「日本人らしさ」は日本経済再生の鍵

2018.06.20 Wednesday

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    日本経済のピークは1995年だ。
    この年の世界の経済規模(GDP)ランキングでは、日本は世界2位であり、
    その規模は約5.5兆ドル、1位のアメリカは約7.7ドルである。
    対米比で実に7割の経済規模を誇り、
    10年後にはアメリカを追い抜き、基軸通貨はドルから円に変わるだろうとまで言われた。

     

    それから20年、2016年のGDPランキングの日本の順位は第3位に後退し、
    その規模はほぼ変わらず約5.5兆ドルだ。
    1位も変わらずアメリカだが、その規模は約19.5兆ドルと2.5倍に成長しており、
    対米比は、3割に満たなくなってしまった。

     

    日本に変わって2位につけたのが中国で、その規模は11.5兆ドルと、
    こちらは対米比で6割程に迫っている。
    但し、中国の経済統計データは真偽が相当に怪しいものなので、
    実際はここまでの経済規模は無いと思って良いだろう。

     

    なぜ日本は、この20年余り全く経済成長することができなかったのだろうか?
    私はその最も大きな理由は、「改革」にあると考えている。
    1989年から平成が始まり、来年には平成の世は終わりを迎えるが、
    平成と言う時代は改革の時代だった。

     

    政治、企業、教育・・・あらゆる分野で「改革」の必要性が叫ばれ、実行された。
    昭和以前の慣習やルールは、「古い」「合理的ではない」「これからの時代に合わない」
    このように評価され、改革が行われた。


    この流れは現在進行形であり、今の政府が掲げている重要政策は、
    「働き方改革」「人作り革命」だ。

     

    平成の30年間で繰り返された改革は全て失敗しており、
    間違いなく、「働き方改革」も「人作り革命」も失敗に終わるだろう。
    それだけでなく、後世に大きな課題を残すことになる。
    これも平成の改革の歴史が証明している。

     

    例えば、「正規雇用」と「非正規雇用」の格差は、現在日本の大きな課題の1つだが、
    この原因を作ったのは小泉内閣が進めた「聖域無き構造改革」の結果である。
    そもそも小泉政権以前、日本では原則「派遣社員」は認められておらず、
    システムエンジニアなど、特殊な専門技能職のみ派遣社員は認められていた。
    そして、そんな例外的に認められていた派遣社員は、
    正社員よりも恵まれた待遇を受けていたのである。

     

    それをほぼ全ての職種に広げたのが、小泉政権が推進した構造改革だ。
    こんな改革をしなければ、「非正規と正規の格差問題」などという問題自体が存在しなかったわけだ。

     

    これら改革が全て失敗に終わった理由は、
    「日本らしさの喪失」では無いだろうか?
    合理的・進歩的な行動が最良であると盲目的に信じ、
    文化や伝統を無視し、ロジカルに説明できる事こそが真理であり、
    「上手くマニュアルにできないものはどうせロクでもないに決まっている。
    だから捨ててしまうべきだ」
    そんな発想で進められたのが、平成の改革の正体だ。

     

    社会が円滑に機能するうえで、人々が暗黙のうちに持っている知恵や約束事、
    あるいは慣行は重要な役割を果たす。
    これこそ文化や伝統の力の中核だ。

     

    我が国は世界最長の歴史を有している国家であり、
    先人達の膨大な知恵の積み重ね、つまり強力な文化・伝統の力があった。
    それを無視して、非合理的であるとか、定式化・定量化できないとか、
    酷いときは「欧米で学んだ理論と違うから」と言った理由で、
    ドンドン切り捨てていく。

     

    その結果、「日本らしさ」は喪失し、市場における立ち位置を失った。
    マーケティングの世界では、「市場での立ち位置」とは「ポジショニング戦略」と呼ばれる。
    ポジショニング戦略とは、ごく簡単に言うと「競争をしないで勝つ」とも言える。
    自分たちにだけが持つ独自の役割を持ち、「他に替えられない存在」になれれば、
    競争などは最初から起きない。

