今の日本は「国家」なのか?

2019.09.30 Monday

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    我々日本人は日本国という「国家」の構成員であり、
    殆どの日本人はその事を当たり前に受けて入れている。
    だが、「国家とは何か?」の問いに明確な回答を提示できる人は少ない。

     

    百科事典では国家を以下のように定義している。

     

    「一般に、一定の領土と国民と排他的な統治組織をもつ政治共同体をいい、
    また一定の地域(領土)を基礎に固有の統治権によって統治されている継続的な公組織共同社会」
    -ブリタニカ国際大百科事典-

     

    「領土がありそこに住む国民が存在し、国民が子孫を残す事で持続的な社会」
    要約するとこんなところだろうか。
    また、国際社会においては「主権」を持っている事も国家の重要な構成要素だろう。
    主権とはごく単純化して言うなら「自分たちの事は自分たちで決められる権利」となり、
    この主権が無いから、植民地時代の被植民地地域は「国家」とは見なされない。

     

    しかし、このような国家の定義は実はとても新しいもので「近代国家」とも呼ばれ、
    日本においては江戸時代までは「近代国家としての日本国」は無く、国境や領土の概念もない。
    また、上記に挙げたような国家の定義はあくまで「概念」を示すものであり、
    国家の本質は別にある。

     

    国家の本質とは人間が自分達の命を守るために生み出した単なる道具であると言うことだ。
    近代国家の概念が生み出された最大の理由は、
    人間の生命を脅かす最大の脅威である「戦争」の形が変わった事に依る。

     

    古代における戦争とは、局地戦であり「点」の戦いだ。
    戦闘単位も非常に小さく、部族や町や村の単位での戦いであり、
    実際に戦闘を行うのは騎士や武士と言った支配階層と彼らに雇われた傭兵だ。
    日本史で言うなら、室町時代の初期まではこのような形で戦争は行われた。

     

    その後、鉄砲に代表される重火器の発明により戦闘の形は「点」から「線」に変化する。
    長篠の戦で有名な信長の鉄砲隊は、鉄砲隊を横一列に並べた「線」の戦いの象徴と言える。
    しかし、戦術面では大きな変化はあったが、実際の戦闘参加者は大きく変わらず、
    騎士や武士、傭兵が中心となる。

     

    戦争の形に劇的な変化を与えるのはフランス革命とその後のナポレオン戦争だ。
    フランス革命により、それまで社会を守る役割を担っていた王や貴族は打倒され、
    人民自身が自分たちの社会を守る必要が生じた。
    限られた騎士や武士、傭兵達による戦争から、一般の大衆達が参加する戦争へと変化する。

     

    一般大衆は高度な基本教練が求められる「横隊」、即ち線の戦いは不可能であり、
    散開して戦闘が行われる「散兵陣形」による戦いに戦術は変化する。
    つまり、線から面へ戦闘の形は変化するのである。

     

    戦争の形が点や線の戦いの段階において、
    自分たちの生命を守るために「近代国家」のようなものは不要だ。
    実際の戦争は訓練された少数の戦闘のプロ達によって行われ、
    例えるなら肉食獣の「縄張り争い」のようなものだ。

     

    ところが、面の戦いとなるとそうはいかなくなる。
    大量の兵士が動員され、大規模な戦闘がいたるところで発生する事になり、
    自分達の生命を守るためには、「面」で戦略を考える必要に迫られる。
    他の国家との境界線を定めその境界線内を領土とし、
    領土を「面」と捉えて守る必要があるのである。

     

    現代の戦争は第二次世界大戦を通じて面から体(立体)へと更に変化している。
    航空機や潜水艦、ミサイル技術の発達により立体的に捉えなければ、
    自分たちの生命を守る事はできない。
    だから、現代の国家は「領土」以外に「領空」や「領海」という、
    高さの概念を加えられた立体的な境界線を定めている。

     

    「国家とは何か?」
    その答えは実はとても単純なものであり、「自分たちの生命を守るための道具」だ。
    しかし、日本人は世界でも類を見ない程、国家意識が希薄であり、
    「国家とは何か?」「何のために存在するのか?」を殆ど考えない。
    あれこれ煩く言えば飴をくれる存在程度にしか考えていない人も多いだろう。

     

    そこに暮らす人たちの生命を守る為の道具が国家なら、
    今の日本という国家は、その道具の役割を果たせていない状態であると評価できるだろう。

    人類は国家以外に自身の命を守る為の道具を未だ見つけていないのが現状であり、
    だとすれば、日本国と言う道具がその役割を果たせない現状は、
    本当はとても危険な状態なのである。

     

    我々はもっと真剣に「国家とは何か?」「国家は何のために必要なのか?」を考えるべきであり、
    子供たちにも義務教育課程で、国家について考えさせる事が大切だ。
    国家の存在意義を失いつつある日本という国家について考えてみる。

     

     

    日本史に学ぶ6−江戸幕府はなぜ滅びたか−

    2019.09.22 Sunday

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      JUGEMテーマ:歴史

       

      約260年続いた江戸幕府が終わりを迎える幕末期は、
      戦国時代に並ぶ非常に人気の高い時代だ。

       

      小説、映画、ドラマ、漫画、ゲーム・・・様々なエンターテイメント作品の題材に選ばれ、
      毎年1年間をかけて放送されるNHKの大河ドラマも、
      「困ったら幕末」といった感じで、幕末期が題材にされる。

      幕末期の人気は、こうしたエンターテイメント作品によって定着したイメージに依るものだろう。

       

      「凡そ三百年、惰眠をむさぼっていた日本人の前に、
      突如として強大な軍事力をもった欧米列強の白人たちが現れる。
      動揺し、混乱する日本。
      この危機に祖国を救うべく勤王の志士が立ちあがる。」

       

      幕末期を題材にした殆どのエンターテイメント作品は、
      このような時代設定を基に物語が展開していく。

       

      エンターテイメントとして楽しむ分には問題は無いが、
      あくまでフィクションとして捉えるべきだ。
      坂本龍馬、西郷隆盛、勝海舟、大久保利通、桂小五郎、伊藤博文、山形有朋、
      吉田松陰、高杉晋作、そして新選組の面々。
      綺羅星のごとく英雄的人物達が登場するが、
      彼らに対して、現代に生きる多くの人々が抱いているイメージは、
      その殆どが事実と異なり、過剰に美化されたものだ。

