日本に蔓延する正義病

2018.06.02 Saturday

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    現代日本は「正義」と言う名の病が蔓延している。
    そして、多くの日本人は自分がその病に冒されている事に気が付いていない。

     

    自らを正義の執行者と錯覚し、「悪党には生きる資格がない」とばかりに
    どんな微罪であったとしても過大な制裁を加えようとする。
    更に相手が少しでも抵抗すると、制裁はより激しいものとなり、
    あらゆる制裁は「正義」の下、正当化してしまう。

     

    これが、この病に冒された者が発症する症状だ。
    5月の末からTVを中心とした報道メディアが最も時間を割いて伝えている、
    日大アメフト部が起こした悪質タックル問題は、この病の典型的な症状だ。

     

    実際に悪質なタックルを行った選手は、むしろ「可哀想な被害者」とし、
    監督やコーチが指示したと一方的に断じ、制裁を加えている。
    監督とコーチは関東アメフト連盟から除名、事実上の永久追放を受け、
    今後、大学でアメフトに拘わる事は不可能となった。
    これでもまだ足りないのか、矛先は日大の理事長に向いているのが現状だ。

     

    少し前には、大相撲で起こった暴行事件が話題に挙がったが、
    この時も正義と言う名の病に冒された患者達が、連日過剰な制裁を加え続けた。
    その結果、横綱日馬富士は引退に追い込まれてしまう。
    彼が日本に帰化し、自分の相撲部屋を立ち上げる事はほぼ不可能になった。

     

    政治家や役人のセクハラ、アイドルのわいせつ行為、芸能人の不倫・・・
    何か問題が起こる都度、病に冒された患者達が群がり過剰な制裁を加える。
    善悪を判断し、悪に制裁を加えること“だけ”が目的なので、
    問題や事件が起きた背景や構造は軽視される。
    結果、実際には問題は何も解決せず、時が経てば同じ様な問題が起こる。
    社会は萎縮し、本当の悪はより闇に紛れ陰湿化するという結果しか残らないのである。

     

    日本に蔓延している正義病が更に厄介なのは、「善悪が数で決まる」事である。
    これは本当に恐ろしい事なのだが、多くの人はその恐ろしさを理解していない。
    同じ事をしても、問題を起こした人物やその場の空気で

    善悪の判断が時に180度変わるのである。

     

    ここ数年、多くの芸能人が不倫で糾弾され大きな制裁を受けたが、
    小室哲哉には何故か同情的意見が多く、むしろ報道した側が糾弾された。
    ビートたけしに至っては、愛人の存在が公然の秘密として認められており、
    TVでコメンテーターが「たけしさんだから良い」と公言する始末だ。
    こんな事がまかり通る社会に正義などない。
    正義を振りかざす者達は、実は正義の破壊者でしか無いということだ。
    近年、話題になった問題や事件を通じて、正義病について考えてみたい。

     

    ■悪質タックルは当たり前の行為だった

    まず、直近の日大アメフト部の問題を見てみよう。
    日大の選手は、プレーが止まっている時に相手チームの選手に対して、
    タックルを仕掛け怪我をさせた。
    これは反則ですら無く単なる暴力と言っても良い行為だろう。

     

    しかし、少し冷静になって考えてみて欲しい。
    この暴力は審判の目の前で行われた。
    にも拘わらず、反則は取られたがこの試合は最後まで行われたのである。
    もしも、これ程までに大騒ぎする重大な問題なのだとしたら、
    何故、審判はその場で試合を止め、没収試合にしないのだろうか?

