日本を守る為に

2019.07.01 Monday

0

    JUGEMテーマ:国防・軍事

     

    果たして我が国は、日本が他国に攻撃されるような事態になったとき、
    自国を防衛できるのだろうか?

     

    国防は全ての日本国民にとって、最も重要なテーマであるにも関わらず、
    戦後、我が国では国防に対して深く議論することは
    ある種のタブー扱いをされており、国民の多くは目を背け続けている。
    勿論、そんな国民から選ばれる政治家たちも同様だ。

     

    2019年現在において、日本に武力攻撃を仕掛ける可能性が最も高いのは、
    中華人民共和国(中国)だろう。
    中国からの武力攻撃があったとき、
    日本の力で、その攻撃を止めさせる事は残念ながら不可能だ。
    止めさせる唯一の方法は、日本が速やかに降伏することであり、
    これでは、「自国を守った」とは言えない。

     

    現実的には、日本への攻撃を止めさせるためには、
    同盟国アメリカを中心とした国際社会の力を借りる他ない。
    つまり、日本は独力によって自国防衛することは出来ない。
    最も、これは日本に限った事ではなく、
    世界の殆どの国は、独力のみで国防を完遂することは出来ない。

     

    アメリカ、中国、ロシア、インド、イスラエル・・・
    こういったごく一部の国家しか、独力での自国防衛はできないだろう。
    独力での自国防衛が可能な国家に共通しているのは、「核保有国である」という点も重要だろう。
    どんなに綺麗ごとを並べようとも、
    「独力で国防を行うには核が必要である」という事実を変えることはできない。

     

    核を持たない限りは、日本は他国の力を借りないと国を守れないわけだが、
    ならば「日本が攻撃を受けたとき、国際社会は日本の為に動いてくれるのか?」
    この点が非常に重要になる。
    簡単に言うと、湾岸戦争やイラク戦争、アフガン戦争の時のように、
    武力を用いても日本の為に動いてくれるのか?と言うことだ。

     

    日本に攻撃を加えるのが、中国やロシアだと仮定するなら、
    国際社会が武力を用いてでも、日本の防衛の為に動いてくれることは無いだろう。
    そして、それは世界全体の事を考えるのなら、正しい判断だ。
    何故なら、中国vs多国籍軍のような対立構造の発生は、
    核戦争の勃発を意味し、それは世界の終わりに繋がるからだ。

     

    戦後、日本の国防は常に危ういバランスの上に保たれてきた。
    一方で、日本は世界で最も安全で平和な国家でもあったが、
    これは奇跡のような幸運が積み重なった結果に過ぎない。
    戦後、日本人は国防について真剣に向き合うことを避け続けているので、
    国を守るための大きな戦略を描き、それを実行してきた結果の平和ではない。

     

    しかし、昨今の国際情勢を見ると、
    日本に平和をもたらしてきた奇跡のバランスは揺らぎつつある。
    次の時代の世界覇権を巡る米中の対立は、勝敗が決するまで続く。

     

    アメリカ合衆国という国家は、世界覇権を手放す事を絶対に許容しない国だ。
    「2番じゃダメなのですか?」という様な考えはあの国にはない。
    それこそが、アメリカという国の核心的なアイデンティティだ。

     

    共産党による一党独裁体制である中国も、絶対に引くことができない。
    中国は為政者の失敗を許さない。
    最も強いから天に選ばれた中華皇帝なのであり、
    弱い皇帝の率いる王朝は、次の王朝にその座を譲らなければならない。
    それが、あの国の歴史が示す絶対的ルールだ。
    だから、現代の中華皇帝である習近平、中国共産党は絶対に譲歩できない。

     

    中東の不安定化もますます進むだろう。
    シェールオイルの実用化は、アメリカを資源輸出国にし、
    産油国としての中東諸国の地位は、アメリカにとっては低下した。
    アメリカが中東地域に関与する最大の理由は、
    イスラエル、即ちユダヤ人問題ということになり、
    今後、ますますアメリカはイスラエル寄りの姿勢をとるだろう。
    それは、未だ解決の糸口が全く見つかっていない、
    彼の地に燻る宗教的対立を激化させる事に繋がるだろう。

     

    EUという壮大な社会実験が失敗に終わった欧州も、先行きは不透明だ。
    今のEUは、「ドイツ帝国」と形容することができる。
    かつてヒトラーが夢想し作り上げようとした帝国が、
    現代に誕生したものがEUの正体であり、
    EU加盟国は言うなればドイツの属国のようなものだ。
    だからこそ、イギリスはEUを離脱するのである。
    移民の急激な増加は、ヨーロッパ社会に大きな分断を生みつつある。
    ドイツの拡大、移民による社会の分断、今の欧州は第二次世界大戦前夜と酷似している。

     

    世界情勢は、今後ますます混迷を極める事は間違いない。
    これは、国防の多くの部分を他国に依存している我が国にとって死活問題ということだ。

     

    残念ながら、日本は戦後何度か訪れた「国防を真剣に考え、対応する機会」を
    ことごとく逸してきた。
    今の世界情勢の変化は、最後の機会かもしれない。
    それは、もしかしたら既に手遅れかもしれないからだ。

     

    日本を守るためには何が必要かを考えてみたい。

     

    差別は格差を生む

    2019.06.24 Monday

    0

      「差別は悪であり、無くすべきだ」
      このような主張は人類の殆どが同意できる数少ない主張だろう。
      しかし、「では、何が差別なのか?」という問いの答えに、
      総意と呼べる程に一致できるものはないだろう。