       

      現代社会は、実は明治以降から大きく変わってはいない。
      室町時代から安土桃山時代への変化、
      江戸時代から明治時代への変化、
      こういった変化に比べると、明治から今に至る変化など無きに等しい。
      敗戦を境に、それ以前と比べて大きく変わったかのような教育を受けるが、
      「新しい時代が始まった」と言えるような変化は無いのである。
      明治、大正、戦前昭和を纏めて「〇〇時代」と呼ばないのが、その何よりの証拠だ。

       

      歴史は作られるものであり、今に残されている歴史資料は必ずしも真実を記録したものではなく、
      記録された時代の権力者や社会情勢などに大きな影響を受ける。

       

      現代日本は基本的に明治政府の延長線上にあるので、
      自分たちが打倒した江戸政権を悪く書く。
      国民を苦しめ、日本を亡国の危機に追いやった「無能な政権」、
      そんな風にしなければ、武力をもって江戸幕府を倒した事を正当化できない。
      幕末期に登場する人物達が英雄的に描かれるのは、こういった思惑が強く影響している。

       

      現実は、薩長が行った事は軍事クーデターでありテロ行為であり、
      維新の志士たちを育てた吉田松陰の私塾とは、言うなればテロリスト養成所だ。
      坂本龍馬は武器商人であり、言うなれば「死の商人」だ。

       

      そもそも、薩長は当初は開国路線を進める幕府の政策を、
      開国に否定的だった孝明天皇(明治天皇の父)の意向を無視したものだと反発し、
      「尊王攘夷」を掲げ江戸幕府を倒すのだが、
      薩長を中心に構成された明治政府は、「富国強兵」「文明開化」をスローガンに、
      積極的に西洋文明を取り入れる政策を進める。

       

      戊辰戦争の大義名分とは建前に過ぎず、内実は薩長によって仕掛けられた権力闘争だ。
      江戸幕府は国際情勢の変化を十分に理解していたので、
      この権力闘争に徹底抗戦することは、欧米に付け込まれる隙を与えるだけだと考え、
      大政奉還により自ら権力を天皇に返上し、江戸城を無血開城する。
      真に日本の危機を救うべく行動したのは、実は江戸幕府の側とは言えないだろうか?

       

      とは言え、江戸幕府の力は衰え続けており、
      世界情勢の変化についていけなくなっていたのも事実だ。
      全国300余りの諸侯による連合政権である江戸幕府は、
      大名達の支持なくしては成り立たないが、その支持も失いつつあった。
      薩摩藩、長州藩、土佐藩といった僅な数の藩に江戸幕府が倒されたのは、
      江戸幕府に味方する藩が殆ど無かったからだ。
      何故、全国の大名たちは幕府に味方しなかったのだろうか?
      幕末とは本当はどんな時代だったのだろうか?

       

      本当の幕末の姿を考えてみる。

       

      安倍改造内閣の挑戦とは

      2019.09.19 Thursday

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        JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政

         

        2019年(令和元年)9月11日、新しい閣僚による政府が発足した。
        メディアでは、「第四次再改造内閣」など様々な呼称があるが、
        正確には「第四次安倍第二次改造内閣」と呼ぶ。

         

        多くの国民はあまり意識してはいないが、
        内閣総理大臣は衆議院選挙の都度、総理大臣の職を退く。
        そして、選挙で選ばれた衆議院議員達で新しい内閣総理大臣を指名する。
        この7年間、ずっと安倍晋三氏が内閣総理大臣だが、
        これは衆議院選挙の都度、指名され続けている為であり、
        だから彼は第90代、第96代、第97代、第98代の内閣総理大臣なのである。

         

        国民の視点から見ると、2012年12月の第二次安倍政権発足から今に至るまで、
        安倍晋三内閣総理大臣を長とする日本政府の形は変わっていないのだが、
        閣僚の面々は頻繁に変わっている。
        日本の内閣は、凡そ1年程度の間隔で閣僚、即ち大臣の面子が大きく変更される。
        これが「内閣改造」だ。

         

        安倍総理は通算5回の内閣改造を実施しているが、
        衆議院選挙終了後に新たに総理大臣に就任した際にも、閣僚の面子は変更しているので、
        2012年12月から今に至るまで、計8回閣僚は変更されている。

         

        副総理兼財務大臣の麻生太郎氏、官房長官の菅義偉氏の2名は、
        第二次政権発足から変わっていないが、他の大臣は毎回変更されている。
        かつては総理大臣すら頻繁に交代しており、
        この頻繁な閣僚の変更は、日本が長期戦略を構築するにあたっての大きな障害だ。

         

        日本で頻繁に総理大臣を含んだ内閣の構成が変更される理由は何だろうか?
        1つは、政権与党である自民党に組み込まれたメカニズムだ。
        自民党のトップである総裁は、自民党内の選挙で選ばれるが、
        この総裁選は3年毎に実施され、同じ人物が総裁になれるのは3期までだ。
        そして、自民党総裁の任期がくれば、首相在任中であったとしても総裁選が実施される。
        この総裁選で敗れれば、衆議院選挙の有無に関わらず総理大臣は交代となる。

         

        現役の総理大臣が、自民党内の総裁選で敗れる事は殆ど無いが、
        三期目の総裁であれば、当然総裁選挙に出馬することはできないので、
        自動的に総理大臣は交代ということになる。

         

        民主党政権は、鳩山、菅、野田とほぼ1年毎に総理が変わったが、
        これも、民主党という政権与党内部の事情からだ。
        民主党の構成員は、「国会議員になりたい人」の野合集団でしかないので、
        時々のトップが失敗をし、国民の支持を失うと即座に引きずり降ろそうとする。
        だから、民主党の代表が頻繁に変わる事になり、
        その結果、総理大臣も頻繁に変わってしまうことになる。

         

        共産党を除く全ての政党は、自分たちの党内に首相を交代する仕組みを内包している。
        一国の首相を、それを支えるはずの政権与党内に、
        引きずり下ろす仕組みが存在する事自体が奇妙であり、
        連立与党、国民を無視した所業と言える。