     

    真に正義を追求するなら、この点に着目するべきだろう。
    今回の悪質タックルが暴行に当たる犯罪行為なのか?
    犯罪行為であるなら、それは組織的に行われたのか?選手個人の問題なのか?
    このような事を調べるのは、警察や検察などの捜査機関であり、
    最終的に判断を下すのは裁判所だ。
    我々一般大衆が成すべきことではない。

     

    一方で、司法は行為に対しての違法性の認定と、量刑の判断しか出来ない。
    アメフトの世界で、日常的に暴力に近い反則行為が横行していたとしても、
    それを正す事は司法には出来ない。
    それが出来る可能性があるのは、我々大衆であり、正義を追求するなら、
    それこそが成すべきことだ。

     

    監督やコーチの指示があろうがなかろうが、その事に大きな意味はない。
    今回のような悪質な反則を行っても、試合が成立している事実が問題だろう。
    もしも、審判に見つかれば没収試合になるとしたら、
    監督やコーチから指示が出る事はないし、
    選手個人の判断で悪質な反則が行われる事もない。
    間違った行為だったとしても、その目的は「勝利」の為なのであり、
    試合が不成立になるなら、勝利も敗北もなくなってしまい、
    悪質な反則は全く無意味な行為となる。

     

    要するに反則を犯す事によるインセンティブがあるから、その行為が起こるのであり、
    インセンティブを無くせば二度と今回のような事は起こらない。

     

    ■道徳観が欠如した選手達
    もっと大きな視点から正義を執行したいのなら、
    悪質なタックルを行った選手に着目すべきだろう。

     

    堂々と記者会見をしたからか、実際に悪質なタックルを行った選手は、
    「可哀想な被害者」であり「正義の糾弾者」のように扱われている。
    しかし、どんな理由があったとしても、
    悪とされる行為を実際に行ったのは、この選手なのである。
    この事実は変わらないし、この事実を軽く扱うべきではない。

     

    明らかに不正な内容の指示を、不正な行為と認識して実行したなら、
    彼の道徳観、人間性には大きな問題があると言える。
    そして、アメフト界全体で今回のような反則が繰り返されているとしたら、
    道徳観、人間性に問題のある選手が多いということだ。
    それは、個人の問題ではなく、日本の学校教育に欠陥がある可能性が高いと言う、
    社会的な問題に繋がる。

     

    「まだ学生だから、抗えないのでは?」
    このような考え方もあるだろうが、私はむしろ逆だと思う。
    監督やコーチから受けた不正な指示を拒絶したところで、
    まだ学生である彼が失うものは殆どない筈だ。
    アメフトで生活をしているわけでもなく、指示を拒絶して学校を辞めさせられる事も無い。
    社会人の方が、上の命令に背く事によるリスクはずっと大きいのは間違いない。

     

    むしろ「学生なのにどんな指示でも盲目的に従うなら、
    社会人になればより大きな不正に手を染める可能性は高い」とすら言えるだろう。

     

    少し前に財務省では上からの指示の下に公文書の改竄が行われたわけだが、
    彼の様な人間が、そのまま社会に出ると、このような行為をすると言うことだ。
    一般的に、暴力に近い反則を行う事と、文書を改竄すること、
    前者の方が罪の意識は大きくなる筈だ。
    罪の影響は公文書改竄の方が遙かに大きいが、
    個人の視点で見ると、自分の暴力によって目の前で人が苦しむ姿を見る方が辛いだろう。

     

    そんな行為を、彼は上からの指示で行ったのである。
    文書の改竄程度であれば、簡単に行ってしまう可能性は大いにあるはずだ。

     

    ■罪の意識を軽くする正義病
    近年、財務省の文書改竄のような不正は、大企業でも数多く行われている。
    相次いだ大手メーカーによる検査データの改竄などの不祥事は、頻繁に耳にする。
    これらの不祥事は、全て上から指示で行われている筈であり、
    経営陣が直接データ改竄をするなどあり得ない。
    つまり、必ず実行している下がいる。
    そして、殆どの場合、実行した者は今自分がやっている行為が不正なのを認識しているだろう。

     

    このことが、本当は大きな問題なのだ。
    「不正な命令に従ってはいけない」
    こんな当たり前の事すら教えられないとするなら、今の学校教育には欠陥がある筈だ。
    日大の悪質タックル問題はそのことを露わにしてくれた。
    監督やコーチだけを悪者にして、糾弾しても社会は何も変わらない。
    逆に、道徳心の育成を考えるなら、逆効果になる可能性すらある。

     

    監督やコーチ、大学幹部だけを悪者にする今の風潮を、
    実際に悪質な反則行為に手を染めた選手達が見たらどう思うだろうか?
    「悪いのは指示を出した側、俺たちは悪くない」
    そんな気持ちを強くするのではないだろうか?