       

      国連では、
      「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である」
      としているが、この定義は単に「不利益を生じさせる行為に注目する」
      と言った程度の意味しかない。

       

      差別とは本来、優遇か冷遇かは関係なく、
      特定の集団や属性に属する個人に対して特別扱いをする事だ。
      だとするなら、全ての人間は何らかの差別意識を数多く抱えているだろう。
      ならば、そんな差別意識を抱えた数多くの人間で構成される社会とは、
      差別が溢れている社会であると言える。

       

      例えば生活保護や奨学金制度は差別だ。
      女性専用車両やレディースデイなども明らかな差別と言える。
      だが、これらは「差別だから止めるべきだ」と糾弾されることはない。

       

      結局のところ我々が「悪であり、無くすべきだ」と考える「差別」とは、
      「やってはいけない区別」を「差別」と呼称しているに過ぎない。
      そして、「何はやって良い区別で、何が悪い区別なのか?」の基準は、
      個々の価値観に過ぎず、それ故に総意を得られる事も無い。

       

      「差別がない社会」などと言うものはあり得ず、そんなことを目指す必要すらない。
      例えば弱っている人を助けるための差別は必要だろう。
      個人の努力によって特権を勝ち取る事は非難されるようなことではない。
      人種差別すら、本当に絶対悪なのか私は疑わしく思う。
      欧州やアメリカで起こっている移民問題を見ると、
      やはり異なる人種が1つの社会で生活するのは今の人類には無理なのではないか?
      だから、我々人類は地球上から未だに国家を無くす事ができない。

       

      「やってはいけない区別(差別)」は間違い無く存在する。
      しかし、それを決める事は簡単ではなく、長い時間が必要だ。
      欧州の奴隷制度は、古代ギリシャに代表される文明の誕生と同時に生まれ、
      18世紀末まで続いており、奴隷制度が無くなるまで2000年以上の時間を必要とした。
      しかし、そんな奴隷制度がなくなった欧州人が建国したアメリカ合衆国で、
      また奴隷制度は復活し、奴隷制度が完全に終わるのは1995年だ。
      現代の欧米社会では、「奴隷制度という差別は悪である」という考えは、
      殆どの人が同意できる考え方だろうが、これほどの長い時間をかけて同意に至ったのである。

       

      では、古代ギリシャの奴隷制度は悪だったのか?と問われれば、
      簡単に悪と断じる事はできない。
      歴史を見ると人間社会と奴隷制度は一体化しており、
      奴隷制度なくして、これ程のスピードで文明が進歩することは無かっただろう。
      また、ユダヤ教やキリスト教など、多くの宗教は奴隷の存在を認めている。
      旧約聖書には、当たり前の様に奴隷という存在が記されているし、
      その事を「悪」とするような記述も見られない。

       

      こう言ったことから導き出される答えは、
      人口が増大し、技術の進歩により機械やコンピュータが誕生することで、
      奴隷の必要性が薄くなったから、
      「奴隷制度はやってはいけない区別」と同意できたに過ぎないと言う事だ。

       

      地球上に無数に存在する生物種の中で、
      根拠のない「格差」が生まれるのは人間だけだ。
      格差は人間の脳が生み出した「差別意識」によって生まれる。

       

      だとするなら、格差問題が叫ばれ、実際に格差が広がりつつある日本社会とは、
      実は差別が昔よりも蔓延している社会なのではないか?
      現代の日本社会では数多くの「○○は差別だから是正すべき」と言う主張は、
      実に簡単に受け入れられ、そういった主張に沿った政策が実際に実行されている。
      格差は差別意識から生まれるのだから、
      本当なら格差は少なくなっているべきなのに、現実は逆になっているのはどういうことだろうか?

       

      答えは明らかだろう、
      数多くの「差別を無くせ」という主張は、本当は差別を増長させる主張だということだ。
      かつて、日本は先進国の中で最も格差が少ない国だった。
      これは、日本には「やってはいけない区別」は殆ど無かったと言う事を意味する。

       

      今の日本社会は差別社会だ。
      「無くすべき差別」は間違い無く存在する。
      より正確に表現するなら「もう無くしても良い差別」は存在する。
      そして、「差別を無くそう」という考えには多くの人は一致できる。
      問題は「何がもう無くすべき差別なのか?」を見極める事だ。
      とても難しい判断だが、少しでも正しい可能性が高い選択をする為には、
      なぜ人間にだけ「差別意識」が生まれるのかを考える事が必要だろう。

       

      「差別」について考えてみたい。

       

      NHKの存在意義

      2019.05.29 Wednesday

      0

        「NHKから国民を守る党」(以下N国)という政党をご存じだろうか?
        最近、地方議会を中心に躍進している政党だ。

         

        2019年4月に行われた統一地方選挙では、新人47人のうち26人が当選。
        現職議員と合わせて、全国に地方議会で39議席を有するまでになった。
        国政においては、まだ1議席も有していないが、
        今年行われる参議院選挙に候補者を擁立している事を明言しているので、
        国政でも議席を獲得する可能性が高い。

         

        N国の主張とは、「NHKの受信料は、見たい人だけが払うようにすべき」
        という至ってシンプルなもので、このワンイシューに特化した政党だ。

         