     

    日本人の国民性はそもそも競争が苦手だから、
    「ポジショニング戦略」は、日本の経済成長の為には重要な要素だ。
    しかし、独自の立ち位置を確立することは、“一般的には”難しい。
    が、幸せな事に我が国は世界最長の歴史が育んだ、独自の文化・伝統が存在する。
    我々、日本人はそれを大切にし、改良を加える事で、
    確固たる日本の立ち位置は自然にできるのだ。

     

    「改革の流れを断ち切り、日本の文化・伝統に立ち返る」
    これこそが、日本経済再生の鍵である。
    平成の約30年間、我々は誤った道を歩み続けてきた、
    だが、日本人が持っている独自性は、30年程度で失われるものではなく、
    まだまだ、我々のDNAレベルで息づいてる。
    今回は、そんな先人達が残してくれた、貴重な遺産について考えて見たい。

     

    ■「日本語」という宝

    日本人なら学歴など関係なく、誰しも受け継いでいる最大の遺産、
    それは「日本語」だ。
    「言語」とは他者と意思疎通をする為のツールだが、
    もう1つ重要な役割がある。
    即ち「思考言語」と言う役割だ。

     

    日本語を母国語とする殆どの日本人は、思考を日本語で行う。
    外国人と英語でコミュニケーションをとっていたとしても、
    思考は日本語で行っている筈だ。
    日本語で表現できない事は、我々は思考することは出来ない。
    つまり、母国語の持つ表現力は思考の幅を決定すると言っても良いだろう。

     

    そして、日本語の表現力は他の言語と比べて比類無きものがある。
    日本語が持つ許容性は凄まじい。
    「仮名文字」の発明は、世界に誇る日本の宝だろう。
    かな文字があることで、我々はどんな国の言葉でも日本語に取り込む事が出来る。

     

    例えば「サービス」という言葉は、明らかに英語なのだが、
    完全に日本語に取り込まれている。
    そして、既存の日本語と組み合わせる事で、
    オリジナルを遙かに超える表現力を持たせた。

     

    「今ならもう一個サービスしますよ」
    「サービス料は5%になります」
    「これなら無償サービスの範囲で対応できます」
    「有償サービスのサービス内容はこのようになっています」
    「介護サービス」

     

    これらは、全て「サービス」と言う言葉使われているが、
    どれも意味が少しずつ違う。

    しかし、日本人なら特に迷うこと無く言っている意味は理解できる筈だ。
    当たり前の事に思うのが普通の日本人だろうが、実はこれは凄い事であり、
    それ故、日本語は「世界で一番複雑な言語」と評されている。

     

    言語を「単なるコミュニケーションの手段」と捉えるなら、
    この複雑さはデメリットになる。
    だが、言語の役割を「思考言語」と捉えるなら、
    日本語が持つ圧倒的な許容性と、それによってもたらされる高い表現力は、
    世界に誇れる武器となる。

     

    そして、高い許容性をもった言語で思考できるから、
    我々は、他国の技術や文化をスムーズに取り込む事ができる。

     

    ■新しい概念を取り込める日本語の力

    仮名文字が確立されるのは、平安時代の初め頃である。
    平安以前の日本では、中国から伝わった漢字をそのまま使い、
    日本の言葉は、漢字に日本の一つの音をあてて、書き表すのが普通だった。

     

    例えば、「波」という字は、「は」と読むので、
    ひらがなの「は」という字がなかった平安以前には、
    漢字の「波」という字をあてて書いた。

     

    想像するだけで、非常に面倒で不便なのが分かるだろう。
    何とか便利にしようと試行錯誤し、生まれたのが仮名文字だ。
    そして、仮名文字の登場は、日本に今の小説に近い「物語」を生み出す。
    「竹取物語」「伊勢物語」「大和物語」「今昔物語集」、
    最も有名な物語は「源氏物語」だろう。

     

    そして、仮名文字の登場以降、日本では独自の文化が急速に発展する。
    平安以前の日本文化とは、基本的に中国から伝わってきたものを模倣するだけだったが、
    平安以降は、日本独自のアレンジを施し、オリジナルとはかなり違うものを生み出す。