     

    このように、正義病は本当に解決しなければならない課題に蓋をする。
    悪と断じた数人の人間に制裁を加え、引きずり下ろす事だけで終わるのである。

     

    ■真の悪に情けをかける正義
    正義病が引き起こすより深刻な問題は、
    「真の罪人に対する制裁が、むしろ軽くなる」という事だ。

     

    2018年5月7日、JR越後線の線路上で近所の7歳女児がひかれる「事故」が発生。
    翌日には死後線路に置かれたと断定、殺人事件として捜査が始まった。
    そして1週間後、近所に住む男が容疑者として逮捕された。

     

    最初に女児の死体が発見されてから、報道メディアは連日この事件を大きく伝えたが、
    犯人が逮捕されると、その扱いは小さくなる。
    日大の悪質タックル問題と比較するなら、この事件の扱いの方が間違いなく小さい。

     

    私はこの事に、違和感と強い嫌悪感を覚える。
    7歳の女児を殺害したのは23歳の男であり、殺害方法は絞殺だった。
    絞殺とは死ぬまでに長い時間がかかる殺害方法であり、
    死ぬまで犯人は首を絞め続ける必要がある。
    首を絞められた苦しむ姿を、僅か数十センチの距離で見続ける。

     

    世の中に絶対的な悪は少ないが、
    なんの罪もない7歳の女の子を絞殺する事は、そんな数少ない“絶対悪”だ。
    こんな事をできる人間は、人間ではない。

     

    法的な罰だけでなく、社会的制裁も最大限加える必要があるだろう。
    悪質なタックルを指示したと、監督やコーチをあれほど糾弾するなら、
    この23歳の犯罪者に対しては、一体どれほどの制裁を加えれば良いだろうか?
    簡単な裁判で死刑を言い渡し、即執行することを求めても良いだろう。

     

    しかし、実際にはこの犯人に対しての刑が確定するまでには長い時間がかかる。
    そして、確定する刑が死刑である可能性は低く、
    仮に死刑だとしても、それが執行される可能性も低い。
    これもまた正義病の患者達がもたらす結果だ。
    「人権」という「正義」を振りかざし、
    このような人間の皮を被ったモンスターの命すら守ろうとする。

     

    悪質なタックルを指示したとされる監督やコーチも、
    女性記者にセクハラ発言をしたとされる官僚も、
    妻や夫が居ながら他の人を好きになってしまった芸能人も・・・

     

    彼ら、彼女たちは誰の命も奪っていない。
    社会に対して大きな損失を与えたわけでもない。
    正義病の患者達が騒ぎ立てる殆どの問題は、法的には事件ですら無く、
    誰も起訴すらされていない。
    それなのに、7歳の女児を絞殺した犯人よりも制裁を受けている。
    このような社会はどう考えても異常であり、そこに本当の正義などない。

     

    ■正義病は「絶対に謝らない病」を生み出す
    そして、正義病は「心からの謝罪」を社会から奪う。
    正義病の患者達は、どんなに謝っても決して許す事は無い。
    それどころか、「謝り方が悪い」と断じ、より悪者として制裁を加える。
    現代日本において、素直に謝ることは、多くの場合何の得にもならない。

     

    自身では悪いと思っても、簡単には謝らず、屁理屈を付けて正当化する方がマシ。
    間違いなく今の日本社会はそんな社会になっている。
    悪質タックルをした日大の選手は、単独で記者会見をして謝罪した。
    この謝罪が評価され、彼は加害者から被害者の立場にスイッチでき、
    同情を集めることにも成功した。
    このように、謝ることで得をするケースもある。