        こんな政党の候補者を地方議会に送り出すのだから、
        日本国民の衆愚化は手の施しようがないところまできているのかもしれない。
        NHKに対して、地方議会は何の権限も有しておらず、
        N国の主張を実現するにあたり、地方議会は何の関係もない。
        地方議員の仕事とは地方自治であり、
        身近な住民サービスの向上や地域の発展に寄与することが役目だ。
        どんなにN国の主張と自分の主義主張が近かったとしても、
        地方議員を選ぶ基準として、NHK云々を用いるのは愚かとしか言いようがない。

         

        ちなみに、国政においてはN国に議席を与える事は意味がある。
        NHKについて何か変えようとするなら、
        国会での立法が必要となり、それが出来るのは国会議員だけだからだ。

         

        N国に限らず、最近の地方選挙では「憲法改正反対」など、
        地方自治に全く関係ない主張を掲げ立候補し、
        そんな候補者が当選する例も少なくない。

         

        結局のところ、日本国民は日本国の主権者になれるレベルに達していないと言う事だ。
        しかし、これは致し方ないとも言える。
        民主主義、人権、議会、社会保障、選挙etc・・・
        現代社会では、当たり前のように存在しているこういった多くの概念や仕組みは、
        明治維新後に西洋から入ってきたものが殆どだ。

         

        そして、このように今までの日本になかったものを、
        我々は、あまり深く考える事無く政府やGHQの言われるままに受け入れた。
        義務教育レベルで、国政の仕組みや地方自治の仕組みを詳しく教える事はない。
        それどころか高等教育でも、専攻しなければ学ぶ機会は殆どないのが実情だ。

         

        「主権在民」という言葉で、戦後日本では主権は天皇から国民に移ったと教えられるが、
        では「主権とは何なのか?」「主権を持つ意味とは?」と言った、
        最も大切な事は教えない。
        その結果、多くの国民は政治家や公務員より自分たちが偉いと勘違いしている。
        主権の意味を、「政治家や公務員に文句を言う権利」程度にしか思っていない。

         

        N国の躍進も、こういった国民の無知がハッキリと見て取れる。
        私もNHKには色々と問題があるとは思っている。
        若い世代を中心にTVを見ない層が増えてきているので、
        「なんで見てもいないのに受信料をとられるのだ?」という不満も、
        分からないでもない。

         

        だが、「受信料は見たい人だけが払え」という主張は、
        自分の無知を晒す愚かな行為だと言える。
        NHKと民放の違いを全く理解していないだけではなく、
        「公共」の意味すら理解していない。

         

        「受信料は見たい人だけが払え」という主張は、
        例えば東京に住んでいる人が、「北海道の道路は使う人の金で建設、メンテナンスしろ」
        と言っている事と本質的に全く同じなのである。

         

        NHKとは何なのか?
        自分たちが日本の主権者だと思うなら、まずはこのことを考えるべきだ。
        そうすれば、NHKが抱える数多くの問題が見えてくる。
        国民が本質を見ようとしないから、
        NHKは自分たちの既得権益を拡大し、私利私欲を肥やしている。

         

        NHKとは一体何なのか?
        NHKについて考えてみたい。

         

        言葉の汚れを落とすために

        2019.05.26 Sunday

        0

          もう日常茶飯事のようになってきたが、また政治家の失言が話題になっている。
          日本維新の会に所属していた衆議院議員、丸山穂高氏が今回のターゲットだ。

           

          失言が報じられた後の流れは、過去の政治家達の失言の際と同様で、
          失言をした人間を徹底的に糾弾し、貶める。
          そして、「国会議員として不適切」「議員を辞めるべき」という結論に誘導する。

           

          今回の丸山議員の失言について、私は発言の内容に問題あるとは考えていない。
          ただ、それを発言した場は大きな問題だろう。
          北方領土でのビザ無し交流事業での場での発言だったわけだが、
          彼がそのような場に居たのは、衆議院の代表としてなのであり、
          一個人でもなければ、一国会議員としてでもない。
          真意はどうであれ、日本政府の公式的な立場から逸脱した発言をすることは許されない。
          その意味において、丸山議員の今回の言動は、
          日本国民の代表としての自覚が全く欠如しており、あまりに脇が甘いと言わざるを得ない。

           

          酒に酔っていた等ということは、どうでも良いことだろう。
          そもそも、日本国民が選挙で議員を選ぶとき、「この人は酒癖が悪くないだろうか?」
          等と言う事は全く考慮していないだろう。
          日本で被選挙権を得る条件は、日本国籍を持っている事と年齢しかないのだから、
          立候補する人間が酒癖は悪くないという保証など全くない。
          酒癖の悪さをもって、「議員に不適格」とするなら、
          そもそも、立候補の段階でフィルタリングする仕組みを検討すべきだろう。

           

          「女のいる店に行きたい」「俺は国会議員だから外出しても逮捕されない」・・・
          このような発言もあったと伝えられているが、これらの発言が本当だったとしても、
          それは、特に驚くに値しないだろう。
          丸山穂高氏は28歳で初当選し、現在35歳だ。
          若者としては至って健全ではないだろうか?
          人は誰しも若い頃は多くの欲望を持ち、勘違いし易いだろう。

           

          「若い人がもっと議会に増えるべき」
          このような意見はよく耳にするが、
          若い議員を選出するという事はこのようなリスクが高まるということだ。

           