     

    政治形態も、平安以前は唐や随といった中国の王朝のシステムを模倣したものだったが、
    鎌倉時代以降は、中国とはかなり違う独自の政治形態を生み出していく。
    戦国時代になると、中国だけでなくスペインやポルトガル経由で西洋の文化を取り込み、
    戦国時代の末期、西洋で生まれた鉄砲の保有数は日本が世界一だ。

    明治維新後に、ごく短期間で近代国家の体制を整えられたのも、
    仮名文字による高い許容性が大きく寄与した筈だ。

     

    日本が幸運だったのは、そもそも漢字自体が優れた文字だったことだ。
    漢字は文字そのものが意味を持つ「表意文字」の中で、
    それぞれの1字が1語を表す「表語文字」だ。
    一方の、仮名文字は文字そのものが意味を持たずに発音のみを表す「表音文字」のうち、
    1字が1音節を表す「音節文字」だ。

     

    漢字には特筆すべき特徴がある。
    それは、「新しい漢字が生まれていない」という事だ。
    今使われている漢字は、秦の始皇帝が統一した字体だが、
    そこで決まった漢字の殆どが、今日までそのまま使われている。
    新しい漢字はまず登場しない。
    新しい概念も、古い漢字の組み合わせで表現する。

     

    秦の始皇帝の時代とは、紀元前259年から紀元前210年までだ。
    つまり今から2000年以上前に生まれた概念で、
    現代のあらゆる概念を表現できてしまうと言うことだ。
    これは、漢字の世界では、世界は漢字によって意味的に分節されていて、
    それは永遠不変であることを意味するのではないだろうか?

     

    一方で表音文字は、新しい概念の誕生を阻止しない。
    どんな概念も、新しい音を作りだすことができるからだ。
    我々日本人は、表意文字である漢字と、表音文字である仮名文字を組み合わせて使っており、
    普遍的な概念の存在を認めつつも、新しい概念の登場も許容できるのである。

     

    ■「日本語しか使えない」は先進国の証

    思考言語が日本語でなければ生み出せないものの代表が、アニメや漫画だ。
    正確にはアニメや漫画とは単なる表現方法の1つなので、他の言語でも作れるが、
    例えばドラゴンボールは、日本語で思考しないと生み出せない。
    逆にディスニーアニメに似たものは、日本語で生み出す事は可能だ。


    だから、日本のアニメや漫画は、世界で唯一無二のポジションにあるのである。

    アニメや漫画は分かり易い例だが、日本語で思考しないと生まれない日本製品は数多い。
    だから、時に日本製品は「ガラパゴス化」と言われる。
    「ガラパゴス化」という言葉は、多くの場合ネガティブに受け取られているが、
    これは、全く間違った解釈だろう。
    ガラパゴス化とは言い換えれば「独自性が高い」となる筈だ。

     

    「日本人は英語教育が遅れている」
    これも、近年よく耳にする言葉であり、実際日本人は英語を話せない人がとても多い。
    しかし、これもネガティブに捉える必要は全くない。
    「母国語しか使えない」と言うことは、要するに「母国語だけで生活できる」と言うことだ。

     

    韓国人は、日本人に比べて英語を話せる人の割合は高いが、
    これは、簡単に言うと「韓国人相手だけでは生活できない」と言うことだ。
    韓国企業の数は、日本企業に比べて人口差を考慮しても圧倒的に少ない。
    そして、そんな数少ない韓国企業もサムスンやLGのように、
    ビジネスの主戦場が海外の企業ばかりだ。

     

    だから、韓国人は少しでも豊かな生活をしようと思えば、英語を覚えるしかなくなる。
    翻って日本はどうかと言うと、
    例えばグローバル企業と呼ばれるトヨタやSONYですら、
    英語が必要な仕事は、ごく一部であり、殆どの社員は日本語だけ使えれば問題ない。

     