         

        総裁選や代表選以外でも、党内抗争により与党議員が首相の退陣を要求する事は頻発する。
        党内支持を安定させるために、現職の総裁や代表、即ち内閣総理大臣は、
        内閣総理大臣だけが持つ人事権を行使する。
        これが、「内閣改造」の本当の意味だ。

         

        特に今の安倍政権のように長期政権で、
        野党に政権与党の座を奪われる可能性が皆無となれば、
        「次は自分が大臣だ」と思う議員が党内に溢れかえる。
        そういった者達に大臣ポストを与えなければ、
        安倍総理が総理大臣の座に居続けることは難しいのである。

         

        こういった日本の政党が抱えるメカニズムを知れば、
        安倍政権を「独裁的」と批判するメディアの主張が如何に的外れなものかが分かるだろう。
        共産党を除くどの政党が政権与党になったとしても、
        日本で真の意味で独裁的な政治が行われることなど有り得ないのである。

         

        とは言え、今回の安倍改造内閣はこれまでに比べると、
        安倍総理がやりたいと思う事を、多少強引にでも進める事ができる筈だ。
        何故なら、これが安倍総理の最期の任期だからだ。
        3年毎に半数ずつ改選される参議院選挙が7月に終わったばかりなので、
        衆議院を解散しない限り、次の国政選挙はしばらく無い。

         

        また、安倍総理自身の自民党総裁任期は2021年であり、
        自民党内のルールを変えない限りは、最長でも2021年で安倍政権は終わる。
        2017年に総裁任期を「連続2期6年」から「連続3期9年」に変更したが、
        これを「連続4期12年」に変更することは考えにくい。
        何故なら、前回の党則改正は安倍総裁が最終的な意思決定者として行ったものだからだ。
        党内や自民党支持者から、続投を求める強烈な声が沸き上がれば別だが、
        自分で変えたルールを再度変更する事は常識的には行わないだろう。

         

        別の総理・総裁を挟んでから再度返り咲く可能性はあるが、
        少なくとも2012年から始まった安倍政権は、最後の2年間となる可能性が極めて高い。
        次の総裁選に出馬しないのなら、党内抗争に配慮する必要性は薄くなり、
        黙っていても最大2年で総理から退く状況で、
        党内から、「安倍おろし」の声が上がる事態も考えにくい。
        余程大きな不祥事がなければ、今回の改造内閣の面々で任期を終えるだろう。

         

        日本の歴代総理で、これ程まで総理がやりたいことを進められる環境が整った例は少ない。
        安倍総理に“そのつもりがあるなら“、日本の未来を決める重要な2年間になる筈だ。
        安倍総理は今回の内閣を「挑戦と安定の内閣」と称した。

        新しい日本政府は何に挑戦するのだろうか?

        なぜ安定を強調したのだろうか?

        恐らく最後となるであろう、安倍改造内閣の見ているものを考える。

         

        日本史に学ぶ5−江戸時代に繰り返された改革の意味−

        2019.09.11 Wednesday

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          JUGEMテーマ:歴史

           

          約100年続いた戦国時代と言われる内戦時代は、
          飛躍的な生産能力の向上という結果を日本にもたらした。

           

          いつの時代も、戦争は人類社会の進歩を加速させる。
          我々がスマホやインターネットを当たり前のように使い、
          気軽に飛行機で海外旅行ができるのは、第二次世界大戦があったからだ。
          あの大戦が無ければ、今の我々が手にしている生活は、
          もっと未来に実現するものだったのは間違いないだろう。
          だからと言って、戦争が肯定されるべきではないが、
          戦争にはそのような側面が間違いなくある点を無視すべきでもない。

           

          物資が無ければ戦争は遂行できない。
          だから、戦国時代を通じて日本の耕地面積は増加し、
          より効率的に作物を生産するための農業技術も進歩する。
          作られた作物は、素早く戦場に送り届ける必要がある。
          だから、戦略物資を輸送するための交通インフラが著しく発展する。
          戦国時代を通じて強化された経済基盤をそのまま受け継ぎ、江戸時代は始まることになる。

           

          四公六民、五公五民という言葉は多くの人が教科書で習っただろう。
          これは当時の税率を表す言葉で、四公六民とは収穫高の4割を年貢として納め、
          残りの6割を農民の所有とする事を意味する。
          簡単に言うと税率40%ということだ。

           

          ところが、当時の年貢とは基本的に「米」で納める。
          農業技術の発達は、単位面積当たりの収穫量の増加をもたらし、
          江戸時代では多くの農民は「米」以外の作物も作っていた。
          そして、余剰生産物を市場で売却し、様々な商品に交換する。
          米以外の作物を市場で売ることで手にしたお金は課税されない。
          江戸時代には今のような所得税や資産課税というような概念は無かった。
          従って、江戸時代の人々の実質的な税負担はずっと軽かったのである。

           

          ちなみに、現代の日本では税負担率は約43%と財務省から発表されており、
          この数字だけを見ても、江戸時代よりも現代は遥かに重税であることが分かる。
          「厳しい身分制度の下で、庶民は権力に搾取されていた」
          このようなイメージを与える歴史教育は、実は大間違いなのである。

           

          モノの量がどんどん増えるという事は、必要とされる貨幣量も増えることを意味するが、
          当時の貨幣は金貨や銀貨であり、
          新たに金山や銀山が発見されない限り物理的に量を増やすのは困難だ。
          モノの量に対して貨幣量が不足すると、お金の価値が上がりモノの価値が下がる。
          これをデフレ状態と呼ぶ。

           

          デフレ基調が続くなら、人々は価値が上がっていくお金をできるだけ使わないようになり、
          お金が動かなくなる。
          5代将軍綱吉の頃には、国内の金山銀山は殆ど掘りつくされており、
          必要な貨幣の供給が滞る状態が差し迫っていた。

           

          この状況を打破したのが、萩原重秀が発明した「通貨発行益」だ。
          貨幣の金銀の含有量を下げ、新たに大量の貨幣を発行する。
          綱吉が採用したこの重秀のアイデアによって、幕府は莫大な通貨発行益を得る。

           

          また、大商人たちは通貨の大量発行によって、所持している貨幣価値の目減りを恐れ、
          貯蓄を投資に回す。
          その結果が、元禄時代の空前の好景気なのである。