          私としては、特に国会議員にあまり若い人を選ぶべきでは無いと考えている。
          考えてもみて欲しい、
          28歳の若者は、どんなに優秀な能力の持ち主だったとしても、
          人の上に立ち、社会や他者に対して大きな責任を持つ立場など経験しようもない。
          社会経験も乏しく、現実社会がどうなっていて、人々がどんな想いを持ち日々の生活をしているのか・・・
          そんなことは本の世界か、まだ短い自分の経験の世界でしか知らない。
          若いエリートであればあるほど、挫折も知らないだろう。

          国会議員とは、日本国民の代表であり、国民に対して大きな責任を持つ立場だ。
          どんなに素晴らしい志を持っていたとしても、20代や30代の若者が担うには無理がある。
          私はこう考えているが、それでも若い人がもっと政治に参画すべきと考えるなら、
          もっと暖かく見守り、「若い議員を育てる」という姿勢で接するべきだ。

           

          さて、今回メインで論じたいのは、政治家の失言についてではなく、
          日本社会で進行している「言葉の軽視」と、

          その事に起因する「言葉の汚れ」についてだ。

           

          日本人はその長い歴史の中、言葉をとても大切にしてきた民族だ。
          この事は、日本語を正しく勉強すれば良くわかる。
          日本語の表現とは実に多彩であり、英語と比べるとその差は歴然だろう。
          他者に対する好意を表現する言葉だけでも、どれだけの表現があるだろうか?

           

          目上の人に対しての言葉として、敬語(謙譲語、尊敬語、丁寧語)があるが、
          これは、日本は天皇や公家、将軍など身分の上の人に対して、
          身分の低い者が自分の言葉で話す事を許されていたという証左でもある。
          敬語が無い言語とは、身分が違うと言葉を交わす事すら許されないということだ。

           

          日本語のように多彩な表現がある外国語としてはフランス語があるが、
          フランス語は他者を貶めたり罵倒したり、悪く言う表現がとても多いという特徴がある。
          一方の日本語は、そういった目的で使う表現は少ない。
          これも、日本人が言葉を大切にしていた証拠なのである。

           

          言葉とはとても大切なものだ。
          汚い乱暴な言葉が溢れる社会は、間違い無く悪い社会であり、
          そこに生きる人々の心を蝕んでいく社会だ。
          言葉の大切について論じてみたい。

           

           

           

           

          「人権」は人を弱くする

          2019.05.22 Wednesday

          0

            21世紀になってから、日本は衰退の一途を辿っている。
            サラリーマンの平均年収は平成9年(1997年)がピークで467万円、
            そこから下がり続け、近年では多少持ち直してはいるが、
            それでも平成29年度の数値が432万円だ。

             

            しかも、平均以下の年収を得ている人は、
            平均以上を得ている数の1.6倍程度という分布になっているので、
            多くの国民は実際には300万円台の年収だろう。

             

            今の日本社会のままなら、所得格差は開く一方なので、
            所得の中央値は、どんどん減る事になるだろう。
            所得に限らず、あらゆる経済指標の値は日本の衰退を如実に表している。

             

            しかし、最も深刻なのが、「日本人の精神」の衰退だろう。
            精神が衰退しているから、経済が衰退していると言っても良いだろう。

             

            平成の30年間で日本人は圧倒的に弱くなった。
            子供達は、「無視された」「LINEグループから外された」
            こんな理由で深く傷つき、時に自殺という道を選択する。

             

            職場での人間関係が少し上手くいかないだけで、うつ病になる。
            些細な事で「セクハラだ!パワハラだ!」と騒ぎたてるが、
            当人同士で一切解決する事ができない、そのつもりもない。
            ただただ、群衆に紛れて安全な場所から石を投げつけるだけだ。

             

            肉体的にも弱くなっただろう。
            高齢化による老人の医療費高等が問題となっているが、
            彼ら老人達は若い頃は、殆ど病院に行っていなかっただろう。
            しかし、今の若者達は直ぐに病院に行く。
            生涯医療費の1人当たりの額は、間違い無く今の若者達の方が多いだろう。

             

            「子供を産み育てる」という人間として最も基本的な行為ですら、
            社会に依存しないとできない有様だ。

             

            日本人をここまで脆弱にしたのは、「人権」という傲慢な価値観だろう。
            「人権」の下に全ての人は等しく貴く、価値がある。
            こんな妄想が蔓延したせいだ。

             

            個人に価値があるのは、それぞれが社会の構成員の一員だからだ。
            そして、社会で生きるという事は、基本的に辛い事の方が多い。
            そういった辛さに立ち向かい、社会に依存せず、自立して生きていく命だから尊いのであり、
            辛さから逃げる事ばかり考え、社会に依存しないと生きていけない命など無価値だ。

             

            こんな事を言うと、「弱いものは死ねと言うのか」と反発を受けるが、
            障害や事故などが理由で社会に支えて貰わなければ生きていけない命は守るべきだ。
            年老いて社会の一線から退いた者も守るべきだ。

             

            しかし、五体満足で本人の気持ちの次第で、
            十分に社会の構成員としての役割を果たせる人間が、
            「辛い」「嫌だ」などと言う理由で、その役割を果たしていないとするなら、
            そんな命を守る必要がどこにあるのだろうか?