    ドイツ、フランス、イタリア、これら3カ国はG7に所属する先進国だが、
    この3カ国の国内で使われる言語は、ほぼ全て母国語だ。
    ドイツ人はドイツ語さえ使えれば問題ないし、
    フランス人もフランス語さえ使えれば問題ない。
    同じG7のイギリス、アメリカ、カナダは英語が母国語だが、
    この3カ国は、歴史的に見るとそもそも1つの国だったので、
    たまたま同じ英語が母国語だったに過ぎない。

     

    先進国の定義の1つは、「母国語だけで生活できること」と言えるだろう。
    「日本人は英語教育が遅れている」だと言うなら、
    それは日本が先進国である証なのではないだろうか?
     

    ■英語教育など不要

    しかし、恐ろしい事に今の日本では、「日本語より英語を重視する教育」が進行中である。
    2020年度より実施される、新学習指導要領では英語教育に力を入れる。
    小学校3年生から英語に親しむ活動を始め、小学校5年生で英語が正式科目になる。
    現在、英語は中学校から正式科目になるので、
    相当に早い段階から英語教育を始めると言うことだ。

     

    これは、とても危険なことだ。
    日本語が優れた言語であることは上で述べた通りだが、同時に日本語の習得は難しい。
    成人した大人であっても、正しい日本語を知らない人は珍しくない。
    特に、現代の若者の文章能力は目を覆いたくなる低さだ。

     

    インターネットの登場により、
    コミュニケーション手段の主流がメールや、LINE、Twitterなどに移っていった。
    長い文章は嫌われる様になり、
    数十文字程度の文章しか書いた経験が無い若者が増えている。
    報告書、日報、そんな文章ですら「どう書けば良いのか分からない」若者が増えている。

     

    LINEやTwitterのような短文でのコミュニケーション自体が悪いわけではないし、
    そういったコミュニケーション手段が一般化する流れは今後も加速するだろう。
    問題は、「それだけになってしまうこと」だ。
    昔以上に、学校で日本語教育に力を入れる必要がある。
    もっと子供達に文章を書かせる必要がある。
    そうでなければ、日本語は破壊されてしまう。
    そして、それは日本の独自性がまた1つ奪われることを意味する。

     

    英語など、それが必要な人が必要になった時に習得すれば良いだけだ。
    世界で最も複雑な言語を習得する日本人なのだから、
    英語のような単純な言語を習得するのにそう時間はかからない。
    にも拘わらず、この国は日本語を軽視し、英語に注力しようとしているのである。

     

    実は、日本語の軽視、日本語の廃止は明治から主張されている。
    敗戦後にも出ており、大抵は「英語にしろ」と言う主張だ。
    最近では、1990年代、インターネットが普及した時にも主張された。

     

    「日本語の文字は情報量が多いため、2バイト文字(全角)でしか表現できない。
    アルファベットは単純な記号なので、1バイト文字(半角)で表現できる。
    つまり、日本語は2倍の情報量が必要となりハンデとなり、
    これからのデジタル時代、欧米に対抗できなくなる。
    だから、英語を主に使うべきだ。」このような主張がされた。

     

    この主張は控えめに言っても、バカである。
    日本語の価値を全く理解していないという愚かさもあるが、
    情報量に関しても全く間違っている。

     

    例えばAppleはアルファベット5文字であり、情報量は5バイトになる。
    これを日本語表記にすると、「りんご」となり3文字となるが、
    全角文字なので情報量は6バイトとなる。
    この時点でまず2倍などにはなっていない。
    更に漢字を使うなら「林檎」と表現でき、2文字、4バイトとなる。
    つまり、アルファベット表記より情報量は小さくなる。

     

    日本語には表意文字である漢字が組み込まれているので、
    小さな情報量で、他人に何かを伝える事が可能なのである。

     

    未来の日本を担う子供達に、将来役に立つか不明な英語などを教えるより、
    類い希な言語である日本語をしっかり教える。
    正しい日本語を使える人材を育成する。
    たったそれだけの事で、日本人は世界の中で独自性を発揮できるだろう。
     

    ■「お箸の国」は何を育んだか?

