谷が多く、国土の殆どは人が住むのに適しておらず、
    日本人は少ない平地に密集して暮らすことを強いられる。
    更に、日本は自然災害が多いので、住民達が協力しないと災害に対応できない。

     

    つまり、日本では意見が違うからと言って簡単に集団から追い出すことができない。
    だから、「和を乱す者」は悪者になり、
    和を乱さない為に、「同調圧力」「空気を読む」と言った事が重視されるのである。

     

    無論、科学技術が発達した現代社会では、昔より遙かに居住場所の選択肢は広がったし、
    海外に住むという選択肢すらある。
    職業も自由に選択でき、転職も当たり前だ。
    しかし、DNAレベルで記録されている日本人の特性は簡単には変わらない。
    殆ど無意識に、日本人は周りに同調しようとするし、空気を読もうとするのである。

     

    以上のように、日本人はその歴史を見ると、議論に不向きな国民性を有している。
    もしも、健全な議論をしたいのなら、私たちはこういった日本人の国民性を充分に理解し、
    意識する必要があるだろう。
     

    ■事前審査で全ては決まる

    さて、それでは本題となる議会の仕組みを考えてみよう。
    国会とは言うまでもなく「立法府」だ。
    政府は「行政府」であり、基本的に法律は政府で作成される。
    政府は作成した法律案を議会に提出し、議会の議決を得て正式に法律となる。
    そして全ての法律は天皇陛下の名で施行される。

     

    義務教育レベルで習う政治の仕組みは、大まかに言うとこのような流れだ。
    しかし、実際はこれほど単純ではない。

     

    まず、日本政府とは議会で多数派となった政党で構成される。
    現在の安倍政権で言うなら自民党だ。
    つまり、正確には法律案とは与党が作成するものなのである。

     

    与党では、“政府案として“国会に法律案を提出する前に、
    「事前審査」というプロセスで、提出する法律案の中身を決定する。
    事実上、この段階で法律の中身は決まってしまう。
    与党は通常は議会の過半数を獲得しているので、議会で反対多数になって否決されることはない。

     

    与党での事前審査を完了した法律案は、国会に提出されるが、
    国会では「委員会」と呼ばれる会議体で、法律案を審議する。
    一番有名なのは予算委員会で、この委員会は予算案を審議する委員会だ。

    各委員会の人数は、各党の議員数の比率に応じて、割り当て、各党が決め、
    大きな権限を持つ委員長は、与党議員が任命される事が殆どだ。

     

    委員会では、一定時間の審議を行い、参加メンバーで採決をする。
    そして、委員会で議決された法律案が、本会議と呼ばれる議員全員が参加する議会に提出される。
    本会議では、委員会での審議の概要が報告された後、
    全議員による採決を行い、最終的に法律案は議決される。

     

    これが、日本の議会政治の仕組みだ。
    政府が国会に提出する法律案は、
    与党の事前審査、即ち国会議員の半数の合意を取れたものなのであり、
    国会審議で、この内容が覆ることは殆どない。
    委員会審議も、本会議での採決も、単なる儀礼的なものでしか無いのである。

     

    ■野党の手札は「日程闘争」しかない

    では、この仕組みの中で野党はどうやって自分たちの意見を少しでも採用させるか?
    「日程闘争」が、ほぼ唯一の対抗手段だ。

     

    日本の国会は3つの種類がある。
    1つは「常会」であり、一般的には「通常国会」と呼ばれる。
    これは毎年1回、1月に開催される。
    会期は150日と定められており、1回だけ延長できる。
    今回、延長されたのはこの「常会」であり、
    延期をしたので、7/22で閉会となり、再度の延期はできない。

     

    もう1つは「臨時会」、これは一般的には「臨時国会」と呼ばれる。
    「臨時会」は、
    (1)内閣が必要と判断したとき
    (2)衆参どちらかの議会で4分の1以上の要求があったとき
    (3)衆議院議員の任期満了による総選挙、参議院議員の通常選挙後
    この3つの何れかの場合に開催される。
    会期は衆参両議院一致の議決によって決められ、延長は2回まで可能だ。

     

    最後の1つが「特別会」と呼ばれるものだ。
    これは、衆議院の解散による総選挙後に行われる。
    主に、次の総理大臣を決めるための国会だと理解して良いだろう。
    会期については、「臨時会」と同じだ。

     