             

            弱い者を弱いまま認める事は、決して優しい社会でもなければ、
            弱者のためにもならない。
            弱い者に厳しい人生を生き抜く力を与える事が、真に弱者に優しい社会ではないだろうか。

             

            2019年のゴールデンウィークは、御代代わりと重なり、
            史上最大の10連休となった。
            連休が終わった時、あるTV番組で「五月病」について話題にしていたのだが、
            そこで発せられた、知識人と呼ばれる人の言葉に私は耳を疑った。

             

            曰く、「学校に行きたくなければ、無理にいかなくても良い」だそうだ。
            こんな言葉を鵜呑みにし、それを実行する子供達は、
            どんな脆弱な大人に育つだろう?
            そして、何よりも許せないのは、この自称インテリは、
            自分の子供には決して同じ事は言わないだろう事が容易に想像できるからだ。

             

            こうして、社会の中に格差が広がっていく。
            基本的には人間社会も、自然界と同様に弱肉強食社会なのである。
            その事を忘れ、弱者を弱者のまま放置するような事ばかりを唱えるから、
            日本社会は衰退する。

             

            日本政府の主要政策の殆どは、日本人を弱くする政策ばかりだ。
            「楽になる」と思う政策は、人を弱くする政策でしかない。
            人生トータルで見ると、結局は辛い思いをすることになる。

             

            人間社会と自然界に違いがあるとすれば、
            人間社会は、弱者のままでも「生きていける」というだけであり、
            弱いままでは、人生は辛い事ばかりになる。
            弱い事が死に直結する自然界の方が、見方によっては幸せかもしれない。
            死んでしまえば、辛い思いをせずに済むのだから・・・

             

             

             

            皇統を維持するために

            2019.05.11 Saturday

            0

              我々日本人の大切な宝である皇室が、今、断絶の危機にさらされている。
              その理由は、言うまでもなく、皇室に男子が少ないからだ。

               

              令和元年現在、皇位継承権を有する皇族は3名しかいない。
              昭和天皇の第二皇男子である常陸宮さま、
              今上陛下の弟君であられる秋篠宮さま、
              そして、秋篠宮の第一男子の悠仁親王殿下だ。

               

              現状のまま、何事もなく代替わりが行われるとすると、
              最も若い悠仁殿下が即位する時、皇族の数は女性皇族を含めても数名となる可能性が高い。
              もしも、悠仁殿下が男子を授からなければ皇室は、その後を継ぐ者を失う。
              また、男子を授かったとしてもその数が少なければ、
              今のような危機的状態が長期間に渡り続く事になる。

               

              現状で、安定的な皇位継承を続ける為には、
              悠仁殿下が5人くらいの男子を授からなければならないだろう。

               

              この状況を打破するために、頻繁に挙げられるのが女性天皇、女系天皇容認論だ。
              世論調査では女性天皇も女系天皇も、7割を超える国民が容認と答えているという。

               

              こういった世論調査の結果を聞くと、
              つくづく大衆が参加する民主主義とは最低な政治システムだと痛感する。
              古代ギリシア時代にプラトンやアリストレスらが、
              民主主義を「愚劣で堕落した政治に陥る」とした見識は全く正しいだろう。

               

              女性天皇や女系天皇を「容認する」と答えた7割以上の大衆は、
              一体、どれほどその意味を理解しているのだろうか?
              天皇という存在について、どのくらい理解しているのだろうか?
              恐らくは殆ど理解してなど居ないだろう。

               

              こんな大衆達が“無責任に”その時の気分で、はっきりと意見表明をする。
              そして、現在の民主主義制度はそのような大衆の声の影響を大きく受ける。

               

              皇室の男系継承は、神話の時代を含めるなら2600年以上、
              現代科学で確認できる範囲でも1500年以上、一度の例外もなく続いる。
              そして、一度女系を認めてしまえば、もう二度と男系継承に戻す事はできない。

               

              「女系天皇を容認する」と答えた人は、
              自分に最終決定権があったとしたら、同じ答えができるだろうか?

               

              民主主義制度の最大の欠点がここにある。
              大衆が良く分からないまま判断することは、表層的な問題に過ぎない。
              「責任感が欠落していること」これが最大の問題なのである。
              責任感を持っていれば、間違いは未来に向けての糧となる。
              責任感をもっていれば、もっと真剣に学ぼうとする。

               

              もしも、今の日本国民に責任感があれば、
              「女系天皇を容認する」という答えが7割を超える等と言う事は有り得なく、
              「どちらか分からない」が大半になるだろう。
              そうならない今の日本社会は、傲慢で無責任な国民が溢れていると言うことだ。
              大衆と言う群は人の愚かさを何千倍、何万倍にも増幅するのである。

               

              このような国民達が「容認する」と答えているのだから、
              女性天皇も女系天皇も、「容認しない」ことが恐らく正しいのだろう。
              大衆は殆どの場合、選択を間違える。
              とりわけ圧倒的多数が支持した選択肢は、100%間違いと言っても良いだろう。
              男系継承を「女性差別」と捉え、
              男女同権の観点で「容認すべき」という意見も多いのだから論外だろう。

               

              本来、自分たちの日々の生活に影響が大きい、政治や経済ですら、
              無責任な大衆達に皇室について意見を求めるのは間違いだ。
              しかし、GHQが日本国憲法に仕込んだ罠が、
              皇室について大衆が意見することを正当化した。

               

              『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、
              この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。』
              (日本国憲法第一条)

               

              日本国憲法のこの条文こそが、未来において天皇の存在を消すために仕込んだ罠だ。
              「国民の総意に基づく」
              この言葉を根拠に、多くの国民は皇室の事に意見できると勘違いしているのである。
              国民が、この傲慢さを改めなければ、
              いつか天皇という存在そのものを失う事になるだろう。