           

          「通貨発行益」により、幕府の財政問題は解決したかに見えたが、
          自然災害という不幸が幕府を直撃する。
          自然災害は日本に住むものが背負う宿命と言っても良いものだ。

           

          元禄景気の絶頂期である1703年には「元禄地震」、
          1707年には「宝永地震(南海トラフ地震)」と「富士山大噴火」。
          更に、1708年には京都で「宝永の大火」が発生し、甚大な被害を出す。

           

          地震や噴火の被害は広範囲に及ぶが、
          被災者の救援や復旧は中央政府である江戸幕府の役割だ。
          そのため、幕府は莫大な財政支出が必要となる。

           

          征夷大将軍とは、天皇を守る役割でもあるので、
          火事で大きな被害を受けた、天皇の居る京都の復興も幕府の重要な役割であり、
          ここでもまた、大きな財政支出が発生することになる。
          これらの支出によって、通貨発行益によって得た財政黒字も瞬く間に底をつくことになる。

           

          ここから、江戸幕府の財政赤字との戦いが幕末まで続く事になる。
          その有様は、現代日本と非常によく似ている。
          江戸時代に繰り返された改革の歴史を見ていこう。

           

          日本史に学ぶ4−本当の江戸時代の姿−

          2019.09.09 Monday

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            JUGEMテーマ:歴史

             

            徳川家康が1603年3月24日に征夷大将軍に任命されてから始まった江戸時代は、
            実に265年間と言う長きにわたって続く事になる。
            江戸幕府は鎌倉幕府から始まる武家政権で最長であると同時に、最後の武家政権でもあった。

             

            実は室町幕府も237年間続いており、江戸幕府が突出した長期政権だったわけではない。
            ただ、室町幕府は後期の約100年間は戦国時代と呼ばれる内戦状態であり、
            実質的な統治能力は著しく低下していた事を考えると、
            江戸幕府は長期政権であると同時に、非常に安定していた政権と言えるだろう。

             

            江戸幕府が日本史に類を見ない長期安定政権だった大きな理由は2つ考えられる。
            1つは、信長・秀吉によって進められた中央集権的な国家体制の成果と反動だ。
            信長・秀吉により全国の大名達の力は大きく削がれており、
            豊臣家を打倒するだけで、ほぼ権力は掌握できる状況が整っていた。

             

            同時に、諸大名は旧体制への回帰も切望しており、
            江戸幕府はそのような望みを受けて幕藩体制と呼ばれる、

            地方分権色が非常に強い社会体制を構築した。
            各藩の地方自治権、徴税権を認め、その上に徳川家が君臨する。
            同じ「天下統一」でも、「秀吉の天下統一」と「家康の天下統一」では全く意味が異なり、
            「家康の天下統一」とは全国300余りの諸侯が徳川家に忠誠を誓った中央集権体制ではない。

             

            日本人は基本的に「強いリーダー」が嫌いだ。
            これは日本人の国民性として現代でも受け継がれている。
            強いリーダーに対する憧れを常に持つが、
            実際に強いリーダーが現れると反発し、足を引っ張ろうとする。
            現政権である安倍政権は、たかだか7年程度続いているだけだが、
            安倍政権に批判的な側からは、必ずとって良い程、「独裁的」「強権的」という言葉がでる。
            「強い」事が大きな批判の理由の1つになるのが日本人だ。

             

            信長・秀吉が進めた中央集権的な体制は、
            戦国時代という内戦状態を終わらせる為には有効ではあったが、
            諸大名は将来的な自分たちの立場に不安を抱えていたであろうことは、想像に難くない。
            関ヶ原の戦いや大坂の陣で、徳川方に味方した大名が多かったのはその証左と言える。

             

            2つ目の理由は、戦国時代という内戦を通じて、当時の日本は世界最強国家だった事だ。
            鉄砲の保有数は世界一、豊富な実戦経験を積み練度も高い兵士達。
            当時、東南アジアに植民地を広げていた西欧諸国も、日本には簡単に手を出せなかった。
            だからこそ、徳川政権は「鎖国政策」を採ることができた。
            日本が「外国と貿易をしない」と言えば、他国はそれに従うしか無い。
            当時の日本とは、国際的にもそれほどの力を有していたのである。

             

            外圧が無ければ、基本的に日本は何かを大きく変えようとはしない。
            これもまた、日本人の国民性だ。
            そして、徳川政権を終焉に導いたのは、黒船来航に代表される外圧だ。
            江戸時代の初めには世界最強の軍事大国だった日本は、
            鎖国政策により、江戸時代後期には西欧列強に全く太刀打ちできない弱小国家になってしまう。
            最早、外圧を跳ね除け日本独自の道を進むことは難しくなり、社会を変える必要が生じた。
            それ故、江戸幕府は滅び、明治維新が始まるのである。

             

            日本が日に日に軍事的に弱小国になっていく江戸時代だが、
            逆に大きく発展したこともある。
            それは経済であり、江戸時代とは、経済の主役が武士から大衆に移った時代だ。

             

            現代日本に生きる殆どの日本人は、正月や節分、ひな祭りなど様々な年中行事を行う。
            これらの起源は古事記や日本書紀に語られる日本神話であるものが多いが、
            江戸時代以前までは貴族や武士だけのものであった。
            それが大衆にまで広がるのは、江戸時代からだ。
            江戸時代に年中行事をイベントとして楽しむ文化が定着したから、
            戦後、クリスマスやハロウィンのような、本来は日本には全く馴染みのない文化でも、
            我々は取り入れて楽しむ事ができるのである。

             

            歌舞伎、相撲、落語・・・
            これら、現代でも人気のエンターテイメントの多くは江戸時代に庶民に広まる。
            現代で言う、漫画のようなものも江戸時代から始まり、
            成人誌の原型といえる性的な創作物まで、庶民の間で楽しまれるようになる。

             

            庶民の教育水準も江戸時代で飛躍的に高まる。
            元々、戦国時代でも日本人の識字率は世界的に見ても高かったと言われているが、
            江戸時代になると庶民の8割が、寺子屋に通い「読み、書き、そろばん」を学ぶ。
            だから、瓦版と呼ばれる現代で言うところの新聞も広く普及する。
            「和算(わさん)」と呼ばれる日本独自の数学も発展、
            日本の数学は西洋に肩を並べる世界最高水準のものだった。