    ちなみに上記3種類の何れの場合でも、召集詔書の公布によって行われる。
    要するに天皇陛下の名の下で行われると言うことだ。

     

    さて、国会には「会期不継続の原則」と呼ばれる原則がある。

     

    「会期中に議決に至らなかつた案件は、後会に継続しない。
    但し、第四十七条第二項の規定により閉会中審査した議案及び懲罰事犯の件は、後会に継続する。」
    -国会法68条−

     

    この原則に則り、法律案の議決などは期ごとに独立したものとされており、
    その国会で議決されなかった法案が、次の国会に引き継がれることはない。
    会期中に議決されなかった法案は、基本的には審議未了で「廃案」になり、
    衆参どちらか片方の議院で採決が済んでいた場合でも同様だ。

     

    更に日本国憲法と国会法では、国会の「定足数」が定められており、
    両議院の本会議の定足数は「総議員の3分の1以上」(憲法56条1項)、
    委員会は「委員の半数以上」(国会法49条)となっている。

     

    「会期不継続の原則」が日本の国会の大きな欠陥であり、
    野党が何でも反対、審議拒否に陥ってしまう理由でもある。
    委員会も本会議も所詮は儀式の場でしかないので、
    野党がそこで、どれだけ法案の修正を望んだところで受け入れられることは無い。

     

    ならば、野党は自身の存在意味を示すには、「廃案」を狙うしかなく、
    「廃案」を実現する為には、審議を欠席し、できるだけ議決を遅らせるしかないのである。

     

    「○○法案を通したければ、××法案の内容を修正しろ」
    「受け入れなければ、国会を欠席する」

     

    このように日程を人質にし、自分たちの要求を少しでも通そうとする場合もあるが、
    修正を求める法案が、政府・与党にとって重要法案と考えるものであれば、
    このような要求も受け入れられる事は無い。

     

    今の野党の振る舞いは、全く褒められたものではないが、
    国会の仕組みを考えると、あのように振る舞わなければならないのである。

     

    日本維新の会は「是々非々で臨む」と、他の野党と一線を引いている。
    しかし、彼らは選挙の度に議席を減らし、その存在感は小さくなる一方だ。
    日本維新の会は、幾つかの法案で政府案に自分たちの要求を反映させることに成功しているが、
    それも、他の野党のおかげだ。

     

    政府としては、圧倒的多数を獲得しているので、
    ”ルール上は“与党議員のみで委員会も本会議も開催でき、議決できる。
    ただ、それをすると国民からのイメージが悪くなると考えているので、
    野党の参加や賛成も欲しい。
    日本維新の会の存在は、そんな政府にとって都合が良いのだ。
    だから、彼らの要望を細やかながら受け入れ、形式上は野党も参加した議決を演出する。

     

    こういった欠陥のある日本の政治の仕組みは、戦後ずっと変わっていない。
    実際、昭和の時代、野党第一党である社会党がやっていたことは、
    現在の野党のそれと何も変わっていない。

     

    ■政治から目を背け続けてきた日本人

    多くの国民は実はこの欠陥に薄々気が付いていた筈だ。
    国会が儀式の場でしかないことは知っていた筈だ。
    だからこそ、この国は政治への関心が低く、投票率も低い。
    そして、日本人はこの問題から目を背けてきた。
    元々、議論が苦手な国民性だったし、今のような民主主義は国民が求めた結果でもない。

     

    昭和の時代は、”不幸なことに“目を背けても問題なかった。
    戦争で国土の多くを焼失した日本は、その復興が第一だった。
    これは、どんな政府だろうと変わらない。つまり政権や政策を選択する必要はなかった。

     

    戦地に赴いてた大量の兵士が帰ってき、子供の数が爆発的に増えた。
    終戦直後、1947年の出生率は4.32であり、4人兄弟、5人兄弟が当たり前だった。

     

    戦後すぐに始まった米ソ冷戦のおかげで、
    国防の一切をアメリカに任せても国の安全は保たれた。
    もう、日本を守る為に血を流す必要は無いと夢を見られた。

     

    政治家達もその殆どが戦前生まれであり、身分制度の時代を知っている者達ばかりだった。
    彼らは今の政治家よりも遙かに人格者であり、国家視点で物事を考えていた。

     

    こんな状況だったのが昭和の時代だ。
    芸能ニュースと同じ感覚で政治報道を見て、「気にくわない」だけで政治家を叩いていれば良かった。
    それでも、経済は急速に成長し、生活は豊かになっていった。