               

              我欲に支配された平成の御代からの再生

              2019.05.05 Sunday

              0

                2019年5月1日、明治以降初めての譲位(生前退位)が行われ、
                新しい御代、令和が始まった。

                 

                元号制度は、紀元前140年に中国の前漢で生まれ、
                その後、東アジアを中心に使用が広まっていくが、
                現在、元号制度を採用しているのは世界で日本だけである。

                 

                元号を使うメリットは色々とあるが、
                私が最も感じる利点は、「過去を総括し、そこから学びを得る」事だと思う。
                「明治の時代とは○○だった」と言う風に、総括することができる。
                実際には改元とは、古い元号から間を置かずに行われるので、
                急に何かが大きく変わるわけではない。

                 

                ただ後から振り返ると、明治、大正、昭和、そして平成と、
                確かに時代毎にかなりの違いが見て取れる。

                 

                改元を迎えると、何となく日本人は気持ちをリセットして、
                新たな心新たに前向きになれる国民性があるのだろう。
                だから、改元は日本にとって、社会が大きく変革する契機になる可能性が高い。

                 

                但し、変革とは必ずしも良い方向になることを意味するわけではない。
                平成という時代は日本社会に大きな傷をつけ、社会の持続性を大きく毀損した時代だと私は考えている。

                 

                社会や国家が破壊され、滅亡する最大の理由は、
                どんな時代も、どんな国家でも、利己主義の蔓延だ。
                自分、もしくは自分に近しい者だけの利益を重視し、
                全体の利益を軽視、無視した考えが蔓延した時、国家は滅亡する。

                 

                平成の時代に蔓延した、「自由や平等、人権」という美名は、利己主義を正当化した。
                「国家や会社の為に働くのは格好悪い事だ」
                「男女は平等、子育ては夫婦で等しく分担すべきだ」
                「仕事は自由に自分がやりたい職につくべきだ」
                「会社や学校で、社員や生徒に何かを強制するのは止めるべきだ」etc・・・

                 

                こんな考えが、蔓延したのが平成の時代だ。
                これらは一見すると、社会全体の幸福を考えた立派なものに見えるが、
                実は単に「自分“だけ”は辛い想いをしたくない」という事に過ぎない。

                 

                上皇陛下は平成の時代を振り返って「戦争の無い時代」と言い、
                その事を良かったと評価した。
                自己中心的な考えが蔓延っている日本人を象徴するお言葉であり、
                まさに、日本国憲法に定められている通り、天皇陛下は「日本国民の象徴」だと思う。

                 

                大東亜戦争で日本が敗戦した後も、世界では戦争が絶えた事はない。
                確かに日本人が直接戦火を交える事は、戦後一度もないが、
                それは、米ソの冷戦構造の中、日本の戦略的価値が高かった為、
                アメリカが守ってくれたからに過ぎない。

                 

                そして、第二次世界大戦後に世界中で起きた戦争の多くは、
                日本の同盟国であるそのアメリカが当事者であり、
                その戦争の殆どを日本は支持してきた。
                アフガン戦争では後方支援としてインド洋に海上自衛隊を派遣しているし、
                イラク戦争では陸上自衛隊を派遣している。

                 

                目の前でイジメが行われているのに、それを見て見ぬふりをするどころか、
                積極的に支持し、イジメの手伝いをする・・・
                普通の感覚なら、イジメに加担しているとのと同じだろう。
                だとするなら、戦後の日本とは実質的には戦争に参加しており、
                汚い仕事は他人に行わせ、自分たちは安全な場所で楽な仕事をしていただけだ。
                平成と言う時代は、決して「戦争の無い時代」などでは無いのである。

                 

                新しい御代が始まり、日本国中がお祝いムードに包まれている。
                その事自体は、素晴らしい事だと思う。
                日本人に生まれて良かったと強く感じる瞬間だ。
                しかし、過去の事を直ぐに忘れ去り、教訓にしないのは日本人の悪い癖だ。

                 

                「平成」は、失敗の連続だった時代であり、
                国土の多くを焦土にされた、あの敗戦よりも大きな傷を負った時代だろう。
                「平成」に何が起こったのかを考えてみたい。

                 

                フェミニズムが社会を破壊する

                2019.02.17 Sunday

                0

                  20世紀の前半、世界にファシズムの嵐が吹き荒れ、
                  第二次世界大戦という人類史上最大の破壊をもたらす。

                   

                  あれから約100年の時が経った現代、
                  今度はフェミニズムの嵐が世界に吹き荒れている。
                  フェミニズムとは、女性に対する性差別の撤廃を目指す思想であり、
                  直訳すると「女性主義」となる。

                   

                  「男女平等」の名の下に、今や少しでも男女を“区別”するような発言をすると、
                  社会的に糾弾され、徹底した社会的制裁を受ける社会となってしまった。

                   

                  この流れがこのまま続くと、社会はフェミニズムによって破壊されてしまうだろう。
                  そして、その破壊の規模は第二次世界大戦よりももっと深刻で大きなものになるだろう。

                   

                  例えば、程度の違いはあれフェミニズムが強い先進国では、
                  どの国も、少子化、晩婚化に苦しんでいる。
                  G7の7カ国はどの国も出生率は2.0を切っており、出生率が大きく向上する見込みは全くない。
                  つまり、それが100年後なのか500年後なのかは分からないが、
                  何れ、国家を構成する国民が居なくなってしまうと言うことだ。

                   