             

            明治維新から短い時間で西欧諸国に並んだのは、決して奇跡などではない。
            江戸時代の蓄積があったから成し得たものだ。
            江戸時代、庶民の中に優秀な人材が溢れていたが、士農工商の身分制度の下、
            そうした人材は国家運営を担う立場に登用されることは無かった。
            明治維新によりこの身分制度は撤廃され、
            数多くの優秀な人材が政治や軍事、外交の職を担えるようになった。
            明治以降の日本の発展は、奇跡などではなく必然と言えるだろう。
            江戸時代の260年に渡る蓄積は、現代でも息づいている。
            明治以後、現代に至るまで、我々は江戸時代の蓄積を食い潰して発展していると言っても過言ではない。

             

            終身雇用や年功序列に代表される、日本型経営も江戸時代の影響を受けたものだ。
            徳川政権は、御三家、譜代大名、外様大名と大名間に明確な格付けを行ったが、
            譜代大名と外様大名を決定的に分けるのは、関ヶ原の戦い前後に徳川の臣下になった否かだ。
            江戸時代以前は、武士が主君を変えるのは珍しい事ではなかったが、
            江戸時代は主君を変えない事が美徳とされ、主君を変える事は、ある種の裏切り行為とされた。
            現代日本でも、まだまだ転職がネガティブに捉えられるのは、
            江戸時代に確立したこういった価値観が強く影響している。

             

            これほどに現代に生きる我々に影響を与える江戸時代だが、
            中学生の教科書が江戸時代に割くページ数は20ページ程度だ。
            そして、そんな僅かな時間で教える江戸時代とは、
            「多くの武士も農民も貧しく、ごく一部の権力者に搾取された時代」
            「鎖国を続け、政治、軍事、文化、あらゆる面で取り残された時代」
            「大規模な飢饉と改革が繰り返された時代」
            こんな認識を子供たちに与える教育だ。

             

            そうなってしまう元凶は「入試テスト」だ。
            知識の量と正確性を確認するしかしない今の入試制度の下では、
            発生した出来事を年代順に並べて覚えるしか無くなる。
            何の脈絡もなく、発生した事象を並べても、その意味も価値も全く分からないだろう。
            そして、そんな知識からは何の教訓も得られない。

             

            「入試でそう出るから覚えなさい」
            本来、これはとても理不尽なことなのだが、
            こういった理不尽さに疑問を持たない生徒が日本では優秀と評価される。
            無批判に「なぜ?」を思わず全て受け入れ、大人になるのはとても危険な事だと私は思う。

             

            本当の江戸時代とはどんな時代だったのだろうか?
            膨大な蓄積を今に残してくれた江戸時代について考えてみたい。

             

            人はなぜ罪を犯すのか?:後編

            2019.08.15 Thursday

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              私は幼い頃、キリスト教系の保育園に通っていた。
              親がクリスチャンだったというわけではなかったので、
              単にその保育園があった場所が丁度良かったという理由だけだ。

               

              この保育園では、聖書を土台とした教育を行っており、
              毎日の様に聖書を読み聞かせ、賛美歌を歌わせていた。
              この頃の記憶は殆ど無いが、1つだけ今でも強く印象に残っている思いがある。

               

              それは、「どうして人は悪いことをするの?」という疑問だ。
              聖書でエヴァは蛇の誘惑に惑わされて、
              神から食べてはダメだと命令された樹の実を食べる。
              そして、エデンの園から追放されてしまう。
              食べた樹の実は「知恵の実」と呼ばれ、
              それを食べる事で人は善悪を知る事になる。

               

              「何が善いことで、何が悪い事なのか知る事ができるのに、どうして悪い事をするの?」
              旧約聖書に記されている失楽園の話を読んで貰ったとき、
              このような違和感を覚えた印象は今でも強く覚えている。

               

              その疑問の答えをこれまで真剣に考える事は無かったが、
              それでも何十年かの人生を生きていると、自然に見えてくるものがある。
              それは、日々繰り返されている人と人の争いの大きな原因は、「善悪の違い」だ。

               

              「悪を憎む」という一点において、人間は合意できる。
              だが、「何が悪か?」「何が善か?」の認識は、個々の間に大きな隔たりがある。
              ある人が「善」、少なくとも「悪では無い」と認識し行動する事を、
              別の誰かは「悪」と断じ、非難し、時に罰を与えようとする。
              このような認識の違いで、人は時に人を殺すほどの罪を犯す。

               

              そもそも「罪」とは何なのだろうか?
              神から見た罪の定義は聖書に明確に記されている。

               

              罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。
              (ヨハネ16:9)

               

              つまり、「不信仰」であり、神を信じないことだと言っている。
              神を信じないとは、「神と異なる思い」を信じることを意味する。
              従って、罪は「神と異なる思い」であり、
              罪を犯すとは、「神と異なる思い」を心に持つことだ。

               

              しかし、伝統的なキリスト教の解釈では、
              罪を犯すことを、神の命令に違反する「行為」として捉えた。
              例え心が「神と異なる思い」を持っていても、
              違反する「行為」を選択しなければ罪は犯していない。こう考えた。
              この考えは現代の日本社会では広く浸透しておえり、
              それは以下の条文に示されているように、憲法レベルで根付いている。

               

              思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
              (日本国憲法第19条)

               

              一方で聖書はこういった考えを否定している。

               

              しかし、わたしはあなたがたに言う。
              だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。
              (マタイ5:28)

               

              人は罪を「行為」で捉えるが、神はそうでない。
              違反「行為」に繋がる「思い」を持った時点で、罪を犯したと見なされるのが神だ。
              こういった罪の本質は、実は日本人は国民性レベルで理解していた筈だ。
              だから、我々日本人は結果よりも「精神」を重んじてきた。
              それは、日本の神々は人間に一切の命令をしなかった事に大きく起因しているだろう。

               

              だが、それも今は昔になりつつある。
              誤ったキリスト教の解釈を基にした、西洋文明が社会に深く浸透することで、
              現代日本人も、罪を「行為」で捉えるようになっているだろう。

               

              罪とは「神と異なる思い」を心に持つ事を言う。
              この罪の定義は非常に重要だ。
              この定義の下で聖書が語っているアダムの罪を考えてみよう。

               

               

              人はなぜ罪を犯すのか?:前編

              2019.08.15 Thursday

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                この世界は人の犯す罪でまみれている。

                日本と言う地域に限定しても、ほぼ常に何処かで誰かが何らかの罪を犯しているだろう。
                同時に全ての人間は罪を犯す事を悪い事であると認識し、
                自分はそんな悪である罪を犯していないと思っている。
                それなのに何故、人は罪を犯すのだろうか?