    日本語以外にもう1つ、先人達が残した遺産を挙げたい。
    それは、「手先の器用さ」「几帳面さ」だ。
    日本人は間違いなく外国人に比べて、器用で几帳面という特性を有している。
    だからこそ、日本製品は故障がなく、高品質だった。

     

    新幹線があれほどの運行間隔で運用できるのも、この特性が大きく寄与しているし、
    米や果物であれほどの種類を生み出せるのも同じ理由だ。

     

    この特性はどのように育まれたのだろうか?
    大きなファクターは「箸」だ。
    殆どの日本人は箸を当たり前に使う、5歳くらいの子供でも普通に使うだろう。
    箸の扱いは、西洋のスプーンやフォーク、ナイフのそれと比べると遙かに難しい。
    小さな豆を箸でつまむなど、箸に慣れていない外国人はまずできない。
    逆に、日本人がフォークとナイフでステーキを切るなど、いとも簡単なことだ。

     

    ちなみに、西洋でスプーンやフォーク、ナイフがセットで使われるようになったのは、
    19世紀頃であり、今から僅か200年ほど前だ。
    それ以前は、どうしていたかと言うと、基本的に「手掴み」だ。
    箸がいつから日本で使われるようになったのか、正確な時期は定かではないが、
    早ければ紀元前3世紀、遅くとも紀元前7世紀だ。
    日本人は箸のような扱いが難しい道具を、
    これほどの昔から食事と言う毎日行う行為で使用しているのである。

     

    また、日本の伝統的な遊びも器用さや几帳面さを育むものが多い。
    「折り紙」はその代表格だろう。
    他にも、「おはじき」「お手玉」も器用さを育む遊びだ。

     

    日本人は幼い頃から、毎日のように箸を使い、
    折り紙やおはじきで遊び、器用さと几帳面さを身に付けているのである。
    こうして育まれた器用さや几帳面さが、最大限に発揮されたのが製造業だ。
    1000年以上の時をかけて育まれた、日本人の器用さや几帳面さは、
    そう簡単に外国が並び追い越す事はできない。

     

    ■不向きな分野に突き進もうとする愚行

    確かにデジタル化という変化は、この日本のアドバンテージを相対的には小さくした。
    それでも、iPhoneに使われている殆どの部品は日本製だ。
    日本製の部品が無ければ、Appleもサムソンも何一つ製品を作ることはできない。
    外国が松阪牛に匹敵する牛肉を作る事や、サンふじに匹敵する林檎を作る事は、
    100年後でも不可能だろう。

     

    AIやロボット技術の進歩により、世界は益々オートメーション化が進み、
    人が不要になる領域が増えるだろう。
    しかし、人が完全に不要になることはなく、人にしかできない事は必ず残る。
    その領域こそ、日本の独壇場となる舞台だろう。

     

    日本がAI技術で世界をリードすることは残念ながら無い。
    ソフトウェア技術は、日本人が最も苦手とする領域だからだ。

     

    簡単に同じものをコピーできるソフトウェアの世界では、
    ごく少数の天才達が主導する。
    充分な検討を経て実施するより「とりあえず作ってみよう」、
    多少不具合があろうとも「後から直せば良い」と言う精神の方が成功する。
    こういった仕事の進め方は、日本人には全く馴染まないだろう。

     

    にも拘わらず、政府や企業は「これからはAIの時代」と言い、
    ソフトウェア人材の育成に注力するようだ。
    これもまた、日本の文化や伝統、国民性を無視した愚かな方針だ。

     

    そもそも、ソフトウェア業界に必要な人材とは「ごく少数の天才達」だ。
    つまり、万が一、AI市場をリードできる人材が日本から生まれたとしても、
    殆どの日本国民にとっては、何の恩恵もないのである。

     

    Appleは世界最大の企業だが、Appleがどんなに稼ごうと殆どのアメリカ人には関係ない。
    むしろ、恩恵が大きいのはiPhoneに部品を提供している日本企業の方だ。
    アメリカ国民にとっては、Fordの車がトヨタ車より売れる事の方が遙かに恩恵がある。
    だからこそ、トランプ大統領は保護貿易主義に転換しているのだ。