                  フェミニズムとは、結局は「平等主義を強制するもの」であり、
                  原理的には共産主義と変わらない。

                   

                  人も男女も平等ではない。
                  そもそも、人間は平等を本心では求めていない。
                  他人よりも上にいきたい、他人を支配したい、他人よりも豊かでありたい。
                  そして、自分の子供に多くを残してやりたい・・・
                  こう願うのが人間であり、これらの願いが叶うなら、それは平等ではない。

                   

                  共産主義が失敗したのは、誰も本当は望んでいない「平等な社会」を作れると夢想した事による。
                  共産主義は、平等を実現するために国家を解体すること目指す。
                  その為に、国家を構成する最も基本的な集団である「家庭」の破壊を企図し、母性を敵視する。

                   

                  フェミニズムも全く同じだ。
                  フェミニストとは言ってしまえば、「母性が壊れてしまった女性」と言ってよく、
                  母性喪失の代償として外で働く事を掲げている。
                  そして、外で働く為に育児を社会化する必要があると訴える。
                  「働きながら育児ができる社会」を作るべきだと訴える。
                  そして、それを正常な女性にまで押しつける。

                   

                  「人間は男だろうが女だろうが、貧者だろうが富者だろうが、
                  “心清ければ”死後に天国や極楽に行ける」
                  このように説いたのがキリストであり釈迦だった。
                  彼らですら、この世での平等は保障しておらず、
                  死後を含めると“心清ければ”という条件付きで、平等を保障している。

                   

                  ところが、「この世を平等にできる」と言っているのが共産主義者であり、フェミニストだ。
                  キリストや釈迦ですら言えない事を言える、このような者達は一体何者だろうか?
                  これは神学的にも実態的にも悪魔と呼ばれる存在だろう。

                   

                  その証拠に、共産主義や社会主義ほど国民を虐殺した体制はない。
                  スターリン、毛沢東、ポル・ポト、北朝鮮の金王朝・・・
                  彼ら一人一人が虐殺した人間の数は、ヒトラーが善人に見える程に桁違いだ。

                   

                  フェミニストの逆鱗に触れた男性に課せられる制裁は、法で定められたものを遙かに超える。
                  それどころか、司法を通さず私刑が行われる事も珍しくない。
                  「セクハラをした“疑い”」で職を追われる男性、
                  痴漢冤罪で家庭を破壊された男性・・・こういった被害者は決して少なくないだろう。

                   

                  日本を再生する第一歩は、フェミニズムを根絶し男女の役割を取り戻すことだ。
                  そもそも、フェミニズムとは「外で働く女性のイデオロギー」であり、
                  「一部の女性の為」のものであり、「全ての女性の為」ではない。
                  フェミニズムが根絶された世界の方が、圧倒的多数の女性にとって幸せだろう。

                   

                  必要なのは義務教育の見直し

                  2019.02.08 Friday

                  0

                    「教育は大切だ」
                    この事に異論がある人は殆ど居ないだろう。
                    私も教育はとても大切であり、教育の質が人間社会の未来を決めるものだと思っている。

                     

                    2019年1月、千葉県で小学四年生の実の娘を父親が殺害するという事件が起こった。
                    そして、この父親は自分の娘に対して、酷い児童虐待を繰り返していたことが分かり、
                    社会的な問題として大きくクローズアップされている。

                     

                    メディアや大衆は、この痛ましい事件を防げなかった児童相談所の問題を論い、
                    政府は児童防止の為に法的規制の強化を検討、恐らくは何らかの形で立法化されるだろう。
                    このパターンは、平成になって何度も見るお決まりのパターンだ。
                    そして、本質的な問題は全く解決せず、社会は閉塞感を強める事になる。

                     

                    今回の事件が起こった根本的原因は「教育」だ。
                    無くなった栗原心愛ちゃんの父親、栗原勇一郎は41歳で1978年生まれだ。
                    この世代が生まれ育った時代とは、個人が社会よりも優先され、
                    自由や人権が何よりも大切であるという教育を徹底的に受けた世代だ。
                    勿論、このような教育は現在も大きくは変わっていない。

                     

                    その結果、家庭内の事に社会は殆ど介入できなくなった。
                    学校、隣近所や親戚、警察や児童相談所などの公的機関すら、
                    個人の家庭に介入することは殆どできなくなった。

                     

                    栗原勇一郎容疑者を擁護するつもりは全く無いが、
                    彼は児童虐待が悪い事だとは全く教えられていなかっただろう。
                    それどころか、自分が娘に行っていたことが虐待や暴力であるという自覚すら無かった筈だ。

                     

                    「そんな事は教えられなくても分かるものだ」
                    こう思う人が多いだろうが、これは間違いだ。
                    例えば、親が子供の躾の為に直ぐに大声で怒鳴り、殴ったりしていたとする。
                    それを見た、周りの大人達が全くその事に介入しなければ、
                    そういった親の下で育った子供は、親の行動が悪い事、虐待や暴力とは思わない。
                    そして、最悪の場合、自分も親になったときに同じ事をする。

                     

                    人は基本的には「教えられなければ分からない」ものなのである。
                    だからこそ教育というものはとても大切なのだ。
                    そして、かつての日本社会では教育は社会が担う割合が大きかった。

                     

                    平成29年度の児童相談所における児童虐待対応件数は約13万件だが、
                    平成2年度は僅か1,101件だ。
                    つまり、「社会よりも個人が優先される」という価値観を教育された世代の親の増加と、
                    児童虐待の発生件数は連動しているということだ。