                 

                「人の欲望が罪の原因」という意見を良く耳にするが、
                これは本質的な答えになり得ないだろう。
                欲は人間だけが持つものではなく、あらゆる動物が持っているものだ。
                だが、人間以外のあらゆる動物は罪を犯さない。

                 

                人間を含むあらゆる動物は、交尾、即ちセックスを行うが、
                「強姦」は人間だけが犯す罪だろう。
                生きる為に他の生命を奪う事はするが、
                「ただ殺すため」に他の生命を奪うのも人間だけだろう。
                「欲」は人が罪を犯す、根本的な原因とは言えないと私は思う。

                 

                「人は何故罪を犯すか?」
                こういった問いの答えのヒントは宗教にある。
                現代科学は、こういった命題に対しては殆ど無力と言える。
                だが、日本に古くからある神道や仏教と言った宗教はこの種の問いに殆ど答えてくれない。
                何故なら、神道も仏教も「人類の起源」を殆ど語っていないからだ。
                古事記には、世界(日本列島)が出来る過程は克明に記されているが、
                人間については、まるで最初から居たかのように突然登場する。
                仏教に至っては、世界は既にあるものとして語られる。

                 

                人類の始まりについて明確に記載されているのが、
                ユダヤ教を祖とするキリスト教だ。
                では、キリスト教は人が罪を犯すメカニズムをどう説明しているだろう?

                 

                キリスト教には「原罪」という言葉がある。
                「原罪」とは、神が創った最初の人間であるアダムが犯した最初の罪の事を言う。
                そして、アダムが罪を犯したことで人の中に罪を犯す性質(罪性)が誕生し、
                私たちはその罪性をアダムから引き継ぎ、罪を犯すようになったとされる。
                つまり、「原罪」とは、アダムが犯した最初の罪であると同時に、
                私たちの「罪性」を指す。
                人間は生まれながらに「罪性」を持っているので、罪を犯すという理屈だ。

                 

                しかし、この定義には疑問が残る。
                人が罪を犯す原因が「罪性」であり、それはアダムが最初の罪を犯す事で生まれた。
                だとするなら、“最初の罪を犯す前の”アダムには「罪性」は無かった筈であり、
                なぜ、「罪性」を有していないアダムが罪を犯す事ができたのだろうか?
                神が予め「罪性」を埋め込んでアダムを創造したなら、
                新約聖書で語られる、救世主イエス・キリストの存在はまるで茶番だ。

                 

                一般的な「原罪」の解釈は、本来、聖書が言わんとする事と乖離しているのではないだろうか?
                「原罪」の本当の意味を考え、人が罪を犯す原因をキリスト教(聖書)から考察してみたい。

                 

                 

                日本史に学ぶ3−日本最大の権力者、豊臣秀吉の失敗−

                2019.08.10 Saturday

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                JUGEMテーマ:歴史

                 

                豊臣秀吉、彼は日本史のみならず世界史を見渡しても、
                これ以上の出世をした人物が見当たらない唯一無二の存在だ。
                通説では、秀吉は農民の出とされているが、
                史学としては確定的な史実を示すことはできていない。
                だが、何れにしても相当に低い身分であったことは間違いない。

                 

                現代の日本社会は、制度としての身分は皇室とそれ以外の2つしかなく、
                全ての日本国民は制度上では同じ身分だ。
                だから、秀吉のような平民が内閣総理大臣になることは理論的には可能だが、
                現実的には不可能であろう。
                「シングルマザーに育てられ、世帯年収は200万円、賃貸住宅で暮らし、学歴は中卒」
                このようなプロフィールの国民が、内閣総理大臣にまで上り詰める可能性は、
                たとえ高いポテンシャルを有していたとしても、殆どゼロと言って良いだろう。
                秀吉とは、現代社会ですら殆ど可能性がない境遇から天下人にまで上り詰めた人物であり、
                世界史を見てもこんな例は無い。

                 

                また、この点はあまり知られていないが、
                秀吉が手にした権力は、歴代の日本の権力者達が手にしたそれと比較して、
                最も大きなものだった。
                その事は、「豊臣」の氏を見ても分かる。

                 

                「氏」と「姓」は混同される事が多いが、全く違うものだ。
                「氏」とは事実上または系譜上、祖先を同じくする同族集団を指し、
                「姓」とは1つの家族という集団を指す。
                だから、姓が違っていても氏が同じということは当たり前に存在する。

                 

                「氏」についての詳細は省くが、
                簡単に言うと日本において「氏」とは神に由来するものであり、
                人間が自由に作ることはできない。
                基本的に神の血族である天皇から賜るものであり、そうして作られた氏も皇室に由来する。


                更に、「豊臣」を除くと天皇が授けた「氏」は4つしかない。
                藤原氏、橘氏、源氏、平氏の4つだ。
                藤原氏は大化の改新で有名な藤原鎌足(中臣鎌足)を祖とする。
                橘氏は飛鳥時代末期に、元明天皇から女官であった県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)が姓を賜った事から始まる。
                彼女は天皇の乳母を務めるなど、後宮の実力者として皇室と深い関係にあった人物だ。
                源氏・平氏はどちらも天皇を祖に持つ氏である。

                 

                豊臣氏はこれらに続く5つ目の「氏」として秀吉が天皇から賜ったものであり、
                これ以降、日本で新しい「氏」は誕生していない。
                この「氏」の制度は、明治時代に廃止されているので、
                憲法または法律を変えない限りは、今後も新しい「氏」が誕生することはない。

                 