     

    「自分だけが金持ちになっても、近所隣が貧乏では、結局、やっていけない。
    (みんなにも)裕福になってもらうことだ」
    これは昭和の大政治家、田中角栄の言葉だ。
    田中角栄は学歴も低く、エリートとは程遠い人物だが、
    経済の本質をよく分かっている事が、この発言から分かる。

     

    今の政治家や企業の経営者には、田中角栄のような感性は欠如している。
    経済とは「全体の幸福なくして、個人の幸福はあり得ない」という考えの下に行われる活動だ。
    AIや自動運転に注力したところで、GDPは上がるかもしれないが、
    殆どの国民には何の恩恵もない。それどこから、今より暮らしは悪くなる。

     

    ■農業は日本再生の要

    先人達が残してくれた、器用さや几帳面さを活かす方向に投資する。
    これが、正しい経済活動の在り方だだろう。
    どのような分野に投資すべきか、歴史を学べば答えは簡単だろう。

     

    例えば農業だ。
    日本人が作る農産物の質に、外国は太刀打ちできない。
    日本製家電が世界的に優位だった期間などせいぜい数十年に過ぎないが、
    農業の優位性は数百年レベルで確保できるだろう。

     

    ところが、日本の農業は危機的なレベルで高年齢化が進んでいる。
    平成28年の農業従事者の平均年齢は66.8歳であり、多くの農家には後継者がいない。
    何もしなければ、日本の農業はもう間もなく滅びると言うことだ。

     

    何故、新しい世代が農業に従事しないのだろうか?
    その一番の理由は、日本の農業は自営業しか認めないというルールだ。
    このルールは平成27年の農地法の改正で撤廃されたが、
    それまでは、自営業しか農業を営むことができず、
    作物を育て収穫する全ての工程を自分と家族で行わなければならない状態だった。
    これでは、学校を卒業した若者が農業をやるなど不可能と言っても良いだろう。

     

    農業が他の仕事のようにサラリーマンとして従事できたら、
    とても魅力的な仕事になる筈だ。
    農業には深夜残業などまずあり得ず、収穫が終われば長期休暇を取ることも容易だ。
    自営でやるなら、収穫までは休日も無いだろうが、
    サラリーマンとなると交代制を採れるのだから、週休二日制も普通に採用できる。
    何より、自然の中で広々とした畑で仕事をすることは、
    都会の喧噪に包まれたオフィス街で仕事をするより、
    遙かに精神的に良い環境なのは間違いない。

     

    また、農業が営まれる地域は殆どが地方となる。
    現在、日本の人口の7割は3大都市圏に集中しているが、
    これが分散し地方が活性化する。
    地方では、自動車は必須になるので自動車メーカーの売上は伸びる。
    都会で生活するより広い家に住めるので、家電や家具も今より購入するだろう。

     

    そして何より重要なのは、少子化が止まると言うことだ。
    少子化による人口減は、現代日本の大きな課題だが、
    実は現在でも地方の出生率はそこまで低くなく、圧倒的に低いのが東京だ。
    つまり、地方に人口が分散すると国家全体の出生率は自然に上がるのである。

     

    言うまでなく、日本は農業国だ。
    長い歴史の殆どの期間、多くの日本人は農業を営み生活していた。
    農業とは日本人の原点であり、今その原点に立ち返るべきだろう。
    しかも、日本の農産物は世界で飛ぶように売れる。

     

    「美味しいものを食べたい」という欲求は、人種や国籍を問わず誰もが共通に持つ欲求だ。
    明日食べる物にも困っている人々が世界には沢山いるのは確かだが、
    全体として見ると人類社会は豊かになっている。
    「高いお金を払っても美味しい物が食べたい」と思う人は確実に増えているし、
    今後も増え続けるだろう。
    これほど有望な市場はそうは無いだろう。
    そんな市場で、日本は唯一無二の存在になれるのである。
    しかも、さして苦労せずとも、だ。