                     

                    平成生まれの世代は、更に個人主義が強いだろう。
                    だとすると、今後も児童虐待は増え続ける可能性が高い。
                    法律により厳罰化されれば、抑制効果はあるかもしれないが、
                    家庭内で行われる事を見つける事は非常に難しく、大きな効果は期待できないだろう。

                     

                    そもそも、「罰が大きいから止めよう」という人間は、道徳観が全く欠落しており、
                    犬や猫と大差ない動物と言って良いだろう。
                    現代日本の最大の問題がここにあり、
                    自由や権利の行使は、道徳(人格)が伴って初めて可能なのだが、
                    今の日本の教育は自由や権利ばかり教え、道徳を軽視している。
                    欧米社会では、道徳教育は宗教が担っている側面があるが、
                    今の日本社会は、宗教の存在も希薄である為、道徳を学ぶ機会が極端に少ない。

                     

                    今の日本社会で、果たして「教育」の意味を、教育とはどういったものなのかを
                    正しく理解している人がどれだけいるのだろうか?
                    理解していない人が多いから、
                    「教育は大切だ」
                    「経済的差が教育の差になってはいけない」
                    「だから、教育を無償化すべきだ」
                    という話になるのだろう。

                     

                    高等教育までを含めた無償化は、そう遠くない未来に実施されるだろう。
                    しかし、教育の本質を理解しないまま、こんなことをすれば、
                    間違い無く多くの人を不幸にする結果となるだろう。
                    強い劣等感と他人に対しての大きな嫉妬・・・
                    そんな気持ちを常に抱えたまま人生を生きる人が、今以上に増えるだろう。
                    そんな人生を「幸せ」と感じる人は皆無だろうから、
                    「不幸」な人生を送る人を増やす結果になる。

                     

                    本当は日本の教育はどうすべきなのかについて考えてみたい。

                     

                    韓国との正しい付き合い方

                    2019.01.25 Friday

                    0

                      JUGEMテーマ:国防・軍事

                       

                      慰安婦問題、朝鮮人戦時労働者(所謂、徴用工)問題、
                      旭日旗問題、自衛隊哨戒機に対するレーダー照射問題・・・
                      日韓関係の悪化が止まらず、最悪の状態になっている。

                       

                      韓国との間に抱える諸問題がここまで悪化し、長期化している理由は、
                      日本側の対応に由るところが大きいと私は思う。

                       

                      「日本は朝鮮半島を植民地支配するという蛮行を犯した」
                      「隣国とは仲良くしなければならない」
                      「朝鮮半島は日本の国防にとって重要な場所だ」
                      だから、
                      「できるだけ穏便に大人の対応で解決しよう」
                      こんな姿勢で、韓国との関係を作ろうとするからだ。

                       

                      そもそも、日本の長い歴史を振り返ると、
                      朝鮮半島に関わるとロクな事にならないと言う事は明確だ。
                      実はこれは日本に限らず、中国もアメリカも・・・朝鮮半島に関わった国は、
                      ほぼ例外なく不幸な結果になっている。

                      モンゴル帝国が日本に侵攻した文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)、
                      この2つの侵略戦争は、当時朝鮮半島に存在したモンゴルの属国、
                      高麗を中心とした軍勢によって行われたが、
                      モンゴル帝国に日本侵攻を強く勧めたのは、高麗だった。
                      この戦争は、日本側の勝利に終わるが、
                      モンゴル帝国はこの敗戦以降、衰退の一途を辿り1368年の明の建国をもって、
                      中国大陸の支配権を失う事になる。

                       

                      他にも国家間の戦争における例を列挙しよう。
                      663年の白村江の戦いは、日本+百済(朝鮮)と唐の戦いだが、
                      日本側の敗北に終わっている。

                       

                      日清戦争は、日本と清+朝鮮の戦いであったが、
                      朝鮮と組んだ清は敗北、敗北の17年後には200年以上続いた清帝国は滅亡する。

                       

                      日露戦争は、日本とロシア+朝鮮の戦いと言えるが、
                      日清戦争と同様にロシア側の敗北、敗北の15年後にロシア帝国は滅亡する。

                       

                      大東亜戦争は、アメリカと日本の戦争だが、この時の朝鮮は併合により日本国だった。
                      結果は、大敗北を喫し日本は国家滅亡の一歩手前にまで破壊された。

                       

                      そのアメリカもベトナム戦争においては、韓国と共に戦うが、
                      結果はアメリカの敗北と言って良いものだった。
                      そして、国際的なアメリカの力はベトナム戦争以降、下降線を辿る事となる。
                      企業間競争も同様で、韓国企業と連合した側は殆ど敗北という結果になっている。

                       

                      自身の失敗経験に学んでも、他者の失敗経験に学んでも、
                      朝鮮半島と関わると悲惨な結果になるということは明白と言えるだろう。

                       

                      「隣人と仲良く」などは日本社会でしか通用しない考え方であり、
                      特に外国との関係では、害悪を及ぼすものだ。
                      隣人(隣国)は、適度な緊張関係を保つ位が適当であり、仲良くする必要など全くない。
                      我々日本人は朝鮮半島との付き合い方を再考すべきだ。
                      その為には、歴史を検証し、
                      日本にとって「朝鮮半島とはどういった場所なのか?」を正しく認識する必要があるだろう。

                       

                       

                       

                      続きを読む >>