                豊臣氏は、藤原氏に代わる新たな摂関家の氏として創始された。
                摂関家とは摂政や関白に任ぜられる家柄であり、平安時代から藤原氏が独占しており、
                秀吉自身が関白に就任する際には、前関白の近衛家の養子となり、氏を藤原氏に改めている。
                その後、豊臣氏が創始され、短い期間ではあるが豊臣氏が朝廷を完全に支配する。

                 

                秀吉がこれほどの権力を持つに至った最大の理由は、
                信長の路線を継承し、中央集権的な新しい国家体制を構築したからだ。
                信長はゼロから1を生み出し、それを10程度にまでは成長させるが、
                本能寺の変後に、信長の後継者となった秀吉は10を100にまで成長させ、
                日本国内を完全統一することに成功する。
                信長と秀吉を比べるなら、ゼロから1を生み出す能力を除き、
                殆どあらゆる面で秀吉は信長を凌駕する能力の持ち主だったと言えるのでは無いだろうか。

                 

                だが、信長が示したビジョンを達成したところで、秀吉は失敗する。
                そのことにより、日本史上最大の権力を有した豊臣政権は、
                後を継いだ息子・秀頼の代であっさりと徳川家康の手によって幕を下ろす事になる。

                 

                秀吉の立身出世、頂点に立ってからの失敗、そしてその後の没落。
                この一連の流れは、戦後の日本社会の歩みと酷似している。
                戦後の焼け野原から、アメリカを中心とした西側社会が示した道の上を、
                追い付こうと必死に走った日本は、世界が驚く速度で対米7割に迫る経済大国に成長した。
                しかし、アメリカと肩を並べる先頭グループに立ってからの日本は失敗の連続であり、
                徐々に衰退していき、今もこの衰退の流れは止められていない。

                 

                秀吉の成した事を知るということは、実は信長の目指したビジョンの答え合わせとなる。
                そして、秀吉の失敗を知ることは、現代にも活かせる大きな教訓を得る事になる。
                今回は豊臣秀吉を中心に日本史を見てみたい。

                 

                一億総弱者社会の行き着く先

                2019.08.05 Monday

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                2019年8月2日、日本政府は韓国を貿易上の「ホワイト国」の対象から外し、
                中国や台湾、シンガポールなど多くのアジア諸国と同じ“普通の国”とすることを、
                閣議決定した。

                 

                この日本政府の決定に韓国国内は大騒ぎだ。
                「発狂」と言っても良いだろう。
                日本としては、韓国との付き合いを“普通に”しただけで、
                なぜ彼らはこれ程までに怒り狂うのだろうか?

                 

                その最大の理由は「被害者意識」だ。
                歪んだ歴史教育に洗脳された結果、韓国民は日本という凶悪犯罪国家の被害者だと思い込んでいる。
                だから、彼らはこれまでに日本が韓国に対して行った様々な経済援助や、
                特別待遇を当然の事だと考えている。
                日本にとっては、全く厄介な国と言わざるを得ないが、
                韓国民にこれほど強烈な被害者意識を刷り込んだのは、
                日本の責任に由るところも大きい。
                「自分たちにも悪いところがあるなら、先に謝って水に流そう」
                こんな日本国内でしか通用しない考え方を、
                外交にも流用し韓国民の被害者意識を増長してきたのである。

                 

                今回の日本政府の判断は100%正しいだろう。
                そしてやり方も実に巧妙で賢い。
                これならば、韓国がどれだけ国際社会でロビー活動を繰り広げようとも、
                韓国の味方になる国は少ない、または皆無だろう。
                今回の事を契機に日本は過去の韓国との付き合い方を精算し、
                韓国と適切な距離を取った新しい付き合い方を構築すべきだ。

                 

                同時に、我々はこれまでの韓国との付き合いから教訓を得るべきだろう。
                「被害者、弱者ならば何をしても許される」
                こんな思い込みをしている人が、今の日本社会には蔓延している。
                韓国人化している日本人が増えているということだ。

                 

                未だに収束が見えない、沖縄の普天間基地移転問題はその象徴だ。
                在日米軍基地を県内に数多く抱える沖縄県民は悲劇の被害者となり、
                彼らを救う為なら、何をしても許されるとばかりに、
                県外の人や何故か外国人まで参加して過激な基地反対運動が繰り返されている。

                 

                反原発運動も同様に、福島原発事故によって非難を余儀なくされた被害者を祭り上げ、
                反政府運動の道具として利用している。
                反原発運動は大都市部で盛んだが、彼ら大都市住民は原発の恩恵を受けている側だ。
                福島原発で発電されていた電力は、ほぼ100%が首都圏向けであり、
                あの原発事故以降も、大都市の電力は地方に頼っている構図は何も変わっていない。
                果たして反原発運動の活動家に、「被害者救済」を叫ぶ資格はあるのだろうか?

                 

                普天間基地の移設問題も反原発運動も、
                日本社会に「被害者なら何をしても許される」という空気が蔓延している一例に過ぎない。
                このような悪しき空気が蔓延している最大の原因が、
                「人権意識の高まり」なのは疑いようがないだろう。

                 

                「人権」の名の下に、「被害者」「弱者」「少数派」が優遇され特権を与えられ、
                ごく普通に日々の生活を一生懸命に送っている人達が虐げられる。
                こんな社会に今の日本は突き進んでいる。

                 

                殆どの場合、「加害者」と「被害者」を比べると、被害者は「弱者」である。
                そして、先進国である日本は、ルールの無い弱肉強食の世界ではない。
                だから、誰かが被害を受けたら、社会全体で被害者を救済し、
                加害者には罰や教育を与える事は絶対に必要だ。
                だが、同時にあらゆる人間社会の制度や法は、
                社会全体の秩序を維持し、持続可能性を高める為に存在する。
                本来は「人権」も、そういった目的に寄与するために規定された権利であり、
                社会全体の事よりも優先されるようなものではない。

                 

                人間社会、日本社会はルール無用の弱肉強食の世界ではないが、
                だからといって、「誰でも平等の世界」でもない。
                そんな世界は人の手では作る事はできないだろう。
                弱者や少数を優先する社会は、結局は社会全体の衰退をもたらす。
                そして、その先に待っているのは本当の弱肉強食社会・・・
                弱者は淘汰され、少数が切り捨てられる社会だ。
                人権を振りかざし、「弱者救済」「被害者救済」を声高に訴える連中とは、
                結局のところ、社会の破壊者に過ぎない。