     

    ■「日本人らしさ」を取り戻せ

    いい加減、我々日本人は、グローバルスタンダードなどという物を追うのを止めるべきだ。
    その無意味さに気が付くべきだ。


    欧米社会に憧れ、真似ようとすることは止めるべきだ。

    日本人の殆どは、口では個性の尊重を叫び、個人主義を掲げても、
    本心は集団主義が好きで、その方が居心地は良いと感じている筈だ。
    そして、何より我々日本人は結果を常に出してきた。
    「古い」「閉鎖的」「時代遅れ」、外国人がどう言おうとも、
    間違いなく我が国は、結果を出している。

     

    「居心地の良い状態に安住したり、得意なことに頼ったりしてはいけない」
    こんな思い込みが強いのかもしれない。
    確かにこういった考え方も、日本人の持っている特徴だ。
    アニメ、エヴァンゲリオンの主人公の有名な台詞に「逃げちゃだめだ」というものがある。
    苦しみは成長の為に乗り越えるべき壁であり、
    苦しみに耐えて成長しなければならないと言い聞かせる。
    「逃げちゃだめだ」という言葉は、そういった日本人を象徴している台詞だろう。

     

    小泉総理は「痛みを伴う改革」と掲げて、様々な改革、実際は改悪を進めた。
    改革の必要があったとしも、痛みなど、無しで済ませられるなら、
    その方が良いのだが、多くの日本人はそう考えなかった。
    「痛みを伴う」が枕詞に付くと、「本物の改革だ」と捉えてしまう。
    痛みが伴う改革なら、その先に明るい未来が待っていると夢想する。

     

    今の政治家も小泉総理と変わらない。
    安倍総理は「日本をリセットする」とニューヨークで言ったことがある。
    橋下徹元大阪市長は「グレートリセット」というスローガンを掲げた。
    小池百合子東京都知事も、昨年の衆議院議員総選挙で「リセット」を掲げた。

     

    国家や社会をリセットするということは、本来はとても恐ろしいことだ。
    危険な革命思想と言っても良いのだが、
    何故か今の日本人はそんな過激な言葉に恐怖を覚えることもなく、
    むしろ喜び、良い響きとすら感じる。

     

    日本という国にリセットしなければならないような事は何一つない。
    何処の国にも胸を張って誇れる素晴らしい歴史を持っていて、
    神の血統を持つ天皇陛下をいただきながらも、どんな宗教にも寛容だ。
    他に何を言われようと、我が国は自国の文化や伝統を大切にし、
    独自の道を歩めば良いのだ。
    そうやって、日本は長い歴史の殆どの期間、成功を手にしてきた。
    逆に、文化や歴史を軽視し、改革に夢を見た時、失敗した。
    それが平成という時代だった。

     

    元号も日本独自の素晴らしい文化だ。
    「西暦と使い分けるのは面倒だから廃止しろ」などと頭の悪い主張をする者もいるが、
    元号が変わることで、我々日本人は良い意味で気持ちをリセットし、次に進む事ができる。
    付随的効果だが、改元は経済効果も高い。

     

    次の元号がどんなものになるのかはまだ分からないが、
    新しい天皇陛下をいただく次の時代は、日本らしさを取り戻す時代になって欲しい。
    そうなれば、きっとこの国はまた成長できる。
    次代を担う子供達に明るい未来と本当の希望を残せる筈だ。
     


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    コメント
    素晴らしい記事です!非常に感銘を受けました。
    この記事を書いた方はどなたでしょうか??
    私は国産の果物が大好きで、なぜ好きなのかを探究していたら、「日本人らしさ」にたどり着きました。まさに平成は外国を模倣する形で日本人らしさを忘れてしまった。。。これから令和は日本人らしさを取り戻せるのでしょうか?AI、キャッシュレス、外国の模倣に走る日本人。。。令和における日本人らしさについての記事、情報などがあれば、お言えていただけたらと思います。

    中村直登
    • by nakamuranaoto
    • 2019/10/25 10:04 PM
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