     

    現代日本が抱える課題の多くは、国民が政治から目を背けてきたツケだと言える。
    例えば、出生率は戦後一貫して低下している。
    1970年代にはほぼ半減しており、1989年には1.57と今とそう大きく変わらない。
    つまり「少子化問題」などは、ずっと前から分かっていることだった。

     

    1947年の女性の平均寿命は約54歳だ。
    1960年には、これが約70歳にまで伸び、現在は約87歳だ。
    「高齢化問題」も、ずっと前から分かっていることだった。

     

    しかし、誰も何の対処もできなかった。その結果が今だ。
    恐らく、「このままでは大きな問題になる」と予想した、政治家は少なくない筈だ。
    それほど難しい未来予想ではない。
    しかし、それでも何もできなかったのは、日本の政治システムに欠陥があるからだろう。

     

    無論、この欠陥は今も何も変わっていない。
    だから、政府の掲げる政策も中途半端なものが多い。
    例えば、現政権が目標としてる出生率は1.8である。
    当たり前のことだが、出生率2.0以上で初めて現在の人口は維持できるのだから、
    結局のところ、問題を先送りにしているだけだ。

     

    ■政治システム改善のカギは天皇陛下

    日本が抱える政治システムの欠陥を修正するのは、そう簡単ではないだろう。
    国会の会期撤廃、即ち「通年国会」は時折話題に出る。
    確かに通年国会になれば、「日程闘争」は無くなるだろう。
    だが、日程闘争が無くなると言うことは、野党の手札を奪うだけとも言える。
    委員会や本会議が「儀式の場」であることは、何も変わらないのだ。

     

    日本の政治システムは英国をモデルにしたものだが、
    英国との最大の違いは、「天皇が政治に関与できない」事にある。
    英国のエリザベス女王は、週に1回は首相と政策について話し合いをするし、
    英国議会の議決をエリザベス女王は、退けることもルール上は可能だ。

     

    もしも、天皇陛下が国会の議論を見て、「私はこの政策には賛同しかねる」
    こんな事を公言できたとしたらどうなるだろうか?
    政府与党も、法案の内容について考え直す可能性が高いだろうし、
    何より、国民がそう求めるだろう。

     

    相当言葉に注意して、「譲位をしたい」と解釈できるお言葉を述べられただけで、
    殆ど全ての日本人は、陛下の御心を大切にすべしとなった。

     

    貴族院が存在するのも大きな違いだろう。
    日本の参議院も元々は貴族院だったのだが、現在は衆参どちらも庶民から選ばれる。
    貴族院の存在は、政党の影響力を小さくでき、極端な大衆迎合を抑止できる。

     

    例えば、衆議院で自民党が多数派だったとしても、
    貴族院には無関係なので、貴族院は独自の判断を下す事ができる。
    また、貴族とは血統で継承される身分であるため、目先の大衆の人気をそれほど気にする必要がない。
    単なる人気取りではなく、より長期的視野に立った議論が行われる可能性が高い。

     

    ただ、貴族院を今の日本で復活するのは現実的ではないだろう。
    だとするなら、天皇陛下に政治に関与して頂くことが良いのではないだろうか。
    天皇陛下が細かな政策に口を出す必要は無いし、
    まして、天皇陛下自ら政策を出すという事も必要ない。

     

    極論、与野党の党首が自らの実現したい政策を天皇陛下に「聞いてもらう」だけでも、
    今よりもずっと良い議会になるのではないだろうか?

     

    皇室は我々全ての日本人に与えられた宝だ。
    日本国憲法が定める通り、「日本国民統合の象徴」であり、遙か昔からそうであった。
    であるなら、政治家達は我々国民の象徴である陛下に、
    まずは、自身の掲げる政策を、そしてその政策が作るこの国の未来を語ってもらいたい。

     

    議論が苦手な日本人。
    それは、容易には変わらないし、私はそれでも良いと思う。
    結局は、個々の為政者が高い人格を有し、国家国民の為を考えてくれれば、
    今の「儀式の場」でしかない政治システムでも、問題はそれほど無いはずだ。

     

    「自分たちの権限は天皇から委任されたもの」
    その自覚を個々の政治家が持てば、過去の日本の為政者達のようになれるだろう。
    それこそが、今の日本政治に最も欠けているものだと私は思う。
     


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