                 

                社会が弱者に対してやって上げられる事とは、
                社会全体が生み出した余裕の範囲でやれることだけだ。
                それ以上の事は、「助けて上げたい」という気持ちを持った人が、
                目の前の人に手を差し伸べて実現すべきであり、
                その想いを社会全体に強制すべきではない。
                そんなことは独りよがりの偽善に過ぎない。

                 

                身体障害者でも健常者でも、
                同性愛者でも異性愛者でも、
                金持ちでも貧乏人でも、
                女性でも男性でも・・・どんな人でも生きていく事は辛い事が多い。
                「どちらの方が辛い」などと比べられるものではない。

                 

                今の日本社会の至る所に溢れる「弱者」とは何なのか?
                今回は弱者について考えてみたい。

                 

                 

                 

                 

                日本史に学ぶ2−創業社長、織田信長−

                2019.07.28 Sunday

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                JUGEMテーマ:歴史

                 

                織田信長、この名前は、
                日本人なら歴史に興味がない人でも一度は聞いたことがあるであろう、
                日本史上最大級のスターだ。

                 

                小説、映画、ドラマ、アニメ、ゲーム・・・様々な創作物の主役として頻繁に抜擢され、
                特に男性の人気が高い人物だ。
                そんな彼に対して多くの人が持つイメージは、一言で言うと「覇王」だろう。
                そして、このイメージは司馬遼太郎の著書「国盗り物語」の描写が強く影響している。

                 

                我々日本人の歴史に対するイメージに対して、司馬遼太郎が与えた影響は絶大だ。
                例えば坂本龍馬も信長に匹敵する日本史のスターだが、
                多くの人が龍馬に対して、
                「薩長同盟を実現させ、日本に近代国家としての“夜明け”をもたらした最大の功労者」
                こんなイメージを持っているのではないだろうか。
                このイメージも、司馬遼太郎の著書「竜馬がゆく」で作られたものだ。
                他にも明治維新から日露戦争の勝利にかけての明治時代に対するイメージも、
                司馬遼太郎の「坂の上の雲」の影響を強く受けているだろう。

                 

                実際の坂本龍馬は一言で言うと「武器商人」であり、イメージとはかけ離れた人物だった。
                司馬遼太郎自身も、「『竜馬がゆく』で描かれた人物像はフィクションである」と書いており、
                現在、広まっている坂本龍馬像とは虚像と言っても良い。

                 

                明治時代が過剰に美化され、一部の保守派が「明治回帰」を夢想するのも、
                司馬遼太郎が作り出した明治のイメージに由るところが大きい。
                素晴らしき「武士道」を基礎に、優れた人材を生み育てた江戸時代の遺産を活かし、
                「合理性」を追求し近代化を見事に成し遂げた明治。
                その精神を忘れ、「理想主義」に走り最悪の敗戦を招いた戦前昭和。
                日清・日露戦争は合理的実践者たる軍神たちによる美しい戦争。
                理想主義によって人々を駆り立て、始めた大東亜戦争は愚かで醜い戦争。
                全てが間違っているわけでは無いが、明治がそれほど理想的な社会だったわけでもない。

                 

                小説という言葉の力で、後世の人々の歴史認識にまで影響を与える司馬遼太郎の力は驚くべきものだが、
                司馬遼太郎が作り出したイメージに捕らわれる事は、歴史を学ぶ上では障害になる。
                歴史を正しく学ぶには、まずは司馬遼太郎の小説のような、
                エンターテイメント作品から得たイメージを払拭することが重要だ。

                 

                「覇王」という織田信長のイメージも、彼の実績を正しく知れば随分と違う事が分かる。
                例えば信長の偉業として、
                仝|呂砲茲辰峠衢関係を整理
                ∧芝席離の推進
                3攣坡攤造凌篆
                ご惱蠅稜兒澆砲茲觚鯆面屬寮鞍
                ズ罎覆匹亮治都市を掌握し統制下に置いた
                Σ瀛称通の円滑化を推進
                Ч馥發良塒廚幣襪鯒鵬、国衆の軍事力を削減
                ┰ゞ祇力を統制下に置いた
                以上の8つの政策が挙げられる事が多いが、
                「関所の廃止による交通網の整備」と「国内の不要な城を破壊、国衆の軍事力を削減」以外は、

                不十分、不徹底、または事実に反している。

                 

                旧態依然たる日本のシステムを、武力を背景に破壊した覇王織田信長。
                多くの人が持っているであろう、こんな信長観から見ると実際に信長が行った政策は随分と穏健なものだ。

                 

                信長の業績を政策レベルで見るなら、実はそれほど大業績を上げたわけではない。
                しかし、歴史の教科書は信長の政策を過大に評価し、信長を礼賛するが、
                信長の凄さとは、偉業とは、こんな政策レベルの事ではないのである。

                 

                信長の偉大さは、彼を「政治家」として見ても理解することはできない。
                彼の偉大さを正しく理解しそこから大きな学びを得るためには、
                信長という人物を「実業家」として捉える視点が欠かせない。

                 

                尾張の代官から始まり、苦労して尾張を統一し、
                「桶狭間の戦い」で大きな賭けに勝利した信長は、
                言うなれば、叩き上げの中小企業の創業社長であると言える。
                そして、信長の短い生涯の殆どの期間、彼は中小企業の社長だった。
                信長が“大企業”の社長だったのは、彼の生涯が終わる本能寺の変の3年前ぐらいからだ。

                 

                中小企業の業績を定量的に測るなら、「大きな業績」とは言えない結果になるのは当然だ。
                だから、信長の業績が定量的にはそれほど大きくないのは当たり前なのであり、
                定量的な評価に囚われると、信長の真の姿は見えてこない。

                 

                「伸び盛りの中小企業のシビアな創業社長、織田信長」
                これが本当の信長に近いイメージではないだろうか。
                そして、そんな信長の行動理念は時代を超えて現代の会社経営や国家戦略の実現にも通用する。
                創業社長織田信長が何を成したのかを論じてみたい。

                 

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