     

    しかし、このような事は稀だ。
    今回は、彼が学生だったから上手く行った面が大きい。
    同じ事を権力者側がしても、その謝罪は彼のように受け入れられることはない。
    また、今回の場合は大学側と選手という2つの存在が、「悪者候補」だった。
    正義病の患者達は、必ず「悪者」を作りたがり、同時に自分たちが守る「被害者」を作りたがる。
    だから、選手の謝罪は「被害者」を作るのに好都合であり、受け入れる事ができた。
    「悪者候補」が1人しかいない状態なら、どんな謝罪でも受け入れる事はなかっただろう。

     

    正義病とは比喩ではなく、科学的には、麻薬と同種の依存病でもある。
    正義や道徳的正しさで他者に制裁を加える事で、人はある種の快感を得る。
    誰かが社会正義の名の下で罰せられる様子を見て、「ざまあ見ろ」と感じる。
    この時、脳の腹側線条体という部分が活性化するが、
    この部位は薬物濫用者の快感依存性にも深く関わっている。

     

    正義病とは麻薬依存と変わらない。
    そして、この病が社会に与える害は、麻薬よりずっと大きいだろう。

     

    ■日本人の自尊心を傷つけたバブル崩壊
    正義病を治すにはどうすれば良いのだろうか?果たして処方箋はあるのだろうか?
    これはとても難しい問題だが、この病が「何故、近年蔓延しているのか?」を考えると、
    その答えが見つかるように思う。

     

    バブル経済の崩壊と、その後のデフレ不況は日本人の自尊心を大いに傷つけた。
    日本民族は自尊心、即ちプライドが高い民族だ。
    世界最長の歴史を誇り、その殆どの期間が他国に比べ平和で豊かであった。
    「自分たちはできる」と言う気持ちは、明治維新を成功させた原動力であったし、
    大東亜戦争戦争からの復興を成し遂げた原動力でもあった。

     

    このプライドを木っ端微塵に吹き飛ばしたのが、バブル崩壊だ。
    バブル崩壊のダメージは、敗戦よりもずっと大きい。
    実際、経済的損失は実は敗戦のそれを超えている。
    大東亜戦争で、日本は国家の生産能力の半分を焼失したが、
    それを超える経済的ダメージを被った。

     

    経済的損失よりも深刻なのが、精神的ダメージだ。
    敗戦と言う失敗は、「戦争に負けたから」とシンプルに原因を理解できた。
    そして、戦争に負けたのは愚かな軍のせいだと、自分以外に責任を転嫁できた。
    だから、敗戦を経ても日本人のプライドはそれ程大きなダメージを受けずに済んだ。

     

    ところがバブル崩壊は、そういったものが全くない。
    殆どの国民は一所懸命働き、その対価として手に入れた豊かさを享受していただけだ。
    独裁者もおらず、暴走する軍もいない。
    戦後の全ての政権は、国民が選挙を通じて自らの手で選んだ政府だ。
    分かり易く責任を転嫁する存在はそこにはなかった。

     

    「実は自分たちは愚かだった」
    このような非情な現実を突きつけられたのがバブル崩壊だった。

     

    しかし、人は簡単に自分の過ちは認められない。
    プライドの高い日本人なら尚更だ。
    プライドを守る為、自分は悪くない相手が悪いと思いたがる。
    いつも相手の一枚上を行こうとする。
    そして、相手に多くを求める、求めすぎる。

     

    ところが、完全な人間などいなし、完全な状況もない。
    だから、このような人はいつも失望することになる。
    その失望はいつしか巨大な不満の塊となって、その人に重くのしかかる。
    こうしてバブル崩壊後の多くの日本人は、
    その重さに潰され動けなくなるまで不満を溜めているのである。

     

    ■悪を外に求め、孤独を深める人々
    自分は悪くないと言う願望は、まず過去の日本を否定する事に向けられた。
    「古い」ということは、ただそれだけで「悪」とされた。
    そうやって、終身雇用や年功序列、専業主婦、家族制度、地域コミュニティを破壊した。
    その結果、多くの人は孤独になった。

     

    大都市では、体が触れる程の距離に多くの人が密集しているのに、
    そこには、ぶつかった時に「ごめんなさい」の一言もない。
    都会では、人間とは単なる障害物に過ぎない。
    電車の中で子供が暴れても、大声を出していても、誰も注意しない。
    酔っ払いが床に寝そべっていても、殆どの人は近づかないように避けるだけだ。
    個人の自由や権利を声高に叫んだ結果、社会は「極力他人に干渉しない社会」になった。

     

    孤独になった人々は、その寂しさをネットで解消しようとする。
    しかし、ネットでの付き合いなど所詮はバーチャルなものだ。
    毎日のようにネットでコミュニケーションを取っている相手がいたとしても、
    自分が本当に困っている時、助けてくれる人など誰もいない。
    本当はそのことは皆分かっている筈だ。
    何千何万の「いいね!」を獲得しても、そんなものはたった1人の隣人の価値すらない。

     

    人は孤独に耐えられない生き物だ。
    近年、貧困が問題になっているが、貧困と貧乏は全く異なる。
    貧乏はお金がない状態を指すが、貧困とは社会から隔絶された状態を指す。
    現代社会では、お金がなければ人付き合いに支障を来す場合が多い。
    だから、貧乏人は貧困に陥りやすいのだ。
    同時に、貧乏は必ずしも貧困を意味しない。
    昭和までの日本人は貧しかったが、貧困ではなかった。

     

    麻薬患者が麻薬に手を染める大きな理由は孤独感だ。
    芸能人やスポーツ選手は麻薬に手を染める事が多いが、
    彼らは経済的には言うまでもなく裕福だ。
    しかし、麻薬に手を染める有名人は貧困だと言える。

     

    本当の意味での貧困化は着実に日本で進行している。
    アベノミクスで経済は好転しているが、貧困化は変わらず進行している。
    そして、孤独から一時でも逃れるため、人々は「正義」という名の麻薬に手を出した。

     

    正義を振りかざし誰かに制裁を加えているその時だけ、
    一体感を感じることができる。孤独を感じずに済む。
    だから、正義病患者の掲げる正義とは数の多少で決まるのだ。

     

    ■孤独の解消が処方箋
    正義病の原因とは実はとても単純なもので、要するに「寂しさ」なのだ。
    ならば、この病の処方箋はそれほど難しいものではない筈だ。
    「本当の人間関係を作ること」ただそれだけだ。

     

    政治家や役人の不祥事、芸能人の不祥事、企業の不祥事、
    これからも毎日のように様々な不祥事が起き続ける。
    人が不完全な存在である限り、それを変えることはできない。

     

    正義病を治したいなら、そういった不祥事を目にした時、
    そこから感じた不満や想いを、ネットを通じて表明することを止める事だ。
    まずは、身近な人と話す事から始めてみよう。
    家族、同級生、同僚、友人、恋人、誰でも構わない。

     

    「そんな話をすると煙たがれられそう」等と躊躇するなら、
    あなたは間違いなく孤独であり、人間関係を構築できていないと言うことだ。
    他者に正義を振りかざす前に、友人を作る事から始めよう。

     

    正義病にかかっている人が、自身の病に気が付くことは絶望的に難しいが、
    病に気が付くことができれば、世界のどんな場所でも、どんな困難な状況でも生きていけるようになる。
    そして、病にかかっている時、悪と不正が溢れているように見えていた世界が、
    「そんなに悪いものではない世界」に見えてくる筈だ。

     

    もしも世界がそんな風に見えたなら、きっとあなたの毎日は昨日までよりずっと幸せなものになるだろう。

     


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